君の深いところに響いている 19




こうしてオレはようやくまーくんのそばに来れたわけなんだけど、オレとまーくんがドルフィンカフェで出会ってからの話は、もうあなたもよく知ってることだから、話すことはほとんどない。


お揃いのバンドの時計をわざわざ見せたのは、気を引きたかったから。


バイト初日に、一緒に水族館をまわらないかって誘ってくれたの、すごく嬉しかったよ。でも、あの日は潤くんの家庭教師に行く日だったんだんだよね。



オレね、まーくんの知らないところで着々と五十嵐家に入り込んで行ってたんだ。潤くんは可愛かったし、真面目で一生懸命だからこっちも熱心になる。だから潤くんはオレに懐いてくれたのかな。ひろ子ちゃんと一緒に過ごすのは楽しかったし、五十嵐先生は優しかった。


翔さんとはあんまり接する機会はなかったし、ちょっと取っつきにくかったかも。でも、あんな風に思われてたなんて考えもしなかった。でも、まあ、そうだよね。同じ大学。同じバイト。父親が五十嵐先生の元患者。偶然が重なり過ぎだって思うよね。心療内科に通ってるという嘘もバレてたし。



それから、智さん。

アトリエで智さんに押し倒されたって話。あれさ、きっと気になってるよね? うん。オレがね、智さんをなめてたんだな。


まーくんがさ、オレに自分の秘密を打ち明けてくれた夜があっただろ?

あの時ね、まーくんが言った言葉がオレの胸にずっと引っかかってた。まーくんはね、自分は普通じゃないって。兄弟の中で自分だけが異質だって。そう言ったね。


それが理由であなたは父親から愛されないんじゃないかって悩んでた。



オレはそれに反論したよ。なのにあなたは弱々しく首を横に振って言った。



やっぱり俺だけが違うんだ、という感じは簡単には拭えない。



ってさ。



まーくんの抱える問題は、オレがそばに来たからって解決出来るような単純なものじゃあなかった。



そばにいる。あなたの笑顔のためなら何だってする。そう思っていたけど、実際は難しくて。オレに出来ることって何だろうって。いつも考えていたよ。



だから。だからね。思いついたの。



まーくんが兄弟の中で異質じゃなくなればいんだ。そのためには、他にも異質な仲間を増やせばいいんだ、って。そうすればまーくんはひとりじゃなくなる。



別に本気で誘惑しようなんて思ってなかった。男のオレに対して、ちょっとドキドキしてくれたらいいかなって。そしたらさ、まーくんが家族にカミングアウトした時にさ、理解者になってもらえるんじゃないかって。そういう気持ちもわかるよ、って。



ターゲットを智さんにしたのは、そういうのに弱そうかなあって思ったから。翔さんは手強そうだし除外。それから、流石に中学生の潤くんにそういう手を使うのはダメだと思ったし。



智さんにアトリエに入れてもらえた時さ、チャンスだと思った。



でもね、智さんってさ、オレが思うよりもずっと大胆な人だったんだよね。大胆っていうか、豪快っていうか。というか、遊びに乗ってやろうって感じだったのかな。オレは遊びでやってたわけじゃないけどさ。まあ、オレよりも1枚も2枚も上手だったってこと。


ドキドキしてくれるくらいでよかったのに、押し倒されちゃったもんだから、それからは智さんには近寄らないようにしたよ。怖いもん。







君の深いところに響いている 18





若さっていうのは恐ろしい。あの時のオレはとにかく勢いにまかせて、がむしゃらに突き進んで行ったよね。今、冷静になって考えると自分でも引く。


まーくんにまだ認識もされてないのに、オレがあなたを絶対に幸せにするんだって。あの自信はどこから来ていたんだろう。いや、自信というよりは、思い込み? 


