マーブル先生奮闘記 -3ページ目

マーブル先生奮闘記

マーブル先生の独り言。2024年1月1日の能登半島地震後の復興をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

更年期を女性らしく生き抜く(4)

-横道して更という字を考える-

 

更という字を考える

 更年期の「更」という字の意味を考えてみましょう。国語辞典で調べると「更」の意味は、①かえる、あらためる:「更衣」「更新」「変更」 ②一夜を五等分した時間。③さらに、そのうえ、④深まる、夜がふける、⑤さら、新しい、などと書かれています。

 考えてみると、「更」は新しく生まれ変わる、新しい人に入れ替わるとも読み取ることが出来ます。更年期になり、たとえ一時期障害があっても女性ホルモンと惜別し、女性ホルモンが無い、もしくは少ない新しい人生を逞しく生き、老年期を生きるための導入口の更年期に対する励ましの言葉なのかもしれません。

 

更級日記

 更級日記(さらしなにっき)は、平安時代中期頃に書かれた回想録です。作者は菅原道真の5世孫にあたる菅原孝標の次女・菅原孝標女で、母の異母姉は『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母です。更級日記は夫の死を悲しんで書かれ、作者の13歳、寛仁4年(1020年)から、52歳頃の康平2年(1059年)までの約40年間が綴られています。更級日記は、蜻蛉日記紫式部日記などと並ぶ平安女流日記文学の代表作です。

 作者は日記の中で、多くの身内を失った思春期から30代での結婚と出産の様子を経験し、その後夫の単身赴任、夫の病死に直面します。夫を亡くし、子供がいなくなり更年期の孤立感の中で宗教(仏教)に傾倒していくさまが描かれています。

作者菅原孝標女も更年期障害だったのです。当時の更年期の時代は死が迫る時代でした。治療もなく、アドバイスもないまま仏教に縋っていく様が目に浮かびます。

 

更級郡

 更級郡は1879年(明治12年)行政区画として当時の郡名です。千曲川や犀川に囲まれた長野市の一部と千曲市、埴科郡坂城町の一部からなります。この地域に有名な姥捨山(正式名称は冠着山、更科山ともいう)があります。姥捨山は実際に女性を捨てたわけではなく、この地に住む部民の名前から名づけられたものですが、その後流布した民話「姥捨伝説」が独り歩きしました。この伝説は更級日記にも記述がありますが、作者も年老いた自分の拠り所として姥捨山を求めたのかもしれません。

 

終わりに

 医療の進歩や食生活の改善、生活様式の変化で女性の寿命は90歳近くまで伸びてきました。閉経後の老年期は40年もあるのです。更年期に使われる「更」という文字は、新しいまっさらな自分に生まれ変わり、この40年を一からやり直して生きていく必要があります。

更年期を女性らしく生き抜く(3)

-更年期がつらい人と平気な人-

 

脳のパニックが起こっている

 閉経期前後の10年間の女性は卵巣機能が低下し、女性ホルモン(エストロゲン、プロゲステロン)の分泌低下が起こり、これまでこの両ホルモンによって支配されていた卵巣機能は著しく低下します。更年期の女性の脳(視床下部-下垂体系)は何時まで経っても反応も弱く、一向に上昇しない卵巣の女性ホルモンを分泌させるために過剰の刺激命令を出しますが、閉経期前後の更年期の卵巣は反応しません。

 10年程度この分泌機能の乱れが継続すると脳の視床下部、下垂体の過剰分泌は、自律神経の乱れを引き起こし、自律神経系失調症状(更年期障害の一部)が生じます。

 

少し使いにくいSMIを使いこなす

 前回紹介したSMIは全部で10項目のチェック項目があります。SMIは結果が解りやすいように全項目が最高点の場合は100点です。エストロゲンと一番関連が深い「血管運動神経系症状」(図①~④)を46点と高配点にし、アジア系日本人に多い「精神・神経系症状」(⑤~⑧)を40点、「運動・神経系症状」は14点と設定し、各項目や領域に比重をつけて採点しています。

 SMIシートは2~3分程度で記入可能です。チェック終了したら合計を計算し、アドバイスをお読みください。

 更年期障害の治療の目安は50点以上ですが、あまりにも高い場合は精神疾患などの更年期障害以外の可能性もあるので、心療内科などの医療機関で治療が必要になるかもしれません。

