長男がお空にいってから、

まだ日が浅かった頃。



ちょっとした瞬間や、何気ない光景は

なんでも長男を思い出すきっかけに。



買い物に出かけていても、

車に乗っていても、

何をしていても、どこにいても、

突然、涙があふれてくる。

そんな生活が続いていました。



これから、どう生きていけばいいのか?

長男のところにいきたい。

何度も何度も、そう思いました。



でも、、

自分で死ぬ勇気さえも

ありませんでした。



その頃、「死別」とか、

「大切な人を亡くした」とか、

そんなキーワードで、

ネットやYouTubeなどで

いろいろ検索していました。



そこで、ある僧侶の方のYouTubeに

たどりつきました。



大切なあの人のために、

今の自分にできることは何か。



大切なあの人のために、

私たちができることは、

祈ることである。

そんなお話だったと思います。



今まで宗教に信仰が

深かったわけではありません。



でも、長男がいなくなったこの世界で、

長男にもうこの先、

何もしてやれることはない。



その絶望の真っ只中にいた

当時の私の中に、

とても自然に、

すっと入ってくる感覚でした。



そのお話は、当時の私には

救いのようでした。



今のこんな私にも、

長男にしてやれることがあるんだ。

長男への想いは、

すぐにあふれてきました。



ずっと、楽しく、元気でいてほしい。

ずっと、笑って、

穏やかに過ごしていてほしい。



その日から今日まで、

毎日かかすことなく、

長男に祈りを捧げ続けています。

これだったら、これからも

ずっと私にでもできる。



これは、絶望と無力感に支配された

私にとっての救いであり、

私自身のグリーフケアにも

なっています。



今日も、長男が、

笑顔で穏やかでありますように。

今日も、祈りを捧げます。