気功療法
あの世から戻った超スーパー気功療法師
橘奎志
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こんにちは。
今日のえらいこっちゃシリーズ第4回も伏線のお話です。トゲはありますが、当時感じたそのままを表現してます。感情って難しいですね。ほな今日も長いよ、いってみよ。
7月の滞在は、初日から雰囲気が違いました。前回よく聞いた「ありがとう」の言葉は鳴りを潜め、原因不明の違和感が毎日チクチクし、血圧は2日目から爆上がりしました。いちばん当惑したのは祖父母の写真です。戻った初日の挨拶では、ギロリと睨まれたようでギョッとしました。日に日に怒りが増していくように見えて、理由が分からず戸惑いました。
滞在中、私にとって大きな事件が2つありました。
ある日兄夫婦が来ました。最初2人からとげとげしい雰囲気を感じましたが、食事会は和やかに進み、お土産のスイカに母は舌鼓を打ちました。「最初の違和感は気のせいかな?」食事の後で、お茶の用意をしながら油断していた時です。1人で立ち回る私を見ながら、兄が言いました。「まみってタダやし便利な家政婦やんね、ウチのもやってよ。」4人はドッと大爆笑、大ウケでした。
そして父の首に、むかし旦那ちゃんが父にプレゼントしたゲルマニウムのネックレスを発見すると、兄は胡散臭そうに言いました。「なにそれ?ゲルマ?あ~、宗教とかで買わせる高額の壺みたいなヤツっちゃなかね?それ効いと~と?」すると父は言いました。「さ~?分からん。」これまた4人は大爆笑。私は怒りをこらえるのに必死で、全く笑えませんでした。
もうひとつは西宮に帰る2日前のことです。
その日の夕方、マンション全体のテレビがフリーズし、お隣さんが様子伺いでウチに来ました。「娘です」と挨拶すると、お隣さんはひどく驚いて言いました。「娘さんいたの!?息子さんの話はしょっちゅう聞くけど、娘さんの話なんて聞いたことない!!」といってマジマジと私を見つめました。振り返ると、「バレた」という表情の母がいました。私と目が合うとサッとそらして背を向けた母の様子から、母が意図的に私の存在を消していたように感じました。
私と両親や兄とは、「仲良し家族」という言葉からイメージするような和気あいあいの親密な関係ではありません。といっても、パッと見はどこにでもいる平凡な家族関係に見えます。ただ兄は、昔から何かにつけ競争心むき出しで突っかかってくるので、正直苦手でした。母も、理想とする娘像とかけ離れた容姿の私を受け入れられない心が、隠しきれていませんでした。それらを無意識で感じていた私は、いつもケンカ腰でした。
しかし、私は大人になって旦那ちゃんと結婚し、旦那ちゃんやMのおばちゃん達から「無限の愛」で包んでもらい、学びました。今の私は過去を消化し乗り越え、両親や兄夫婦を「愛で繋がる家族」として認識しなおしたつもりでした。
そして、科学至上主義の父も母も、気功を受けてその威力を実感し、科学だけでは説明できない世界を体験しました(気功療法で変わる人生)(今年こんなんあったんです③)。兄も、前回の滞在時に2人きりでじっくり話す機会があり、お互いの誤解が解けて理解しあえたように感じました。だから、以前とは違う家族関係を新しく築き始めたと、バカ正直に信じていました。
しかし、何も変わってはいませんでした。ここの4人にとって私達夫婦は家族ではなく赤の他人で、私は「タダでこき使える便利な使用人」であり、旦那ちゃんが心血を注ぐ「健康の為の、気功やその他の活動」を、未だにインチキと思っている-そう感じました。もしかしたら、4人はそんなつもりは全くなく、単なるウケ狙いの軽いノリだったのかもしれません。でも私の心は砕けました。
笑顔が消えたまま残りの数日を過ごした後、私は痛む心を抱えて旦那ちゃんの待つ西宮に帰りました…旦那ちゃんにも問題が起きていたことも知らずに。
この後、いろいろ事件がわちゃわちゃし始めます。
ほなまた続きは後日。
全ての方に支えられて、私たちがあります。
これからも愛と魂を込めて、気功療法を送り続けますね
ありがとうございます。
明日も光輝く一日になぁれ