大切な我が子をなくしてから、

何か諦めたことはありますか?



長男とたくさん遊ぶこと。

長男の笑顔をみること。

長男のことを抱きしめること。

長男の成長を楽しむこと。



他にもたくさん。

もう数えきれないほどに。

それはとても

寂しくて苦しくて悲しかったです。



あの頃はまだまだ

長男がいなくなった現実を

自分でも認めたくなかったし

受け入れたくなかったんだと思います。



でも今は。



私のこれからの人生は、

長男がいなくなった人生なんだ。

これはどうやっても変えられない。

そんなふうに、

少し諦めにも近い感覚です。



その諦める感覚が

なんだかすごく嫌でした。




そんなとき。

『諦める』という言葉の意味について

偶然なんですが、

興味深いことを見つけました。



現在、諦めるという言葉は、

断念するとか、ギブアップする

というようなネガティブな意味で

使われていることが多いと思います。



私もこの意味で

諦めるという言葉を使っていました。



私も諦めるに対して、

ネガティブな印象だったから

嫌だと感じていたんですよね。





でも本来は

『諦める』とは明らかにする

という意味に近く、

諦めると明らかは言葉として

同源なのだそうです。



『諦める』は

物事の真実の姿やありさまを

明らかにすることで

やっと諦められるというニュアンスを

もともと含んでいるのだそうです。



でも今の日本語ではいつのまにか、

大切な「明らかにする」という

大切な土台がごっそり抜け落ちて

望んでいることを途中でやめる

という意味ばかりで

使われるようになったのだそうです。





長男がいなくなってしまったことで

できなくなってしまったことや

叶わなくなってしまったこと。

数えきれないぐらいに

たくさんたくさんあります。



でもそれは、

決して投げやりでネガティブな

諦めではなくて、

長男がいない新しい人生を歩む。

そんな覚悟から出てきたこと

だったんですよね。



そしてその覚悟が出てきたのは

やはり長男がいないという現実を

受け止めることができるように

なってきたから。

そんなふうに思います。



そんなふうに思えると、

覚悟をもって

私に残された人生を生きないといけない。

そう強く思います。





これが私の、

長男がいない世界で生きていくための、

『諦める』ということなのかなと

思いました。



大切な我が子がいない世界で

大切な我が子がいない

新たな人生を歩む。



それってどういうこと?

それには何が必要なの?

一緒に考えましょう。







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