よく言えば、情熱家なんだ。オレのこと、飄々としているとかクールだとか言う人もいるけどさ。ほんとは結構エモーショナルなの。



でも、やってることがガキだったよね。



その点、松岡さんは大人だった。相手の気持ちを尊重し、無理に踏み込まず、愛を押し付けることもない。



松岡さんがオレのことをどう思ってたのかは知らないけど、正月に五十嵐家で会った時に、オレにまでお年玉をくれてさ。なんか、居心地悪かったよ、あれは。


松岡さんの方は余裕でさ、まーくんとお揃いのオレの腕時計のバンドを見て、ちょっと微笑んだりしてさ。ちょっとばつが悪かったね。あのバンドは松岡さんに教えてもらったからね。あー、コイツ、あの時見たやつ買ったんだな、とか思われてないかなって。オレがいつどのタイミングでこれを買ったかなんて松岡さんが知るはずもないのに。



直接松岡さんには言えなかったけど、心の中で思ってたよ。



オレとまーくんは、ふたりで幸せになります、って。



その頃はもう、まーくんを絶対に幸せにするんだ、なんておこがましい考えはなかったから。



だって、その時はもう、まーくんはそんな、人に幸せにしてもらうようなやつじゃないってわかってたから。ちゃんとね、自分で幸せになる力を持ってる人だもん。目標立てて、覚悟を決めて、進んで行ける人。いつも全力で物事に向き合い、愛と情熱をそそぐことが出来る人。まーくんは本来そういう人なんだ。



あなたはよく、カズのおかげ、なんて言い方をするけど、それは違うよ。オレはきっかけに過ぎない。あなたはちゃんと大きな翼を持っていて、飛べる人だった。



だけどね、オレが見つけた時のあなたは迷子みたいだったから。松岡さんに見せてもらった淋しそうなまーくんの写真を見て、余計に思った。



早くあなたのそばに行きたい。

あなたのそばに行って、抱きしめて、オレがいるよって言いたい。

あなたの笑顔が見たい。

オレが出来ることは何だってしたい。

あなたはひとりじゃないって、伝えたい。






夏休み前に、やっと水族館のバイトが募集されて、ドルフィンカフェでの採用が決まった時は、本当に嬉しかった。ずっとずっとこの時を待ってたんだから。あなたに会える日を。



初めてバイトに入った日。



みんなに紹介されて、その時、あなたと目が合った。オレは思わず微笑んだ。あの時思ったことはひとつだけ。






やっと、会えたね。




















君の深いところに響いている 17




オレね、松岡さんとまーくんの関係が知りたくて、いろいろ聞いたんだ。


もちろん、松岡さんは決定的なことは言わなかったよ。2人がどういう関係だとか、自分がまーくんのことをどう思ってるとかさ。


でも、まあ、うっすらと想像は出来た。だけど、後々まーくんが松岡さんとのことを『セフレみたいなもん』なんて言い方をした時はショックだったな。


肉体関係があったんじゃないかって覚悟はしてたよ。だけど予想してた、ってことと、それが本当に確定するってことは全然違っていて、また別の感情に襲われるんだってことを知った。


ああいう負の感情は、あんまり味わいたくない。だけどそれとは別に、松岡さんに対してそんな言い方をするまーくんに腹が立った。


いや、違うな。腹が立ったわけじゃない。なんかさ、あの時は松岡さんに申し訳ないって思ったんだ。


まーくんが、オレのこと好きって言ってくれて、恋人同士になって、さあ、次のステップに進もうか、なんてさ。完全に松岡さんのことを置き去りにしてたもん。あんまり考えたくなかったんだろうな。オレが松岡さんからまーくんを奪ったような気がして、どっかで罪悪感があったんだよ。


だから、まーくんに腹を立てることで帳尻を合わせようとしたのかもしれない。


それとね、まーくんはちゃんと知るべきだと思ったんだ。そうでないと、オレたちは前に進めないような気がした。


まーくんが松岡さんと話をしてくるってオレに言った時さ、ほんとは不安だった。あの人の気持ちを知って、まーくんの心が揺れたりしないだろうかって。戻って来なかったらどうしようって。


