この意義というのは、主に重度障害、重度認知症、あるいは終末期の患者さんと向き合う中で、意識されるようになった作業療法の考え方です。
つまり、これ以上疾患が良くなるわけでもなく、何か技能が身につくわけでもない。
そう言った患者さんとの作業療法において、
それでも、この作業療法の時間だけでも、
作業を通して、
穏やかな時間を過ごし、
人とのつながりを感じ、
その人らしさをその場面で発揮する。
そういった意義があるのではないかということです。
これは、作業療法の創始者(戦後日本に作業療法が入ってくる以前の作業療法的なもの)が考えていたような、生きていること自体が作業をすることであり、作業をすることを支えることは今ここで生きていることを支えている。
そのような考え方にも近いものかもしれないと、そのようなことを鎌倉先生は書いていました。
私は、これを読んだ時になんだかすっと腑に落ちるような感覚があったのです。
つまり、KさんやOさんの事例のように、
あの時私は、Kさんにカレンダー作り、Oさんに生け花という作業を提供することで、その瞬間のKさんやOさんが生きることそのものを支えていたのだ。
ということです。
なるほど、認知症の作業療法というのは、
瞬間瞬間、今その瞬間をその人が輝けるように支援するっていうことなのかもしれない。
(そういえば、以前宮城でやったOT学会では
「輝きを持って生きることの再考」というテーマでしたね。
人が輝くように支援するっていうのが作業療法士の仕事なのかもしれません)
高齢者というのは、基本的に今が一番良いというものです。
今が一番良くて、それで少しずつ、少しずつ死に向かって生きている。
その下り坂をどれだけ緩やかにできるか?
っていうことだと思うのですが、
だからこそ、今が一番いい状態を作らなければならない。
それが作業療法士の仕事であり、
認知症の作業療法というのは、よりよい作業体験すること、より良い時間を実現することに意義あるのだ。
ということがわかりました。
そして、私はこの鎌倉先生の3つの意義を知ったとき、
私が今まで認知症の作業療法をやっていて、
不全感を感じていた理由。モヤモヤを感じていた理由というのが、分かりました。
これが私にとって、とても大きな気づきでした。
私は、認知症の作業療法について、
もっと良くなるなること、何か改善することを過剰に求め過ぎていたののです。
やはり作業療法士というのは、養成校での教育の中で、医療職であることや専門職であることを意識として嫌というほど叩き込まれます。
だからこそ、医療職であるからには、患者さんに良い変化を起こさなければならない。
効果出して、改善させなきゃならない。
そのようなことを少し強迫的に思いすぎていたのです。
もちろんプロとしてそのような意識を持つことが悪いわけではありません。
だけど、認知症の作業療法をやっていて、
患者さんに明らかな変化が起きないからと言って、
はっきりと効果があると言えないからといって、
これでは全然ダメだと、落ち込む必要もないのだなということに気づいたのです。
つまり、脳梗塞のリハビリや骨折のリハビリのような目覚ましい変化と同じような変化を、
認知症のリハビリにも求めることはないんだなということに気づいたということです。
それで、必要以上に落ち込むことはないんだ。
と思ったのです。
認知症のリハビリには、求められている意義が違うのではということです。
生きていることそれ自体を自分は支援しているのだと思った時、
治療でも訓練でもない作業療法の意義とというものが見つけられような気がして、認知症の作業療法って面白いかもしれないと
そういう気持ちを持てるようになったのが、
この鎌倉先生の本でした。
では、それってどういうことなのか?
続きは明日以降にお伝えいたします!
つづく
認知症のある方への作業療法 中央法規出版より本を書いています。(共著)
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