みなさんは、悲しみとどのように

向き合っていますか?

悲しみを見たくないと

蓋してしまうことありませんか?


長男がお空にいってしまったあと、

直後とか最初の頃は、ずっとずっと

長男のことを考えていました。

というか、何もしなくても、

何も考えなくても、

自然に長男のことでいっぱいでした。

考えようとか、思いだそうとか

しなくても。


でも。いつの頃からか、

長男のことを深く考えることを

避けてしまっている自分がいます。

そのことから逃げています。

それは長男のこと、

忘れているというのとは違うのですが。


良くいえば、

悲しみの逃し方を学んだってこと?

悲しみとうまくつきあっていく術を

身につけたってこと?

なのかもしれません。


長男の写真や動画は、いまだに

数えるほどしか見れていません。

直後の頃は、長男の写真を

部屋いっぱいに飾ろうと思っていました。


しかし。

写真の整理がまずできない。

する勇気がありません。

元気だった長男をみるのが辛いです。

そのことは、長男がいない

今の現実を無条件に突きつけられること

だからだと思います。

なので、うちには生前飾っていたものと

遺影以外は、写真は増えていません。


敢えて深く考えないようにしている。

これが言葉ではいちばん

しっくり来るのかな?と思います。





「ずっと考えています。」とか、

そんな方の投稿を目にしたり、

お話を聞いたりすると、なんて自分は

薄情なんだとか、

長男のことを想えない最低な親だなとか

いろいろ思ってしまいます。


私自身、まだまだ悲しみと

しっかり向き合えていないように

思います。


思い出して向き合い出すと

蟻地獄のように、

悲しみの底なし沼にはまって、

もう這い上がってこれない気がして。


長男がいない現実を

直視する勇気がなくて。


長男がいない現実を

突きつけられる恐怖で。

そこをずっと避け続けてきました。


自分が苦しむのが嫌だからという理由で。

長男のこと、深く考えることを

避けています。逃げています。


最近読んだ本の中に、このように

なるべく悲しみを

考えないようにするのも、

悲しみへの向き合い方のひとつなんだ

ということが書かれていました。


今まで悲しみから逃げて

避けている自分に、

とても罪悪感がありました。


でも、こんな私も

悲しみと向き合っているのかな?

向き合えているのかな?

と、少しそんなふうに思えました。

悲しみに向き合うことは、

簡単なことではありません。


今は難しいと思う向き合い方でも、

時間がたてば受け入れられることも

あります。


自分が良いと思える方法やペースで、

これからも私の中の悲しみ、グリーフを

大切にしていきたいと思います。


いつか、少しでも穏やかな気持ちで、

楽しい思い出をたくさん思い出して

笑えたらいいなと思います。

長男もそれを望んでるよね。

ごめんね。今は少し許してね。