<第3話>優しくなりたい | 愚かな少年

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この物語はある一人の少年がやらかしてしまったバカ話です

   <第3話>優しくなりたい

 

 父が他界して、三鷹の一戸建ての持ち家から伊豆の老朽化の激しいアパートに引っ越すことになったので、父の遺品整理と引っ越しの準備をしていたところ、八年前に脳溢血で亡くなった母と、母を追うように自殺した弟(小説家志望だった)の母への手紙と、小説なのか、それとも遺書なのか、よくわからない文章が見つかったので、これをわたしたち一家族がこの世に、生まれ、生き、そうして死んでいった、母、弟、父の生きた証を残し、弟の夢をかなえることが、わたしのこの世に生まれてきた理由と信じて、弟の手書きの原稿をパソコンで清書して、残しておくことにしました。

 

 きっと、世の多くの人々の心に刺さるとは思いません。しかしもしかしたら、弟のように自ら命を絶つ人が一人でも〝生きよう〟と思っていただければ、弟も、きっと喜ぶだろうと思い、執筆させていただくことにしました。

 弟の書き残した原稿にはタイトルが書かれていなかったので、わたしは、さんざん悩んだ結果、弟の口ぐせをタイトルにさせていただきました。

 

  それでは、今、この原稿(活字の本になってくれるとうれしいのですが)と縁あってつながったあなたさま。どうか読了してください。そうして何かを感じていただければ、この上なく、幸いです。

 

   優しくなりたい

 

   一、

 

 天国のお母さんへ

 

 お母さん、ぼくはお母さんのことが大好きだったよ。

 お母さんは、いつも、ぼくのことばかり心配していたよね。

 

 ぼくが小学生のとき、ぼくがちょっぴり体調をくずしたり、かぜをこじらせたりしただけで、一日でも早くなおるように、うちは貧乏だったけど、何度も入院までさせてくれたよね。

 

 ぼくが人生に絶望して、頭痛薬をたくさん飲んで自殺しようとしたときも、お母さんはばく大な入院費をはらって助けてくれたよね。

 

 でも、いい思い出もいっぱいあるよ。

 遊園地に行ったり、水族館に行ったり、動物園に行ったり。ぼくはすごく楽しかったよ。

 それに、ファミリーレストランでホットケーキを食べさせてくれたこと、仮面ライダーの変身ベルトを買ってくれたこと、ウルトラマンの超合金も買ってくれてよね。

 

 でも、お母さんは遠くへ行ってしまったんだね。もう、会えなくなってしまったんだね。

 お母さんのいない人生なんてぼくには生きてる意味がない。

 ぼくはそう思いながら、毎晩毎晩泣きじゃくっていたんだよ。

「お母さん、ずっと一緒にいるって約束したでしょ」

 

 でもね、お母さん、ぼくには好きな女の子ができたんだ。

 だからぼくはもうお母さんがいなくても大丈夫。

 その女の子はお母さんに負けないくらいやさしくてすてきな女の子なんだ。

 だけど、その女の子は結婚していて、一才七ヶ月になるあかちゃんがいるんだって。でもその女の子のだんなさんがその女の子にやさしくしてくれなくて、あかちゃんのこともかわいがってくれないんんだって。

 

 最近、その女の子から電話があって、

「わたし、きのうも一晩中泣いてたよ」

 っていうんだ。その女の子の泣き声を聞くだけで、ぼくも泣きそうになるんだ。

 それで、ぼくはその女の子に心理テストをしてみた。

 

 部屋の中にテーブルがあります。そこにはいくつイスがあって、テーブルの上に置かれたコップの中にどいれくらい水がはいっているか?

