萩原朔太郎研究所
http://homepage3.nifty.com/sakutarou/index.htm

≪近現代詩まとめ≫
http://uraaozora.jpn.org/index4.html
上記サイトで瀬尾育生「崇高な文法の序文」(現代史手帖1999.2)でいわれている、高村光太郎と萩原朔太郎の違い(p.35上段)を見定めたかったが、未消化。
森鴎外を代表とする国家権力の意を背負い渡欧したナショナルなエリート、村山知義に象徴される、日本資本主義が生み出したモッブ達のインターナショナルな知性。1910年代以降、西欧文化は前者だけでなく後者を媒介として流通することになる。
高村光太郎は前者に属し、萩原朔太郎は両方に属すると著者は見ているようだ。
守中高明『存在と灰』
p.104
福田和也『保田与重郎と昭和の御代』の批判。

メモ
日本語はもともとが散文的で韻文にできない。韻文という不可能な形式をあえて措定し、その存在だけは決して疑われることのない「詩」概念を保存し「国家」の概念とともに生成させる、という『純正詩論』における朔太郎のプログラム。(p.129)


福田和也『保田与重郎と昭和の御代』
ピューリタニズムとナショナリズムの二項を提示し、ピューリタニズムにナチス的なものを分類し、保田をそれから擁護している。(P.65)
P.56朔太郎に言及

「萩原朔太郎に於ける家郷」 佐藤伸宏(『近代の夢と知性 文学・思想の昭和10年前後』翰林書房 2000・10)

朔太郎の「郷愁」概念の内実の変遷。

朔太郎の詩的歴程は「心の安住地を求め」続ける「久遠な郷愁」に支えられていた。しかし、郷愁は後年『郷愁の詩人与謝蕪村』(s11、1936)で「家郷」への思慕として限定的に語りだされるようになり、しだいに朔太郎の創造力の源泉としての力を失っていく。


「家郷」の(この文脈での)最初の用例は昭和四年(1929)「秋風の歌」(『詩神』s4・12)中のニーチェの詩への言及の際に見られ、それから『氷島』(s9・6、1935 s4~8までの作品を所収)までに見られるのは、郷愁を追い続ける「漂泊者」の生に対する否定と肯定の併置し、家郷への憧憬とその不在の認識とを隣り合わせたような詩表現である。

『詩の原理』(s3・12)においては郷愁は「イデヤ」への憧憬とそれへの到達不可能性として論じられている。


ところが『郷愁の詩人与謝蕪村』においては家郷は到達不可能な「或るメタフィジカルのもの」ものとしてではなく、「小市民的的な生活感情」「現実の体感」(佐藤泰正)として、蕪村の俳句の中に見い出されてしまう。非日常的な「イデヤ」から、極めて現実的、日常的な「炉辺の団欒」へ帰着することで、朔太郎の「郷愁」はそれへの憧憬と不在の認識を揺れ動く動性を失っていく。


昭和11(1936)年発表の散文詩「虚無の歌」において、作中の「私」はエビス橋近くのビヤホールに身を置く中で、長年「私の求めたもの」をそこに見い出す。「一切を失いつくし」つつも、「永久にひとつの「無」が、自分に有ることを信じ」ようとする。一切を失い尽くした無が〈今・ここ〉に有ることを確信し、無と有が統合された〈今・ここ〉が肯定的に受容されることで、つまり現在に「郷愁」の彼方への志向性は屈曲され接合されることで、詩の生成の動力は停止してしまった。


朔太郎のこの〈今・ここ〉への認識は「日本への回帰」(s12(1937)・12)において日本回帰としてあらわれる。すでに日本的なるものは失われ、「僕等」は荒廃した土地の隅々を当て所なく徘徊、漂泊するしかない。しかし、一切を喪失しても、「僕等」が日本人で、その血に先祖2000年の歴史が脈拍していることは疑いはないとし、またそのかぎりにおいて「僕等は何物をも喪失しては居ない」という。

孝四郎の抽象画・・・誰の影響か。
182 未来派ルイジ・ルッソロ(雑誌「創造」)

当時はやったもの
178倉田百三『出家とその弟子』
ベルグソン、オイケン、古代インド思想、タゴール
ウィリアム・ブレイク
柳宗悦「ヰリアム・ブレーク」とブレークの図版多数を載せた白樺は前年4月に出されていた

188上段 武者小路実篤を尊敬・・・旧弊にとらわれず自己を表出することを貫いていた表現者として。

189ビアズレー ゴヤ ムンク
北原白秋を敬愛(大正4年白秋、弟と「ARS」創刊

191 恭吉ペン画「臨終苦悩」アーキペンコの人体彫刻に似たデフォルメされた人体が描かれている。

194大正4年6月に朔太郎は恭吉に装丁と挿画を依頼。



cf.有島武郎の家系図

p.146 大正三年10月 竹久夢二 港屋を開店。

p.147朔太郎『月に吠える』の浄罪詩編が書かれた時期。室生犀星と山村暮鳥と人魚詩社を結成している。


p.177恭吉は激しい性を表現した。一方でこの当時の青年達には神秘的超越的関心も持っていた。

文学で言えば恭吉、孝四郎がもっとも敬愛した北原白秋、同時代人の萩原朔太郎、室生犀星、山村暮鳥の志向と似ている。


大逆事件の後の時代閉塞ののち、大正に入り個人の解放を求める機運が高まるなかで神秘主義や性の解放への関心が高まっていたと著者は言う。

「『氷島』試論」 に言及されていた「猫町」

方向感覚をなくして道に迷い、見慣れた街並みが全く違うものに見えてくる体験。

p.539下段「だから全ての哲学者は、彼らの窮理の最後に来て、いつも詩人の前に兜を脱いでる。詩人の直覚する超常識の宇宙だけが、真のメタフィジックの実在なのだ。」

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p.417

「『白樺』の詩人たち――千家元麿を中心にして――」

白樺同人のうち、有島武郎、武者小路実篤、千家元麿の三人が詩を創作した。しかし、有島、武者小路はあくまでも小説家として本領を発揮したのであって、詩人であることの自覚的立場から、生涯にわたって詩を書き続けたのは千家ひとりである。


武者小路はプロレタリア文学の近傍にいた。武者小路は雑誌『種蒔く人』に詩『戦争はよくない』を寄稿している。

千家は「貧しくくらい庶民の生活」に愛を持ち詩に歌ったが、武者小路のような社会思想は持たなかった。千家の詩の貧窮へ着目は、室生犀星と共通するところがある。




3「「廻転」のイコノグラフィー――『氷島』試論」

『氷島』が、関東大震災以後の田舎の市街地化、都会の田舎化によって、落差を失った田舎と都会。幻滅から闘争するために、永遠に田舎と都会を移動し続ける医者のイメージが詩でつづられる。(p.73)



詩人の内なる一切の激しい韻律に対応すべき日本語が、当時社会システムを流通する役立たずの言語(=通貨)(サーキュレーション)となっているいらだちと不安は、時代と言語の本質的関わりに向けての箴言に、ダイナミズムを与えていくことになった。(p.85)


昭和恐慌との同時代性。