今日は時間があるので、もうひとつ。
最近強く自覚し始めたことなんですが
私、結構今の状況にコンプレックスや焦りを感じているんです。
共感して頂ける方がいらっしゃるんじゃないかと思って
書かせて頂きました(^^;)
結婚を機に、相手の親戚の方や会社関係の方にお会いする機会があるんですが
その時に必ず
「仕事はしてるの?」
「どんな仕事してたの?」
「何して過ごしてるの?」
こんな質問をされるんです。
相手に悪気は一切なくて、単純によくある質問をしてくれているんですが
これが結構苦手なんですよね。
「仕事はしないんじゃなくて、出来ない状況だったの!」
「手術しなきゃいけなかったから、それで仕事を辞めたの!」
「専業主婦として家事をしてるから、ダラダラさぼってる訳じゃないよ!」
こんな風に言いたい自分がいて、今の状況に結構焦りと恥ずかしさを感じてるんだなと思ったんです。
「周りと同じような生活をしていること」
に価値を感じていて、同じようにできると安心する。
これって考えてみると、もの凄く薄っぺらい人生だなって思って。
自分が思っている以上に「心臓病」が人生の中心になっていて
仕方ないと分かっていても、いつの間にかレッテルのように感じてしまっていたんですよね。
病気が原因で出来ないことはありましたし、これからもあるでしょう。
それは何も悪いことでは無いのに「普通」にこだわってしまう。
自分の病気のことを明るく話したり、大丈夫大丈夫!と言うのも自分を守るため。
本当は全然大丈夫って思ってなかったり、心が悔しさと悲しさでいっぱいなのに
「心臓病だけど、みんなと大して変わらないんだよ!」
「手術だって入院だって一時的なもので、特別なことじゃないんだよ!」
って変に言い訳じみた話をして、皆と一緒ってことを意識したい。
マイナスな気持ちを誤魔化したい。
誰かに仕事の相談をされた時には
「大変かもしれないけど、まず健康で仕事ができている現状がうらやましい」
なんて意地悪なことを考えたりもする。
「病気も大変だけど、みんなそれぞれ大変なことはある」
という言葉には
「命が関わる問題じゃないなら良いじゃないか」
と、あたかも自分がこの世で一番大変で可哀想かのようなことを思うこともある。
そこに、自分の心の器の小ささと未熟さを感じました。
以前読んだ本に
「他の人に、自分の人生を干渉されてはいけない」
「影響を受けてはいけない」
という言葉が書いてあって、人の意見を聞くなということではなく
自分の人生の主が他人になってはいけないということなんですが
これが今の私にはとっても難しいんです…
持病があって仕事していないこの状況を、誰に怒られるというのか。
誰が私の人生に点数をつけて、何を基準に評価するのか。
何が正解で正しい生き方で、何が間違いなのか。
こんなの誰にも分からないですし、自分が勝手にコンプレックスを感じて
見えない誰かに劣等感を感じて焦っているだけなんですよね。
わかってはいるけれど、開き直るには時間が掛かるんです。
どうしても今の私には、心臓病が大きな欠点に感じてしまう時があるし
心臓病だから、皆のように
「普通の人生」
「彩りある素敵な人生」
を送ることは難しいと、どこかで思っている節があります。
でも、いつか死ぬ時に、自分の人生を自分なりに頑張って生きたなと思いたい。
こういう気持ちを、同じような状況の人とお話しすることってなかなかできないから
どんどん偏った考えでいっぱいになってしまって、焦りと不安を一人で抱え込んでしまうんですよね…
現代にはSNSがありますから、もう少し上手にブログを活用して
このこじれた気持ちを解消していけるように、一人で落ち込まないように
心をたくましく成長させていきたいです。