 

 その女の子はイスが三つあって、水はコップからあふれるほど入っているって答えたんだ。

 

 なんの心理テストかをいうとね、イスの数が家族の人数で、水の量は愛情を表してるんだって。

 

 お母さんも、血のつながってない孫なんていやかもしれないけど、ぼくはその女の子のことが大好きなんだ。

 お母さんが、命とひきかえに教えてくれた、『愛するということ』。

 ぼくは、お母さんがぼくを愛してくれたように、その女の子も、その子のあかちゃんも、愛するよ。

 お母さん、産んでくれてありがとう。

 

   二、

 

 親族や葬儀屋に電話をする父の声は、誰にでもわかるほど、ふるえていた。

 母の顔は血の気が引いて青白くなり、そっと触れるだけでじゅうぶんに死を理解させるほど冷たくなり、同じように身体も氷のように、冷たく、そうしてかたくなっていた。

 

 母の死に対応してくれたのは葬儀屋の若い女だった。葬儀屋の経験は、まだ、一年弱だといっていた。そんな若輩者に、母の最期を任せるのは多かれ少なかれ不安を覚えるのがふつうなのかもしれないが、そんな主張ができるほどの気力は、残されたぼくたち遺族にはなかった。

 

 しかしその若い葬儀屋は意外にも優秀だった。

 最初に会ったとき、

「担当の原口です」

 といって深々と頭を下げ、丁寧に名刺を差し出した。

 下の名は優美だった。名は体をなす、とはこのことか、とぼくは思った。だって原口さんは、優しかったから。

 

   三、

 

 小学校のころ、ぼくはいじめられっこだった。ちびで、気が弱く、勉強も運動もまったくダメだった。そして貧しい家庭。いじめにはかっこうの標的だった。

 

 体育館の裏に連れていかれ、五人以上の同級生に、毎日、蹴られ、殴られ、とにかく服で見えないところは真っ青にアザができるほどの暴行を受けた。毎日、毎日。

 

 それだけではない。上履きをかくされたり、教科書をびりびりにやぶられたりもした。

 誰からも助けてもらえなかった。

 

 その理由は大学生になったころわかったのだが、ぼくの暮らす町には、ヤクザの幹部が住んでいて、先生たちも、いじめられているぼくを助けようもんなら、そのヤクザの息子に、自分の子どもがいじめられると心配して、そうして、同級生の親たちも、

「あの子と仲よくしちゃダメよ」

 と、用心していたのだった。

 

 ぼくの神経は完全に崩壊した。

 いじめられているときより、いじめられていないときのほうが、怖かった。授業中、はなれた席で、

(あいつら、今度はなにをする気だろうか?)

 脳が、わけのわからぬ状態になってしまったのだろう。でもぼくは自殺しようとは思わなかった。

 

 そのいじめは、中学に入ってからも続いた。

 現在は、児童相談所があるからどうにかなるかもしれないが、ぼくがいじめられていたころはそんな施設があるということは、あまり知られていなかった。

 ぼくは、ただただ、耐えるしかなかった。

 

 ある日の晩のこと、夕食の献立はぼくの大好きなオムライスだった。しかし腹の奥に激痛が生じて、大好物にもかかわらす、はしは進まないどころか、ほとんど食べれなかった。

 その夜、ぼくは腹痛にさいなまれ、一睡もできなかった。

 

 そして日は明け、腹痛は前日よりもひどくなっていた。ゲリや食あたりとはちがう痛みだった。

 カーテンを突き抜けて、太陽の光が部屋に差し込んできた。

 朝か。

 ぼくは口ではなく心の中でその言葉をやっとの思いで発した。しかしふとんからは出られなかった。

 

 今日は学校を休もう。

 だけど、ぼくは気合と根性で登校した。

 なぜか?

 その理由は、姉もいじめっれこの不登校だったからだ。

 姉弟の両方が不登校になるなんて、そんな現実を突きつけられたら母も精神を病んでしまうだろう。

 

 だからぼくはどんないじめにも、耐えた。母を愛していたからだ。

 母がぼくの部屋のドアを開けた。

「ほら、遅刻するよ。早く起きなさい」

「ごめん。今日は学校休む」

 その言葉を口にした瞬間、ぼくは吐血した。

「イヤーッ!」

 母が悲鳴を上げた。

「どうした⁉」

「なにがあったの⁉」

 父と姉が慌ててやってきた。

 その日、うちに初めて救急車がやってきた。

 

 病院について、あらゆる検査をしたが、ぼくの吐血の理由は誰も想像できなかったものだった。

 

