キックあにめ -131ページ目

キックあにめ

あにめの感想とかを言います

こんばんは。何かいちんち寝てたぜ。

■安易な感動にご用心
もういつだったかも忘れた、確かイラク戦争くらいの時期に朝日新聞の天声人語で「人が死んで涙を誘うような構成は関心しないぜ」的な記事が載ったのを皆さん覚えておいででしょうか。私の記憶違いで誤解を招く表現になってたらご容赦こうむる。その前に捏造記事を載せると言われてるおたくの新聞構成をどうにかしたら?って話なんですけどね。
Anyway,感動が安易に扱われているアニメ・漫画業界の所謂「お涙頂戴劇」に関しては、前にも言ったかもしれないけどホント興ざめしてしまいますよね。中でも最たるものはキャラクターへの感情移入に任せてキャラ泣かせとけばOK作戦。これが強力無比なんですよ。からくりサーカスというやたら長い漫画も後半は世界が登場人物の涙で海が出来るレベルでしたね。好きだったけど。
感動を誘う手段としては、スポーツものに見られる「もうそれ以上頑張らなくていいのよっ(泣」でも頑張っちゃう系や、ちょっと前に流行ったノスタルジアに浸る系、お前は悪くないのに…などのカタルシス系、そして死んじゃう系などがあげられます。その手練手管は完全に確立されており、理論にのっとれば容易に感動をゲットできる世の中。それを助長させているのはまぎれも無く「お涙頂戴理論」自体を感動のシンボルとして捕らえて条件反射的に敷かれた感動路線に乗っかっちゃう我々に他ならない。本来「感動」は自身の経験に基づく「共感」から来るところが大きいと思われますが、我々が「お涙頂戴理論」に共感するいわれは全くないと思うのですよ。「3丁目の夕日」にノスタルジアを感じる年代じゃないだろおめーら!って話なんです。甲子園で敗退していく高校球児見て感動するのも、実際彼らの気持ちなんてほとんどわかってないけど泣くもんね俺。
まぁ、「お涙頂戴理論」を駆使してるからって批判するのもどうかと思うし、偏屈的な見方して感動できないほうが損かも。結果的に感動できて満足できれば良しとすればいい。でも、そういうもんだとわかっていれば周りが皆泣いてるからって自分の感性がおかしいと疑わなくてもいいんじゃないかな(グラン・トリノを見た俺『は?なんだこの駄作…。ていうかイーストウッドの大根っぷり…。』。あとワンピース)。


■じょしらく
○がんちゃんにテコ入れが入ったと見ていいのか11話あらすじ
「テコ入れが入る」って2回”入って”るけど日本語として正しいのかは置いておいて、今週も水着着たり、武蔵境行ったり、アマゾン利用したり大忙し。
一方、今週のがんちゃんといえば…ダルダルの水着着たり、あまりの詳しさから武蔵境が現住所と身元割れたり、果てはクイーンズブレイドも真っ青の手際のよさで全裸になったり…がんちゃんに一体何が?!

2chのどっかの人気投票で圧倒的5位に入ったらしいがんちゃんの人気を再建すべく、無駄な露出を敢行しておっぱいの大きさを必死にアピール。何その落ち目のアイドルみたいな感じ、逆効果だから。そして今週は百合週間だったんだろうかと勘ぐりたくなるがんちゃん×キグ。そこまでしてがんちゃんを貶めたいのか(泣!
実はこうした製作者側のいじめに健気に答えるがんちゃんのいじらしさに感動する新手の感動路線?!ない。

こんばんは。連休始まりますね。今年はカレンダーが家にないので月曜休日とか気づかなかったよ。

■トイレットペーパー
ダブルじゃないと死ぬとかシングルじゃないと死ぬとかいう人の話を聞いたことがないが、にも関わらず頑として共存しているダブル・シングル。たばこのソフト・ボックス以上には高級感とチープ感という明確な違いが存在しているものの、実質的な使用量/トイレとしては差がないと思われるので単に気分の問題では?
実際問題ダブルにおいては2枚を貼り付けるために製造工程数が多くなりそうなものであるから、シングル・ダブル一元化は業界にとって大幅なコスト削減を可能にするんじゃないだろうか。しかしながら依然としてスーパーには並列して同等に陳列されているのである。ここに私のあずかり知らぬ業界の裏話があると見た。
我が家でトイレットペーパーの使用量について平均何カラカラ/トイレであるか白熱教室が開かれたことは記憶に新しい。マイケル・サンデルは必死にリバタリアンなら最大幸福の原理に基づいてシングルを選ぶと主張したけど、妹は彼がかつて狂信的ダブル派に属していたことを見抜いていた。ところが現在サンデルはインド式トイレを実践しているらしいので人は見かけによらないものだ。
ところで/トイレ(パートイレ若しくは毎トイレ)という単位について、女性の場合およびウォシュレットが否かで定義が変わるんじゃないかと、現在国際度量衡局で議論中である。


