今ここまで言える日本人拉致の全体像-東京連続集会91報告4 ー救う会全国協議会ニュース | 日本会議長崎のブログ

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救う会全国協議会ニュース★☆(2016.06.28)
今ここまで言える日本人拉致の全体像-東京連続集会91報告4

◆工作員は砂浜には上陸しない

恵谷

人定拉致は工作員の通常の潜入・回収と同じパターンで被害者を搬送します。そこで接線をする必要がある。接線はピンポイントで会う必要がありますが、その前に顕著な岩であれ、建物であれ、灯台であれ、何らかの暗闇でも判別できる目印があるはずです。

その時の海岸は、白砂青松の砂浜ではなく、岩浜、磯(岩の多い海岸)であることが必要です。磯なら工作員は上陸しやすい。このことを昨年ようやく確認できました。

私はゴムボートは色々操作したことがありますが、岩場ではボートの底が破れてしまいます。だからそういう所は使わないだろうと勝手に思っていました。しかし、工作員から見ると、これは日本に潜入したことのある工作員に西岡さんと取材したのですが、海上保安庁の巡視船がうろうろしている間を入って潜入する場合、警察が対岸で構えているかもしれない。

そして砂浜に上陸すると、サーチライトを当てられたら逃げも隠れもできない。影がすぐできるわけです。そしてあそこにいるということが分かる。ところが磯、岩場なら仮にサーチライトが当たったとしても、岩陰に隠れるとどこにいるか分からない。その間にしかるべき手が打てる。物理的にも心理的にも、磯の方が浸透しやすいことが分かったのです。

当初海岸線は拉致の現場ばかり見ていたものですから、日本の白砂青松は危険だと思っていたのです。その後海岸を全部調べましたが、岩場と砂浜が半々で使用されていることが分かりました。

例えば、久米裕さんは船隠しという特異な所があり、岩場で白砂青松がありません。それで考え方が変わってきました。

◆工作員の侵入・脱出のパターンを見つけた

西岡

これから映像を見ながら恵谷さんに説明してもらいます。ここまで辿り着くのに本当に時間がかかり、討論を繰り返し、現場にも行きました。拉致現場は何回も行きましたが、恵谷さんにお願いして、北朝鮮の工作員が出入りしたところは、記録が残っているところは全部行ってもらいました。私も4分の1くらい同行しましたし、韓光煕(カン・グァンヒ)という朝鮮総連の幹部が上陸ポイントを作ったと言って本に書いています。そこも行ける限り言ってもらいました。

今分かっていることを、全体を見た上で、拉致についてあるパターンを見つけ出すこと、つまりこれがすべてなのか、もっと拉致被害者がいるのではないかと推定するために行ったわけです。

犯罪には手口があります。空き巣が何件か起きると、犯人が捕まる。そして余罪を追及します。例えばこの空き巣はガラスをこのように切るというパターンがある。そういう手口分析を刑事警察はよくやります。そして余罪を追及するわけです。

北朝鮮が日本に不法に侵入したり、不法に脱出したパターンを見つけ出す。そこから、いったい拉致はいつからあったのか、どういうパターンがあるのかを見つけ出そうとしてずっとやってきたことのエッセンスを今日報告させていただきました。

実際に現場に言ってきた恵谷さんに写真を見ながら解説していただきたいと思います。

◆工作員が出入りした108か所を調査

恵谷 

西岡さんと海岸線の調査プロジェクトを立ち上げて、工作員が出入りした海岸をすべて現場で確認しようということになりました。工作員が何年何月何日に、どこのどの海岸に出入りしたかが分からないと調査はできません。

スパイ事件として私もずっと調べていましたが、結果的に工作員が出入りした日時、但し秋田県からというようなのははずしましたが、秋田県の脇本海岸といったような具体的な情報があるものをチェックすると、135件確認できました。

その内30件はいわゆる漁船や貨物船で入港し、にせの船員手帳で入るとか、もっと田舎の海岸なら海に飛び込んで姿をくらますというような、1960年まではそういう手法でしたので外しました。

その30件を除く105件。但し、海岸が重複するものもあります。まず拉致現場が11か所確認されています。田口さんが新潟であれば
12か所になります。北朝鮮の発表通り宮崎なら11か所になります。

それから、日本に潜入したことがある工作員が韓国にいます。二人いるんですが、1回ずつ日本に入っており、その現場も分かっています。それ以外に、韓光煕という朝鮮総連の幹部で、秘密組織で潜入・脱出ポイントの下調べをやった男が38か所リストアップしています。うち6か所は拉致事件等と重複しています。それ以外は、工作員だけの侵入・脱出の現場です。併せて108か所を見て回りました。3年かかりましたが、その写真(救う会ホームページの連続集会の動画参照)の1部を紹介します。