   四、

 

「胃潰瘍ですねえ」

 と、五十八歳くらいのかっぷくのいい男の医者がレントゲンを見ながら、そう、診断した。

「胃潰瘍ですか?」

 母も、もしかしたら患ったことがあるのかもしれない。そんな口調だった。胃潰瘍で血を吐くなんて……。

 

「でも、原因が」わからないんですよねえ」

「どういうことですか?」

「胃潰瘍ていうのはですね、ふうつ、ストレスとか、暴飲暴食とかでかかるんですけど、中学生で、というのは、ちょっと聞いたことがないんですよねえ。わたしの経験でも初めてです」

 医者の説明に母はなにかを感じたようだった。おそらく、ぼくがいじめられていることを悟ったのだろう。

 ぼくはそう確信した。でも、やっぱり、ぼくは自分がいじめられていることを母に打ち明けようとは思わなかった。たとえ打ち明けたとしても、なにも変わらない。それが事実でもあり、現実でもあり、真実でもあったから。

 

 自分の身は自分で守る。それを果たすことで自分の中に〝誇り〟をきずいていく。

 それが、大人になる、ということだ。

 

 三日間、ぼくは学校を欠席した。そうして登校してみると、ぼくの想像のはんちゅうにはない出来事が起きた。

『起きた』という言葉は適切でないかもしれない。でもぼくには他に適した言葉が、ない。

 

「あんた、いじめられてるでしょう?」

 ぼくに話しかけてきたのはクラス委員長の女子だった。真理子、という名前で、正義感と責任感が強く、ウソが嫌いな女子だった。

「いじめられたら、いつでもわたしにいいなさい。守ってあげるから」

「そんなことしたら、キミがいじめられちゃうよ」

「大丈夫。わたし、けんか強いの。空手やってるから」

「ぼくは、弱い……」

 

 何年か前、姉が中学生だったころ、姉のクラスメイトが、自殺を苦に、焼身自殺した。

 いじめというのは、人を死に追い込む行為。つまり、〝暴行〟ではなく〝殺人〟だ。

 

 勉強のまったくできないぼくを、真理子は自分の志望する高偏差値の高校に入学させようと、ぼくに猛勉強を課した。そうして勉強の成績がよくなるにつれ、少しずつ、なぜか、ぼくはいじめられなくなった。

 

 そうしてぼくは、真理子と同じ高校に、奇跡的に合格した。いや奇跡ではない、恋の力だ。

『交際』という言葉をそのときのぼくは知らなかった。真理子も「付き合ってくれない」みたいなことはいわなかった。

 

 しかし、結果的に最初で最後になってしまったデート。ぼくたちは映画を見に行った。その暗い映画館の中で、真理子がぼくの唇に自分の唇を触れさせたのだから、やっぱりぼくたちの関係は『交際』だったのだろう。そうしてぼくは将来、自分は真理子と結婚するのだろうと、想像していた。

 

 その関係は、とっても長く続いた。大恋愛、だ。

 そういう言葉が存在することも、ぼくは、すっと歳月が流れてから、知った。

 

「ありがとう、真理子」

「はあ、なにが?」

「キミのおかげで、ぼくは強くなれたんだよ」

「そのようなことは、お気になさらないで」

 急に敬語になった。

「もしなんかあったら、ぼくに相談してよ。助けてあげるからさ」

 ははは、と真理子は短く笑ったって、

「弱いくせに」

 と、続けた。

「そんなことない!」

 ぼくのそのセリフの語尾は、自分でもビックリするほど強さに満ちていた。

 真理子はもう一度、笑った。

 

   五、

 

 映画館の中のファーストキスはやわらかいフルーツを食べているみたいな感じがした。

 このキスを、一生の宝物にしよう、とぼくは決意した。初めてのキスだからじゃない、真理子とのキスだからだ。

 