 一方30点を下回る合計点数の場合は現時点で症状が出現していませんが、更年期時代の環境の変化は、ある日、突然起こります(子供の自立、夫婦関係、親の介護)。脳の再活動、過剰活動、性ホルモンの更なる低下の可能性はかなり高年齢でも起こるため、遅発の更年期障害を引き起こします。

 全ての女性に存在する更年期障害は受け止め方と、その認知度で対応は大きく変わります。使いにくいSMIですが、時期を変えて、何回か計算することが大切です。自分自身の身体状況の変化をいつも数値化する姿勢がこの時期を生き抜くアイテムになります。

 

 

 

チェックシート

                                                        強        中        弱        無

①    顔がほてる                                   10       6         3         0

②    汗をかきやすい                            10       6         3         0

③    腰や手足が冷える                         14       9         5         0

④    息切れ、動悸がする                       12       8         4         0

⑤    寝つきが悪い、眠りが浅い              14       9         5         0

⑥    怒りやすい、イライラする                12       8         4         0

⑦    くよくよする、憂鬱になる               7         5         3         0

⑧    頭痛、めまい、吐き気がする      7         5         3         0

⑨    疲れやすい                                   7         4         2         0

⑩    肩こり、腰痛、手足の痛み               7         5         3         0

 

強:生活に支障があり、すぐに直したい

中:我慢はできるが何とかしたい

弱:症状はあるが我慢できる

無:ほとんど感じない

 

0~25点

上手な更年期の生き方、年一回の検診を

26~50点

食、睡眠、運動をして無理のない生活を

51~65点

医師のもとにカウンセリングや治療を

66~80点

長期間の経過観察と治療

81~100点

他科の精密検査の受診を

更年期を女性らしく生き抜く(2)

-更年期がつらい人と平気な人-

 

SMIで更年期障害の程度を数値化する試み

 更年期障害の症状は更年期を生きる女性が普通の生活時に「いつもと違う」、「日常生活を送る時に少し支障が」といった自覚に気が付く軽い程度のものから、通常の日常生活が困難なものまで本当に幅広く。そして多くの症状が存在します。

更年期の女性に現れる様々な症状は、個人の感じ方、現れる度合い・頻度などが千差萬別で、同じ人でも受診ごとに訴えが異なることもしばしばあります。症状に応じた治療を行うためには、かなり難しいことですが、これらの不定愁訴を分類し、訴え、症状の程度に重みを付け、評価する必要があります。また、不定愁訴を訴える女性の年齢背景、女性の環境因子の変化(子供の自立、夫婦関係、親の介護など)と、本人の性格が相互作用を仕合い、すべてが絡み合い、更年期障害の症状が強く出ることがあるため、その因子を丁寧に聞き出す必要があります。

 更年期障害時に現れる症状の特徴は、ホットフラッシュ、発汗以外にも胃のもたれ、不眠、イライラ、動悸など多彩にわたり、時間経過とともに変化もします。また、それぞれの症状も一般的な病気と異なり、かなり主観的な訴えが主流で、検査値や測定値で評価することが不可能で、厄介なものなのです。

 このような多彩な更年期の症状を一つ一つカルテに記載することは困難なため、訴えられた愁訴を包括的に把握するために総合評価を行う簡略更年期指数(SMI)が考案されました。SMIは日本で開発されたもので、評価点数が患者さんのエストロゲンの値を反映している、外来で簡単にチェック出来る、点数の変化と症状の変化に相関があるという特徴を有しています(表)。

 ただ、このSMIは一面的で、評価の指標にすぎない、動的な変化を反映していないなどの批判もあることも事実です。したがって私たちも全面的にこのSMIだけを頼るのではなく、生きた言葉や訴えを大切にしています。

 SMIは評価の一手段です。大切なことは訴えに寄り添い、治療がどれだけ症状を改善したのかを逆評価する必要があります。更年期障害の治療は反省の日々の歴史です。SMIは万能ではありません。

 

 

 

 

 

 

チェックシート

                                                        強        中        弱        無

①    顔がほてる                                   10       6         3         0

②    汗をかきやすい                            10       6         3         0

③    腰や手足が冷える                         14       9         5         0

④    息切れ、動悸がする                       12       8         4         0

⑤    寝つきが悪い、眠りが浅い              14       9         5         0

⑥    怒りやすい、イライラする                12       8         4         0

⑦    くよくよする、憂鬱になる               7         5         3         0

⑧    頭痛、めまい、吐き気がする      7         5         3         0

⑨    疲れやすい                                   7         4         2         0

⑩    肩こり、腰痛、手足の痛み               7         5         3         0

 