これは寺越事件が起きた石川県の高浜です。工作員を潜入させた後、回収するところではなかったかと思います。上陸した工作員の安全を確保するために、清丸という寺越さんの漁船を体当たりで攻撃しただろうと思います。この辺りに寺越さんのいけすがあって、このいけすを守ろうと寺越さんたちは、「そっちに行くな」と叫んだようです。海岸からすぐそばです。これが1963年の、確認されている中での最初の拉致現場です。

西岡

この頃はまだゴムボートは使われていないですね。

恵谷

ここは磯です。膝くらいの水深だと思います。小船で来て、工作員は歩いて上陸したのではないかと思います。この時代にはまだゴムボートは登場していません。

西岡

体当たりしたのは小船か母船か分からないです。

◆変わった地形、特異な場所が海から目立つ

恵谷

これは1974年に、渡辺秀子さんという女性の子ども(高敬美・剛姉弟)二人が北朝鮮に移送された福井県の岡津海岸です。東側には真珠浜という拉致現場があります。ここも真珠浜も沖合に青島という小島があります。

1974年当時、その島をどう利用したか分かりません。1977年から拉致が急に増えますが、その前に起きた拉致事件です。

これは石川県の宇出津です。(能登半島の東側で)富山湾になります。入江になっていて、現地では船隠しと呼ばれています。砂浜ではなく、岩浜です。地形的に珍しいだけで観光的に人気があるわけではありません。

韓光煕がここを確認しているわけではないですが、使われたのが1977年。この頃、こんな所をよく探し出したという意味で非常に驚きです。朝鮮総連の地方支部の中で、拉致とか工作員とかは言わず、変わった地形はないかと様々なやりかたで確認したのではないかと思います。そういう意味で、宇出津は特異な場所と言えると思います。

宇出津事件は77年9月ですが、実は74年までは能登半島の西側ばかりを使っていました。つまり津軽湾の東側を使ったのは77年が初めてです。これはどういうことかというと、国鉄能登線が廃線になって西側から入ることが困難になったからです。

この調査では鉄道の廃止も重要な要素として見ておかなければならないと思いました。

これは鳥取県米子の弓ケ浜と呼ばれるところです。松本京子さんが拉致された現場です。広い白砂青松の海岸で、砂浜と松林が延々と続いています。そして集落から海岸まで一本道があります。その一本道で、さきほど言った目撃された老人に鉄拳をくらわせて何針も縫う大けがを負わせました。そして松本さんをかついで海岸まで一直線に走って逃げた。

これは新潟県の寄居浜(横田めぐみさん拉致現場)です。今はテトラポットがあって美しい浜にはなっていませんが、昔はなかったと思います。条件拉致だと説明しましたが、上陸した後、若い娘をさらえという命令だったと思います。

この寄居浜には河口がありません。あるとすれば3キロ向こうに信濃川があります。寄居浜で感じたのは、かつてあった日本海タワーが沖合からよく見えたのではないかということです。

同じように米子の弓ケ浜もしおだいという大きな旅館があった。そういう顕著な目立つものがないとなかなか現場を特定することができないのです。これが条件拉致の問題だと思います。

工作員たちは、潜入、脱出する地点をルート地点と呼んでいます。韓光煕が書いていますが、その地点を決めるのは北朝鮮からの指示だということです。船長が新潟の沖合をうろうろして、「あそこがよさそうだ」と決めます。そうするとある程度の写真を日本に送ってきます。それを元に韓光煕のような人物が現地に行って、警察が近くにないか、交通は便利かなど様々なことを調べさせてルート地点を設定します。

今回108か所調査した結果から言いますと、陸からの調査だけでなく、最終的には海上から見ないと、なぜそこを脱出・潜入ポイントにしたのか分かりにくいというのが実感でした。

その一つが寄居浜で、海から日本海タワーの建物がどう見えるのかを調査してみたいと思います。

これは地村さんたちが拉致された福井県小浜市の真珠浜です。この上に公園があります。戦闘員たちが、沖合の青島からゴムボートでここに上陸し、この斜面を登るとこの公園になります。

拉致したあとここをかついで降りて地村さんをここからボートに乗せて青島方面へ。地村さんはどこか分からないそうですが、ボートを乗り換えた、と。ここは真珠浜の一の浜で、ゴムボートをうまく隠せば、上の国道からは見えません。

この公園に行くとアベックがいるはずだから潜入しろと言われても、目標が大変難しかったと思います。

これが一の浜の左隣の浜で二の浜です。遠くに青島が見えますが、船隠しのような窪みがあります。ここに隠れていれば、まず周りからは分かりませんし、分かっても漁船が何かしているという風に見えます。また浜の黒っぽいところは、上から見ても何をしているのか分かりません。

二の浜は、地村富貴恵さんが袋から出されてゴムボートに積まれた。本人はどの浜か分かっていません。カップルは敢えて離して、それぞれに連れて行った。

                     (5につづく)

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