 いつだったか忘れてしまったが、真理子に訊いたことがある。

「ねえ、ぼくなんかのどこがいいの?」

「わたしがいい女だからよ。いい女はね、いい男を見つける特別な感性を神さまからもらえるの」

 真理子はぼくをからかってまた、ははは、と短く笑った。

 ぼくは真理子の笑った声と微笑みが大好きだった。

「それじゃあわかんないよ」

「わかんなくていいの、男は」

 そういって、また笑った。

 ぼくの心臓は激しく高鳴っていた。

 この笑顔を、一生見続けていたい。

 

   六、

 

 和尚さんのよむお経の声と正確な間を持って続く木魚の音だけが響いていた。

 

 通夜が終わったあとの深夜二時、母との最期の夜をぼくは姉と二人ですごした。

 まったく眠れなかった。

 ぼくの精神はすでにバランスをくずしていた。

 ゆらゆら。ゆらゆら。

 まるで、目を閉じて片足で立っているような心の状態。

 

 部屋の角にもうけられた棺桶のなかの母の顔に触りたい衝動にかられた。だが、透明なセロハンがぼくの願いを退けた。

 青白く、微動だにしない母に向かって、ぼくは、

「お母さん、ずっと一緒にいるって約束したでしょ。お母さん、ずっと一緒にいるって約束したでしょ」

 と、なんどもくり返しささやいた。

 

 日が昇り、朝になった。

 母と迎える最期の朝だ。

 昨日の通夜に参列してくれた親戚の人たちが、また訪れた。どういう関係なのか、どういう血縁なのか、ぼくにはまったくわからない人たち。おそらく、昨日今日で初対面の人もいただろう。そんなことはどうでもよかった。なにが、どうなろうと、母がまぶたを開けることは、絶対に、ないのだ。

 

 お経は、終わりそうになってはまた続き、その間ぼくはずっと母のあとを追うことだけを考えていた。その理由は明白だ。

〝お母さんとずっと一緒にいたい〟

 心の中でなんどもくり返した。

(お母さん、一緒に逝くからね)

 そのとき、

「カアーツ!」

 という響き声でぼくは覚醒した。はっ、とした。

 もしかすると、母のあとを追おうとしているぼくの生き血を吸おうとする悪霊どもを、和尚さんが追い払ってくれたのかもしれない。

 

 ぼくはこれまでの人生で経験したことのない、そう、こどものころいじめられていたとき以上の恐怖を

感じていた。身体がかすかにふるえていた。呼吸の音はあきらかに乱れていた。

 

 人は、病気や事故で死ぬんじゃない。寿命で死ぬのだ、といつだったか聞いたことがあったが、そのことをぼくは確かに覚えていた。たとえそれが、自殺であっても、それが、そのひとの、寿命、なのだと。

 

 そうして、長かったお経も木魚のぽくぽくといった音とともに、遠くへ去って行くように、ゆっくりと、静かに、終わった。

 そのあと、和尚さんが説法してくれたが、ぼくはそのありがたいお言葉を、純粋な気持ちで聞くことはできなかった。

 お母さんが死んじゃった。その単純な現実にぼくの身体は縛られていた。身体は自分の意志で動く、しかし、心はまったく動かない。

 

 男の子(年齢を問わず)にとって最大の喜びは、お母さんの幸福にあふれた満面の笑顔を見ることだ。そのために、大きな夢をいくつも抱く。夢を叶えることは手段を得ることであって、目的ではない。

 ぼくの少年時代の夢は、小説家になることだった。幼かったころ、お母さんが毎日本を読んでくれたから、ぼくも成長とともに、自分も物語を書いてみたい。小説家になりたい。そう、思うようになった。

 

 多くの少年が大谷翔平選手に魅了されプロ野球選手を夢見たり、本田圭佑選手の無回転フリーキックに憧れJリーガを志したりするのと同じようにぼくは小説家になりたかった。

 うちは貧乏だったから、野球のグローブやサッカーのスパイクをねだることはできなかった。原稿用紙と鉛筆と消しゴムだけなら、ねだっても許してもらえる。

 

 今だから思うことだが、ぼくは親孝行な少年だったと思う。でもそれゆえに、友達のいない少年時代をすごさなければ成らなかったことは、さみしい思い出になってしまったけれど。

 

   七、

 

