職場に「おれは合理主義者だから~するんだ」というセリフをよく言う方がいるのですが、私としては、その行動はとても合理的には思えません。

 でも、その人にとっては間違いなく合理的な行動なのでしょう。

 

 じゃあ、どちらの意見が正しいのか。

 

 それは「誰にもわからない」のです。



 人は完全合理にはなれないが、かといって完全に非合理でもない。その人が認識しうる合理性の範囲内で合理的に行動することしかできない。すべての人間は「限定合理的」なのである。

 そんなことを大学3年のころに受けた講義で学びましたね。

 

 思えば、大学2年から3年にかけて、私のモノの考え方、捉え方は大きく変わった気がします。

 

 それほど頭のよくない文系学部卒業の私ですが、「大学に行った意味はあった」と、就職した今になって思います。

 今週は、帰宅時の路線バスを目の前で見送ること3回(3日)。
 シチュエーションはすべて同じ。バス停直前の信号で、赤信号につかまり、バスが目の前を通過していったのでした。
 他の日は職場の会合があったので、つまりそれ以外すべて乗り過ごしたということです。
 まったくタイムマネジメントができていません。

 
 バスの時間にあわせて、「いつまで職場にいられるか」を考えているのがダメでしたね。
 
 人に会う約束も同じですが、ちょっと早めに出て目的地(またはその周辺)に着いておいて、そこで所定の時間まで何をして過ごすか、を考えないといけなかったのでしょう。
 私がまさにそうですが、常に悩んでしまうような性格の人はいます。
 最近は無理やりプラス思考を心がけたり、考える前にまず行動、みたいなことを意識しているところですが、改善できているところもあれば、そうもいかないときもあります。
 
 そういう人は結局、予期不安、誇大妄想、被害妄想に悩みます。
 常に超最悪なケースを想像しているため、現実にはそこまでひどいことにはなりません。案ずるより産むが易しのことが多いのです。「そこまで心配して損をした」ということばかり。
 
 そして、一つの悩みが終わったところで、また次の悩み事に悩まされます。
 
 仮に日常の悩みが完全になくなったとしても、「自分はいつか死んでしまうんだ」ということで悩んでしまうでしょう。
 
 どこまでも悩み続けてしまうのです。