ああ、でも、この気持ちはもう話したことだよね。あの時、ちゃんとまーくんに伝えた。だから、話を元に戻すね。松岡さんと食事に行った時の話に。



その時、オレは松岡さんにねだって、まーくんの写真を何枚か見せてもらった。松岡さんのスマホの中にあった写真。


どのまーくんも、何だか哀しそうで、淋しそうだった。笑っている写真すらも。


空虚な黒い瞳は暗くて、光を映していなかった。誰も信じてなくて、誰も愛してなくて、誰にも心を許してないみたいな。







この人、どうして、こんなに淋しそうなのかな? いろんなことをあきらめて、深い海の底でひっそりと生きてるみたいに見える。


オレはつぶやくように言った。


松岡さんは驚いたようにオレを見た。写真を見ただけで、なんでそんなことがわかるんだろうって思っただろうね。


そうだな。こいつがいろいろ悩んでることは知ってるんだけどな、俺は何もしてやれねえんだ。俺が出来ることは、こいつが悪いやつらの餌食にならないようにすることと、見守ることだけだ。



松岡さんは、少し歯痒そうに、少し淋しそうに言った。



見守るだけ、って。また中途半端なことしてるんだね。踏み込めないのは年齢のせい?  そりゃあ、順番で言ったら松岡さんの方が早く死ぬよね。愛があれば年の差なんて、とか言うけどさ、現実問題、いつまでもそばにいられるわけじゃないし。それに松岡さんは超多忙だし。あなたを必要としてる人が他にもいっぱいいる。だから仕方ないんだろうけどさ、だけど、たまに手を差しのべて、その時だけ甘やかすってのは、却って罪かもよ? 先のことを考えたら、それが良いこととは思えないね。この人を余計にダメにするんじゃない?



オレは言ってやった。



松岡さんは、オレの言葉に少しショックを受けたような顔をした。




オレみたいに若かったらさ、ずっとこの人のそばにいられるよ。もしも俺が愛する人に出会ったら、中途半端なことはしない。その人のためなら人生だってかける。その人を幸せにするためなら何だってする。長生き出来るように努力もする。健康にも気をつけるし、危ないことはしないし、危ないものには近寄らない。あなたみたいに命を削って働いたりもしないし、無理もしない。免疫力を上げるためにいつも笑って、そんで笑わせてやる。いつもそばにいる。何でも共有する。嬉しいことは2倍になるだろう。哀しいことだけが半分になる、なんてことはないだろうから、それも2倍になるかもしれないけど、一緒に乗り越えるためにありとあらゆる方法を考える。ありったけの愛をそそぐ。見守るだけ、なんてことはしない。一緒に飛んでやる。




あの時、オレがぶちかました演説を、松岡さんは一体どう思っていたんだろう?



まるで宣戦布告だもんね。



あの日以来、オレと松岡さんが連絡を取ることはなかった。



松岡さんが、まーくんとも連絡を取ってなかったってことは、後になって知ったんだ。





君の深いところに響いている 16




松岡さんとは駅前で待ち合わせをして、そのまま歩いて店まで行った。


連れて行ってもらったのは隠れ家的な小料理屋で、落ち着いた雰囲気の個室に通された。


料理や酒の頼み方から、松岡さんの馴染みの店なんだなあって思ったよ。馴染みの店で、好みの料理とそれに合う酒を注文する。そういうのが大人っぽくてまたかっこよかった。


例えば、油ののった焼き魚にはひやを。刺身には冷酒を。厚揚げ焼きには焼酎のお湯割りを。




ジュースみたいだけどな、これは実は味噌の風味に合うんだ。



そう言って松岡さんがどて煮に合わせたのは綺麗なピンク色の液体だった。知ってる? バイスサワーって。下町の大衆居酒屋に置いてある飲み物なんだって。


興味津々のオレに、松岡さんはアルコール抜きのバイスソーダを頼んでくれた。飲んだら懐かしい味がした。おばあちゃんちで飲んだことがある、シソジュースの味だった。


こんなタイプのものまで好きだなんて、きっと相当な酒好きなんだなって思った。



この料理にはどんなお酒が合うの?