「では、最期のお別れを……」

 と、いうすぐれた葬儀屋の丁寧な口調で言葉を発する直前、母のひつぎが完全に閉ざされるより先にぼくの身体は、永遠の眠りについているはずの母に向かった。正確にいえば『向かったのではない』、『引き寄せられたのだ』。

 青白く、冷たくなってしまっても、母のたましいは消滅していない、ということだろうか? ぼくのまばたきを忘れた目から、あの東日本をおそった巨大津波のように、涙が、あふれた。

 ぼくだけではない。父も、姉も、泣き声をかみ殺すことができず、号泣した。

 

 母の遺体が焼かれている間、昼食を食べた。冷めきったまずい弁当だった。ぼくはほとんどはしをつけないまま、外に出た。不意にタバコがほしくなった。ぼくは禁煙を解こうかと考えたが、我慢した。母が、タバコを嫌っていたからだ。

 この世を去るときにいやな思いをさせるのは、母に、しのびなかった。

 

   八、

 

 一睡もできなかった通夜の夜から、ぼくはまったくねむれなくなった。

 本当はなにもしたくなかった。だがそうはいっていられなかった。

 家事のすべてをぼくがやらなければならなかったからだ。理由は簡単。ぼくは一人暮らしの経験があるからある程度のかじはできたが、父と姉は、家事のすべてを母に任せっきりだったからだ。

 そこに、不眠だ。眠れないだけじゃない、肉体も精神も、どんどんおかしくなっていった。

 まず食欲が枯渇していった。マグカップ一杯の水さえぼくの身体は受けつけなくなった。きっと短期間に相当やせたと思う。

 不眠はさらに続き、ぼくは意識を失った。

 

 覚醒したとき、ぼくは自分のいる場所がどこなのかすぐにはわからなかった。

「ああ、ここがてんごくか? 意外に静かだな」

 とぼくは蚊の鳴くような声でつぶやき、そして、

「ふつうのベッドとなんらかわらないじゃないか」

 もう一言、弱弱しい声を発した。

 

「お目覚めですね」

 声のほうへ視線を移すと、三十三歳くらいの女性が、なんだかよくわからない機会をいじくっていた。

「病院ですか? ここ?」

「ええ」

「ぼくはどうして病院になんかいるんでしょうか?」

「突然倒れた、って、ご家族の方が」

 ぼくは自分が気を失ったことを覚えていなかった。

「そうだったんですか、はあ」

 

 不眠の記憶はある。

 母の介護のため、できるだけ起きている生活が続いた。おそらく、ぼくはこの病院のベッドでとても長い時間眠っていたのだろう。ぼくは身体がとても軽やかに動くのに驚いた。そうして、自分のしゃべり方や口調が、間の抜けたものになっていることが自身、よく理解できた。

 

「で、あなたは、いったい……?」

「見てわかりませんか? 看護師です」

 病院にいて、スーツ姿でも私服姿でもない女性が看護師だってことくらいわかれよ! とぼくは心の中で自分を𠮟責した。でも身体が疲労から解放されたためか、妙にテンションが高ぶっていくのを感じた。

 それにしても、白衣の天使がピンク色のコスチュームを着ていることをぼくは不思議だと感じていた。

「では、先生を呼んできます」

 そう言い残して、白衣ではない天使は病室から出ていった。そうして自分の左腕に点滴の針が刺さっていることに、ぼくはようやく気がついた。

 

 意識がはっきりしてきてので、ぼくは「ここ」に来るまでの記憶をさかのぼってみた。

『最後のお別れ』のときにに、号泣したあたりまでは鮮明に覚えている。そのあと霊柩車で火葬場まで移動し、霊柩車の中でも泣き続け、母の遺体が焼かれているときに食べたまずかった弁当。

 

 ぼくは一人になりたくて食堂の外へ出た。そこへ、ぼくのことを心配してくれたのだろう、見たことのないおじさんが歩みよってきて、タバコをすすめてきてのも覚えている。だがそのタバコを吸った記憶はない。そうして父の運転する車で帰宅したあたりから、ぼくの記憶は記憶でなくなっている。そうして、長い不眠と家事の疲労でぼくは気を失ったのだ。

