私は友達が少ない。
故に一人で過ごす事が昔から多かった。
近所を自転車で走り回ることもあれば、
家に引きこもってゲームをしていることもあった。
(ゲームソフトの取説読むの楽しいよね)
何回も読んで展開からオチまで完璧に把握している本を
これまた何回も読んだこともある。
自我を持たないほど幼かったころの私は
よく家にある本をめくって遊んでいたらしい。
(実はちょっと記憶の断片にある。あの本は確かスカパーのやつ)
その趣味(!?)が現在も続いているのか
電子書籍よりも紙媒体の本を好む。
紙をめくる音とにおいが好きで(本によって全然違うよね)
内容の次にこの二点も重視していたりする。
(ちなみに紙は薄いほうが好き)
小学生の時、朝読書の時間というものがあった。
教室に入っていなければいけない時間から
一時間目までの間の10分程度を読書に当てるという試みだ。
それは”読書の秋”にちなんで秋だけにやっていたが
通年でやればいいのにと感じていた。
静かな教室、いや、校内の中で
時々本をめくる音が聞こえるあの時間は
中々素敵ではないだろうか。
テストの時とは違う静けさが教室にはある。
そこには緊迫感がない。
それぞれが違う世界に行っている。
小学校4か5か6年生の時に
クラスの読書苦手勢を好き勢に偏らせたことを思い出した。
理由や事の発端はあまり覚えていないが、
当時なぜかシリーズものの本を何冊か
学校に持って行って朝読書の時間に読んでいたことがあった。
それをひょんなことにクラスメイトに貸したのがきっかけで
クラス内のちょっとした図書館みたいな役を担ったことがある。
朝読書の時間をつらそうに過ごしていた彼らが
のめり込んで私が貸した本を読んでいたのには
驚きもあったし、嬉しくもあった。
面白い本は、漫画であろうと小説であろうと、
たとえ本が嫌いだったとしても、夢中にさせてしまうのだ。すごい。
読書好きの私でも、読書感想文はさっぱり書けなかった。
何を書いていいのか全く分からず、
いつも「○○で驚きました」、「~だと思いました」、「○○がかわいそうだと思いました」
のような日本語文法初心者が書いたような感想文しか書けなかった。
音楽も同様で、授業で聴かされた
一ミリも興味がないクラシックの感想文を書くのには
めちゃくちゃ苦労した。
あまりにも味がない感想文を生産していたので
その学期の成績は必ずワンランク落とす羽目になっていた。
(それに対する先生のコメントまで味気なかった)
しかし最悪なことに私は中学時代吹奏楽部に入っていたため
音楽の担当は必然的に顧問であった。
今まで通りの感想文を生み出していては
何を言われるかわかったもんじゃない。
教科書に書いてある時代背景をしっっっかり読み、
一言一句顧問の解説を聞き、
何とかして情景を頭に思い浮かべようと奮起しても
どうしてもだめだった。
感想を書くセンスが絶望的に欠落しているのだ。
味気ない感想文に今度は顧問のお小言が書かれる始末であった。
そんな私も大人になって、
少しは味気ある感想文が書けるのではないかと期待している。
恐らく明日更新されるであろうブログでは、
つい数時間前に読み終えた
シャーロット・ブロンテによるジェイン・エアについて
(自分が忘れないように)感想を綴っていきたいと思う。