これは?これは?って、オレがあれこれ尋ねると、松岡さんはいちいち丁寧に説明しながらどんどん飲んだ。ほんとによく食べてよく飲む人だった。豪快なんだけど、それでいて粋なんだよなあ。


酒が進むと、松岡さんは饒舌になった。いろんな面白い話をしてくれたけど、五十嵐家の話になった時、オレはさりげなくまーくんの話へと誘導して行った。オレと同じ大学に通ってる息子さんがいるって先生からきいたけど、なんて言って。



以前、まーくんに、松岡さんと食事に行った時の話をしたよね。その時オレは嘘をついた。



松岡さんは酔っぱらって散々まーくんの話をしてた、なんて言ったけど、本当は違うよ。オレが根掘り葉掘り聞いたの。


まーくんの写真も見せられた、なんて言ったけど、本当はオレから見せて欲しいって頼んだんだよ。



腕時計の話もそう。松岡さんの方から腕時計の話をしたかのようにオレは言ったけど、ほんとはオレの方から腕時計の話を振った。


まーくんのこと、知りたかった。

それから、まーくんが松岡さんとどんな関係なのかも気になってたし。



でも、話を聞いてよくわかったよ。



あの人はね、本当にまーくんのことを愛していた。





🍀🍀🍀


ここに出てくる料理屋さん。

Your Eyes5-8でまーくんと松岡さんが行ったのと同じ店です。



ちなみにこのお店は他にも出てきてる。カノープスでは創作居酒屋って言うてるけど。まあ、同じような感じかな?


カノープス本編affection5

カノがふみくんと10年ぶりに再会して、ふみくんに誘われて行ったお店。


カノープス番外編も番外編

さしも草2

翔さんといぶき君がこの店でよもぎの天ぷらを食べるってやつね。


架空のお店ですけど。







君の深いところに響いている 15




松岡さんと食事に行ったのは、先生の部屋で会った日から2週間後のことだった。


その間に、まーくんが松岡さんと会っていたのをオレは知ってる。相変わらずダイオウグソクムシに話しかけるあなたを、オレは見ていたから。



あなたは言ったね。



俺はひとりぼっちだ。誰もほんとの俺を知らない。そんな人は、この世界にいないんだ。



それは、呟くような静かな声だったけど、まーくんの心の叫びだった。



もどかしかったよ。今すぐあなたのそばに行って、あなたを抱きしめたかった。オレがいるって、伝えかった。あなたはひとりじゃないって。


だから、思わず声に出して言っちゃったんだ。




ここにいるよ。



って。



まーくんはダイオウグソクムシがしゃべったんじゃないかって驚いていたけどね。あれはオレ。オレだった。


あの時ね、すごく慌てたよ。もしもまーくんがこのカラクリを知っていたら、オレはすぐに見つけられて、盗み聞きしてたことがバレてしまうって。



だけどあなたは知らなかった。だから気のせいだって片付けて、かかってきた電話に出た。



もしもし、松兄?って。



囁くような声だったけど、オレにはちゃんと聞こえた。



ほんと? 嬉しいな。じゃあ、俺、一旦うちに帰るからさ、迎えに来てよ。今夜は松兄のとこ、泊まってもいいでしょ?



あなたは甘えるような声で言った。




その時、オレの心は、またざわざわと波立った。



まーくん。あなたの幸せを祈っていたはずなのに。あなたには幸せになって欲しいって願っていたのに。いや、その気持ちは本当だった。



あなたを独占しようなんて思ってない。あなたの幸せを心から祈ってる。あなたから愛を貰おうなんて思ってない。だけど、あなたに特別な人が出来るのは嫌だ。他の人のものになるのは嫌だ。あなたとあの人が愛し合うのは嫌だ。あなたに愛を与えるのはオレでありたい。あなたを幸せにするのはオレでありたい。


オレが、あなたを幸せにしたい。オレだけが。



この時は、そういう思いに強くとらわれていたから。だから。



松岡さんと食事に行った時、オレは松岡さんに余計なことを言ってしまった。



あなたから松岡さんを遠ざけたかったんだ。






9月15日

嵐結成記念日

おめでとう

ありがとう

いつまでも大好きです