まといのばブログにて、おすすめされていたメディシンボールが、先ほど届きました!
(引用開始)
その基礎とは何か、、、ここで書くには余白が足りない(by フェルマー)なのですが、まあ、余白は冗談としても、書いて分かることなら、もうさんざん書いてきています。
一言で言えば、臨場感です。
シンプルに言えば、気の玉を落とさないこと、気の玉をきちんとつくることです。
作った端から、落としていく人、作った端から、壊していく人、作った端から、消していく人、たくさんいます。
これは結構、単純に改善できます。
たとえば、メンター受講生のようなセミプロたちにはメディシンボールを勧めています。もちろん手のひらより少し大きめの目覚まし時計もかなり良いです。
(引用終了)
引用した記事内でお教えいただいているように、
まず、メディシンボールを持って、その持っている感覚を保持したまま、まったくそっくりに真似して、気の玉を持ってみました。
確かに、
気の玉の存在感が全く違う。
試しに、メディシンボールを持つ前の、自分のやり方で作った気の玉と比べると、
自分のやり方で作った気の玉は、丸くできてない!
気の”玉”になっていない!
ということが、ありありと分かりました。
そして、
またメディシンボールを持ち、その感覚を保持したまま、気の玉を作って、持ちました。
気の"玉"を「持ててる」感覚はある。
でも、
上下の丸みや、前後の丸みの感触が分からない、気の玉を回す感触が分からないの、で、
またメディシンボールを持って、ボールを回すときの両手の感覚を覚える、両手を上下にしたときの感覚と、前後にしたときの感覚を覚える、ということを行いました。
そして、それらの両手の感覚を保持して、また気の玉を作り、
その両手で、気の玉を上下、前後に、回して、上下で止めて持つ。前後で止めて持つ。
これは、、、、、、
とても難しい。。。
この記事を書きながら、何度も繰り返していますが、
現時点では、ゆっくり、丁寧に、行って、何とか、丸い気の"玉"が作れている感覚です。
(これは何度も何度も練習しなければ。)
ただ、
また、以前の、自分のやり方で作っていた気の玉と比べてみると、
明らかに、"気の玉"が作れるようになっています。
これが、臨場感、ということか。
まだまだできてない現時点でも、before-afterの気の玉の臨場感の差を明らかに感じます。
これは、自信を持っておすすめできるワークとなりました。
練習、練習、練習、
ひたすら練習を繰り返して、良い報告がみなさまにできるようがんばります。(燃えてます。)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