強:生活に支障があり、すぐに直したい

中:我慢はできるが何とかしたい

弱:症状はあるが我慢できる

無:ほとんど感じない

 

合計得点

0~25点

上手な更年期の生き方、年一回の検診を

26~50点

食、睡眠、運動をして無理のない生活を

51~65点

医師のもとにカウンセリングや治療を

66~80点

長期間の経過観察と治療

81~100点

他科の精密検査の受診を

更年期を女性らしく生き抜く(1)

-更年期がつらい人と平気な人-

 

はじめに

 性成熟期の女性の卵巣から分泌される女性ホルモン(エストロゲンやプロゲステロン)は30代後半から徐々に減少します。ヒトの女性にとって女性ホルモンが存在しない生活は、女性の健康とみずみずしさを支えてきた大切なホルモンの屋台骨を失うことになり、社会生活全般で不安やストレスを感じやすくなります。この性成熟期後半にみられる精神の変化や身体の変化に対処する方法には何があるか、またさらに年代が進んだ更年期の身体変化に対する対処方法はどこまで可能なのでしょうか。

更年期の女性に多く見られる障害は、ホットフラッシュ、発汗、肩こり、めまい、指の関節の変形や痛み、気持ちの落ち込みなどがよく知られています。しかし、実際の更年期障害の症状は100~200も存在するといわれ(不定愁訴)、個人個人によって多種多様です。しかし、変化が軽微で気づかない人もいれば、更年期障害の症状をまったく経験せずに生活して老年期に入る人も多くいます。更年期障害で受診する方々の多くは、更年期に生じた症状が日常生活に支障をきたす場合が多いようで、我々はその自覚症状に応じて、治療やアドバイスを行っています。

 

更年期と閉経の定義

 更年期という言葉は一定の期間(年期)を表す言葉で、閉経を挟んだ前後5年の計10年間の期間の名称です。したがって全ての女性に更年期は存在しますが、この10年間に日常生活に支障をきたす人もいれば、無症状でこの時期を経過し老年期に入る人も多く存在します。

 一方、閉経とは最後の月経から1年間月経を経験しないときに、遡って最後の1年前の月経を閉経と呼びます(1年の無月経後に月経を経験する確率は1%未満です)。血液検査でE2(エストロゲン値)とエストロゲンを放出させるFSHというホルモン値を測定するとある程度閉経の予測は可能ですが、確立したものではありません。

 

卵巣から分泌される性ホルモン

 卵巣から分泌される女性ホルモンにはエストロゲン(卵胞ホルモン)とプロゲステロン(黄体ホルモン)があります。更年期と深く関わるホルモンはエストロゲンです。エストロゲンのレセプター(受容体)は全身に存在し、頑丈な骨、弾力のある血管、肌の保湿に作用し、女性を守っています。急激に減少するエストロゲンは全身の多くの組織の活動性を低下させ様々な症状を起こすのです。このエストロゲンの低下による更年期障害を少しずつ明らかにしていきましょう。

しばらくお休みしていましたが、再開です。

今回のテーマは更年期障害の正しい理解と治療法、

そしてどう更年期障害と立ち向かうかです。

 

少しずつ話を進めていきたいと思います。

ご期待ください。

まずは、再開の挨拶です。

業界の変化

産婦人科を
長らくやっていると、
この業界の進歩や、
変化に驚く。

変化は三つに分類できる。
1) 誤っていた
2) 進歩して以前とは違う
3) 疾患そのものが減少してきた

子宮後屈という概念は
30年前は存在し、
そのために子宮の位置を
変化させる手術も存在した。
現在は、子宮の角度は
変化するものとして
捉えられ、治療の対象ではない。

アッシャーマン症候群、
Ashermann syndrome;
Asherman’s syndrome
手術の技量が上達したのだろうか、
最近はほとんど聞かない。
個人的には
子宮内膜の特徴から、
基礎疾患がない限り、
存在しない疾患と思う。

絨毛性疾患、
食生活の変化で、
かなり減少した。
30年前は、
あんなにあったのに。

変化は、
今も続いている。
仕事の合間に
勉強しなければならない、
理由がここに存在する。

幕末の嘉永五年に
我が国で初めての
帝王切開が行われたという
事実は大正の初めまで
誰にも知られていなかった。

大正四年、
順天堂佐倉の院長である
佐藤恒二先生が
蔵書の整理中に
偶然発見し、
発表している。

その後、昭和六年に
「圭設兒列幾私涅至ヲもって産婦を救う治験」
とこの事を紹介している。

「圭設兒」はドイツ語のカイザーで、
「列幾」は「れーき」と読み、
リッヒで合わせて「帝王の」となる。
「私涅至」は「スネーチ」と読み
オランダ語で「切開」となり、
「帝王切開により産婦を助けた仕事」と
なる。