■エウレカセブンAO
・何を言っているのかわからn(ry20話あらすじ
「とりあえず落ち着こう。なっ?」。サンデル教授が登場人物一人ひとりに対してそう言って廻ってから物語が始まっていたということを皆さんご存知だろうか。サンデル教授がそんな行為に及ぶに至ったことはこれまでの視聴者であればなんとなく共感できるものであるが、そもそもサンデル教授がそんなこと言ってる時点で、とりあえずサンデル教授本人落ち着け、ってなもんである。しかもそれにも関わらずエウレカAOのスタッフ一同、本番が始まるや否やサンデルの存在自体を忘れたかのような怒涛の展開をおっぱじめる。降伏するのしないのしないのするの、するって言ってんのはレベッカさんだけだったかも知れないわけだが、彼女が前回やっていた行為(ゲオルグのアンインストール)ってマジなんだったの?そこは「こんなときにゲオルグが居てくれたらっ…!!」からの「あ、俺ゲオルグ持ってますけど」「感謝!圧倒的感謝…!!」じゃないんですか?青画面出始めてからウィンドウズ再インストールまでの一般人の所要時間より短いスパンでゲオルグ再チャーージウィンッ!!!
そーこー言ってる視聴者が一番落ち着きをなくしているだけで、実は登場人物は割かし落ち着いてる。あんな奇怪な状況が続いているのに彼らが落ち着いていることに視聴者はあわてている。

エウレカ界隈ではエレナはアネモネの子供説が有力とされているみたい。その説を私が支持するもなにも、話自体が「もう何が起きても不思議じゃないよ」状態に入っており、如何なる事件が起きようとも「新井のせい」として片付ける地盤が完成しているもんだから、(アネモネ)「の子供」とかいう状態に対して、何故そこを過去作品からの現実世界に即した時系列で語る必要があるのかと言いたい。おもにスタッフに。最早エレナがアネモネの子供だろうがアネモネ自身であろうがなんら不思議はない。
前回も言ったとおり、このアニメはありのまま起こったことを受け入れていくことでしか先には進めないのである。だからトイレットペーパーのダブルとシングルでどっちが得か悩んでいる君、多分このアニメ向いてないよ。…あ、ごめん、それ俺だわ。
こんばんは。金本引退がこれほど騒がれるとは…個人的には田口のほうが好きです。

■現実に半額神を待つ人間の浅ましさたるや
今日は貧乏神が!もしくは黒魔女さんの話をするはずでしたが、さっき行ったスーパーで驚愕の事態に遭遇したのでその話をします。つまり半額弁当の話。この話をする以上、去年話題になったあのアニメを紹介せざるを得ないというしだい。

寮の近くのスーパーに入った高校1年生の佐藤洋は、目の前で半額シールを貼られた弁当に手を伸ばした直後に意識を失い、気がつくと精肉コーナーの前で倒れていた。すでに半額弁当は消え、残った惣菜もその場にいたほかの人に買われていく。残った梅おにぎりを手に取ろうとした際、同じ学校の白粉花と出会い、またその様子を眺める女生徒を見かける。
翌日からスーパーに通い詰めた彼は、《氷結の魔女》と呼ばれるその女生徒槍水仙からスーパーで起きている半額弁当を争奪する人々の話を聞き、自らも半額弁当争奪戦に足を踏み入れることとなる。

なかなかのバカアニメである本作こそ最後のさわやか系アニメとして名を馳せている噂のベン・トー。上記のあらすじの通り、半額弁当をめぐって暴力沙汰が日常的に繰り返される爆笑物語です。こうなってくると、こいつら弁当食いたいんかケンカしたいんかどっちやの?というオチにつながっていく視聴者ツッコミ待ちの常套手段が醸し出すさわやか感が懐かしい。貧乏神が!では到底及ばない隠し立てのないバカ。まぁ、あんまり求めてないですけど。

ところがあんまりバカバカ言ってられないのも現実。それというのも本日久しぶりに弁当買うか、と向かった先に人だかり。弁当コーナーにこれほどに人だかりが出来るのを俺は見たことがないぞ。近づけないので遠目に背伸びをしつつ棚をうかがうと手付かずの弁当が鎮座ましましているのを発見する。何故?!俺に買わせろよ!するとどこから湧いたのか半額神が登場し半額シールを貼っていく。なるほどね、コレ待ちというワケか。

おめぇら、半額神がシール貼り終えるまで動いちゃいけないのが不文律だろうが!!

つまりベン・トーが巻き起こした半額弁当ブームであったが、増殖したのは狼ではなく大猪だけだったのである。ちょぉ、なんで待ってる人の目の前で4つも持ってくの~。なくなっちゃったじゃんよ~。
こうして暴力行為という犯罪は行われなかったものの、一人の若者の心に真の社会の掟が刻みこまれたのであった…。そっか…アニメやドラマでよく見るバーゲンセールってよく考えたらベン・トーとかわらんよな。