長女や次男は、長男のこと

どれぐらい覚えているのかな?

そんなことを、ふと考えます。


先週末の朝のことです。

我が家にはお仏壇があり、

通称「◯◯(長男の名前)のおうち」

と呼んでいるのですが。


家にいる食事のときは、

いつも長男にも取り分け、

おうちのところに置いています。

その準備はいつも

たいてい私がするのですが。


先週末の朝食のとき、次男が突然、

「◯◯(長男の名前)、チョコパンが

 いいって。お空から聞こえた。」

と言いました。


そして長男のチョコパンを準備して

長男のおうちのところに

持っていってくれました。

長女がそのあと、おりんをならして。

長男の朝食準備は完了!





そのあと、みんなで朝食を食べました。

ほほえましい朝の光景でした。



長男がお空にいってしまったとき、

次男はやっと歩き始めたぐらいで、

大人が理解できるような

言葉らしい言葉は話せませんでした。

そんな年齢でした。


私自身、そんな年齢のときの記憶が

あるかといえば、、ないです。


なので、次男の中に、

長男の記憶があるのかも

定かではありません。


たぶん長男の記憶らしい記憶は

次男の中にほぼないんだろうなと、

親としては本当に寂しいですが

そんなふうに思っています。


でも違う視点で考えると、

記憶が曖昧なことで、

死別のこのとてつもない苦しみが

少しでも和らいでいるのであれば、

それはそれで次男にとっては

いいことなのかもしれないと。





そんなふうに思うこともあります。

でもそれは実際に、

次男がどう思うかはわかりませんが。



私の想像ですが、次男は

お仏壇=長男

のような認識をしているのかな?

と感じています。


次男に長男はどこにいるのか尋ねると、

お空と答えてはいますが。


先週末の朝のできごとは、

次男には

長男の記憶はほとんどないけれど、

たしかに長男と過ごした日々は

存在していて、

長男と次男にしかわからない絆が、

たしかに存在している。

そんなことを思わせてくれるものでした。



でも、ある天使ママさんのSNSに

こんなことが書いてありました。


親の想いもあるけれど、

例えその親の想いと

遺された子どもたちの想いが

違ったとしても、

子どもたちそれぞれが感じる想い

を大切にしたい。





それを読んだとき、

本当にその通りだなと思いました。


私が長男に対して、

長女と次男にこう思ってほしいとか

こう感じていてほしいとか

正直、そんな想いが沸き上がる

ことはたくさんあったりします。


それは自然なことだと思います。

それはそれで、

自分の想いとして大切にします。


長女や次男が、長男に対して

今どのように感じているのか

はっきりはわかりません。


この先成長するにつれて、

長男がお空にいったことを

しっかりと認識する日も

来るでしょう。


そのときに、

どのように感じて

どのように長男と向き合って

どのように長男とともに生きていくのか。


それも誰にもわかりません。


私はこれから先、

長女と次男がどのように感じたとしても

その2人の想いを

大切にしたいと思います。


そして、成長の過程で

グリーフで苦しくなることが

あったとしたら、

そのときにはそばにいて、

その苦しみを共有できる。


長女と次男にとって、

私はそんな存在であり続けたいと

思っています。