当時、「帝王切開」という言葉は
使用されておらず、
明治時代は。
「国帝切開術」といわれ、
「帝王切開」は、
明治18年頃から、出始め、
30年代には主流になっている。

外国の言葉としては、
「セセリアン」とか
「カイザーシュニット」が
よく使用されていたらしい。
マーブル先生奮闘記

当時の医師の往診風景。

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賀川玄悦、「産論翼」。 当時の産科学を代表する書物で、これが教科書であった。

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江戸、小室家が使用した産科機械五点(左)。右は岡部、伊古田両先生が学んだ賀川流産科の秘宝の鉄の鉤で門外不出であった「産科学守護活鉤神仙」。これらで穿頭術を行った。

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伊古田純道氏が自筆で書いた「撒羅満氏産論抄書」の抄録。

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華岡青洲、乳がん手術(1805年)。

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こんな風に手術は行われたのでしょう。

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華岡青洲(紀州:現在の和歌山県那賀町出身)がこよなく愛した乳がん手術器具。

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本橋み登の墓。
終わりに

こんな時代に、
学問の中枢である
江戸や京都でなく、
片田舎の埼玉で
行われた帝王切開。

この二人は何故か
すぐには、正確な記録を残さず、
世間にも大々的に
発表はしていない。

本当に無麻酔だったのだろうか?
本当はどんな分娩だったのだろう?
この人たち以外に
関係者はいなかったのだろうか?
などの疑問は数多く残る。
いずれにしてもこの手術の成功の意義は
1) とにもかくにも手術としての成功、
2) 日本で最初の開腹術の施行と成功、
3) インホームド・コンセントのさきがけ
4) 麻酔
5) 手術記録の記載、
6) 診療記録(日誌)の記載、
7) 西洋の医学の導入と認識
8) 母児救命への試み
9) 術後管理の挑戦、
などがあげられる。

 岡辺均平は代々医師の家柄で二代目だった。10歳のとき医師の小室家に入門する。そのとき伊古田純道、(50歳:手術時)も同時期に小室家に入門し医学を学ぶ。岡辺均平の父の妹が伊古田純道に嫁いでいたため、伊古田純道は岡辺均平の叔父にあたる。
 手術を執刀したのは本当のところだれだったのか?叔父と甥の関係や、年齢、手術経験から岡辺均平は助手をし、伊古田純道が執刀したものと思われる。
 伊古田純道の手術の手引書ともいえる産論には患者の右側に術者が立ち、左側に助手が立つとされているため、伊古田純道が患者の右側で、執刀し岡辺均平は左側で助手をしたものと思われる。
 伊古田には息子たちがいた。そのうちの一人(三男)好道がこの手術に立会い、外回りや、器械出しの看護師の役割をしたものと考えられる。また、術後の岡辺均平と伊古田純道との十数キロの道のりを三男の好道が行き来し、連絡係になっていたものと思われる。
 本橋み登の寿命は88歳から92歳までの諸説がある。いずれにしても、術後、50年以上を生き抜き、明治時代に夫と子供たちと生き抜いた、たくましい母ちゃんだったことには間違いない。
み登が手術までに何人の子供を産んでいたか?これもいろいろで一人から4人までの記述がある。息子が一人存在することは間違いない。あとを継ぎ本橋家が継続している。
 今回の出来事を考えると多産の結果のほうが話のスジが通る。分娩時の模様はどうだったのか?記述上かなり判断が難しい。骨盤位、足位もしくは横位が考えられる。
 前期破水、もしくは早期破水があり、臍帯脱出がある。狭骨盤や児頭骨盤不均衡とされるが4経産にそんなことがあるだろうか?
 記述には臍帯脱出と手足の脱出とある。やはり、骨盤位、足位もしくは横位で、早期・前期破水が先行し、臍帯脱出が続き、回転術を行い、失敗し、胎児死亡し、骨盤内に固定してしまったとするが最も考えやすい。こうなるとなかなか分娩は進行しないし、大変だっただろう。
さて、麻酔については、浅田晃彦氏は通仙散の使用を想像して記述している。華岡清洲の通仙散である。
 これはどうなのだろう?疑問は数多く存在する。