 

 それにしても、ぼくはいったいどれくらいの間、眠っていたのだろう。なにか途方もない夢を見ていたような気がするが、その夢を思い出すことはできそうもない。

 

 そのまま、ぼんやりと考え事をしていると、さっきの看護師が彼女と同年代とお思われる、まだ若い医者と一緒に再びぼくの病室に来た。そうして看護師に、

「ヤタベさん」

 と、呼ばれ、自分がヤタベだということがわかった。

 

 看護師のいうしろから背の低い医者が近寄ってきてきた。ぼくは恐怖を感じた。

「ヤタベさん」

 見て目の若さからは想像できない野太い声だった。

「はい」

「ご自分の姓はお分かりなんですね」

「はい」

「下の名前はおわかりですか?」

「オサムです」

 医者は、もう、これで安心ですよ、といわんばかりの笑顔を見せた。

「意識をなくされた理由がわからないので、念のためメディカルチェックを受けてください。それじゃ、長谷川くん」

 ハセガワというのがどうやら、看護師の名前らしい。彼女は点滴の管を動かして、ぼくに車いすにすわるよううながしたが、ぼくは、

「自分で歩けます」

 と、いって、車いすをこばんだ。だが、ハセガワさんが、

「規則ですので」 

 と、少し困ったような表情を見せたので、ぼくは、しぶしぶ、車いすに乗った。

 

 採決、心電図、MRI,そして心療内科。他の患者もいたので、三時間ぐらいかかってようやく検査は終わり、また車いすをハセガワさんに押してもらって病室へ戻ってきた。そこにはさっきの若い医者がぼくを待っていた。ぼくはまたベッドに横になった。

「肉体的にはもんだいないんだすけどねえ、精神的にちょっとねえ……最近なにかつらいことはありましたか?」

「母が死にました」

「なるほど、それだ。お母さまの死でメンタルが弱っているんですね。よかった、原因がわかって」

 

   九、

 

 ぼくと真理子の関係は高三になっても続いていた。しかしある日、

「わたし、卒業したらアメリカに留学しようと思ってるの。英語の通訳になりたいんだあ」

「え、ぼくと別れるてこと?」

「そうじゃないけど、でも、今までどおりにはいかないかなあ、と思って」

「そう」

 ぼくはへこんだ声でうなずくしかなった。真理子と結婚するものだとばかり思っていたのに……ぼくはなにもいえなくなってしまった。

 絶望。

「それじゃあ」

 それが、真理子の最後の言葉だった。

 ぼくは大学受験もせず、就職もせず、破滅した日々をすごした。

 一日のほとんどをベッドの上ですごした。

 

 半年がたった。

 その間、真理子に関するうわさがいくつも流れた。例えば、同じように英語通訳者を目指して渡米した男と結婚した、とか。

 絶望。

 真理子も、母もいない人生なんて、生きてる意味ない。

 もう、死のう。

 

 2023年3月11日。母の命日にぼくも死ぬことにした。

 母だけでなく、震災で多くの人が大切な人を亡くした日に、ぼくも死ぬ。もう生きてるのがつらくてしかたがねえんだ。

 お父さん、お姉ちゃん、いろいろありがとう。

 サヨナラ。

 

   十、

 

 この物語を最後まで読んでくださったみなさん、心より感謝申し上げます。

 こんなことをいうと、みなさんに怒られてしまうかもしれませんが、この物語はすべて、ぼくが想像した作り話です。

 

 みなさん、どんなにつらいことがあっても、絶対に自殺などしないでください。仕事もしていようがしていまいが、学校に行ってようが行ってなかろうが、自殺したら、また、つらい人生を初めからやりなおさなくてはならないのです。

 そんなのイヤですよね?

 もし死にたくなったら、ぼくの小説を読んでください。主人公が、あなたの代わりに自殺してくれます。みなさんは、どうか、生きてください。

 

 最後に、ぼくから、今、しのうとしているあなたに、メッセージを、

 

 生きてるだけで、いいんですよ。