今ここまで言える日本人拉致の全体像-東京連続集会91報告3 ー救う会全国協議会ニュース | 日本会議長崎のブログ

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★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2016.06.27)
今ここまで言える日本人拉致の全体像-東京連続集会91報告3

◆工作員の「浸透」と「帯同復帰」

西岡 

工作員の潜入と脱出についてまず説明してください。

恵谷

北朝鮮は1948年、終戦後3年から工作員を出入りさせています。工作員が日本に潜入する、不法入国する方法です。北朝鮮を出発して船やボートで上陸する。「夜陰に乗じて」という言葉がぴったりですが、夜陰に乗じて上陸します。潜入だけなら、海岸ならどこでもいいわけです。

しかし、日本に潜入した工作員が脱出する、不法出国するには迎えの船が必要です。同時に迎えの船やボートと人が海岸の1点で、ピンポイントで出会う必要がある。

夜ですから、50m離れればもう会えません。大声でオーイと言うと気づかれます。とにかくピンポイントでランデブーする必要があるのです。それを北朝鮮の工作員たちは、「接線」と言います。脱出の時はこの接線がどうしても必要です。

工作員は出入りすることを、「浸透」と「帯同復帰」と呼びます。任務を終えた工作員を伴って本国に帰る。

拉致作戦の場合、例えば田口八重子さんですが、北朝鮮の発表では宮崎の青島海岸とされますが、私には新潟のように思えてなりません。原敕晁さんの例でよく知られているように、大阪から宮崎までだましながら、途中で温泉に入ったり、酒を飲ましたりしながら接線現場まで連れて行く必要があります。

その際、逃げ出すとか警察に通報されるようなトラブルは絶対避ける必要がある。非常に友好的な雰囲気で連れて行く必要があります。これはこれで大変なことだと思います。

海岸線に連れて行く時も、帯同復帰と同じです。被害者を迎えのゴムボートに乗せて帰る。だいたい調査部の工作員は一緒にゴムボートに乗って、朝鮮に帰ります。これがBパターン(拉致被害者の搬送のため長距離を移動後に海岸で接線)です。

◆条件拉致の場合は「帯同復帰」と同じ

もう一つ、Cパターン(「条件拉致」後に帯同復帰)があります。例えば柏崎。命令は「若いカップルを拉致してこい」です。調べた結果柏崎中央海岸には若いカップルがたくさん集まるという情報があると、崔スンチョルに「柏崎に浸透しろ。そこで若いカップルを拉致せよ」という指示が出る。

そうすると、北朝鮮から工作員の崔スンチョルと戦闘員3人の4人組が夜陰に乗じて柏崎に上陸します。崔スンチョルは誰が見ても日本人に見えますが、西岡さんが言ったように、市内で怯えている戦闘員に度胸をつけさせるために、「カレーライスを注文してみろ。何ということはないんだ」と。

昼間は海岸線を散歩するふりをしたり、松林に適当な所はないか見てきた。数日監視した後、「これでいける」とターゲットを絞った時に、一升瓶を持ったおじさんが出てきて、そのターゲットはやめて、偶然に蓮池さんたちが狙われたということです。

その時は自分たちで海岸に入っていますから、ゴムボートは河口に隠していると思います。沖には工作小船がいますので、それには連絡する必要がありますが、海岸では任意の時間に入ってきて、作戦終了後、任意の時間に出ていく。そこは自分たちだけで作戦ができる。

人定拉致の場合は、海岸まで連れていったら、何月何日何時何分にそこに被害者を連れて行かないと拉致は成功しない。その状況とは全く違います。

条件拉致のもう一つの特徴は、いわゆる「白砂青松」の場所ではないということです。今回現地調査で驚いたことがあります。拉致実行犯がゴムボートで上陸する。その前は漁船に偽装した工作小船で沖合1キロくらいまで接近します。この小船は一旦沖合の母船に帰ります。母船は領海22キロの外に待機しています。

◆工作員は人里離れたところには上陸しない、少し歩くと町があるところ

西岡

ちょっとポイントを整理しましょう。「浸透」と「回収」は通常の工作員が出入りする時のパターンです。工作員をゴムボートで侵入させた後、(工作員はそのゴムボートで海に出てから連絡を取るので)、基本的に海岸線までは迎えに来ません。工作員は日本の地理に詳しいし、ピンポイントで上陸しなくてもいいのです。

それから驚いたのは、人里離れたところには上陸しない。人の中に紛れ込まなければならないから。もうちょっと寂しいところかなと思っていたのですが、そうではない。上陸ポイントはそうですね。

恵谷

上陸ポイントは寂しいところでも、少し歩くと町があるところ。人民の海に紛れ込むのが重要です。人里離れたところで、一人てくてく歩いていると、実際そういうケースもあるんですが、そうなると「お前何しているんだ」ということになる。それを避けるために、なるべく町に近い上陸ポイントを設定する。

西岡

真っ暗だけれど、ちょっと歩くと町がある。無人駅なんかがいい。

恵谷

歩いていて不審に思われないところですね。町から遠いと、「こんな夜中に何をしているんだ」と思われる。

◆打石信号で互いに確認する

西岡

もう一つ、回収があります。不法出国ですが、この場合は真っ暗な中でゴムボートに乗らなければならない。打石信号というのがあるのですが、真っ暗な中で確認するのに、石を打って確認するんです。

惠谷

真っ暗な夜、海岸で石を二つ拾って叩きます。作戦や時代によっても違うんですが、例えば今回の作戦は5回と取り決めをする。これは双方の合計が5回です。1回カチンとやると、向こうは4回返す。2回なら3回返す。

これは石を例えば2回叩くと、釣り客か何かが返してくる可能性があります。しかし、どこにいるか分からない。ピンポイントでランデブーする必要があります。回収役の工作員はウェットスーツを着て上陸します。待っている人間は岩陰にいると言っても、現場では1メートルくらいの差で会う必要がありますから、10メートル離れると、暗い中で、悟られないようにして、打石信号で2回叩くと、2回返ってくると、これは違うということになる。

石川県警が、打石信号が夜、どの程度まで聞こえるか現場検証したんですが、普通程度の音で60メートルまで届くそうです。双方が接近して、作戦のために準備された名前で確認する。そして回収する人間をゴムボートまで連れて行って、侵入とは逆のコースで戻るというのが通常の作戦です。

西岡

打石信号について石川県警が現場検証したということでしたが、実は宇出津(うしづ)事件で打石信号が使われています。そういうこともあって石川県警が現場検証したわけです。

つまり、この工作員の回収は、Bパターンの人定拉致と同じ方法です。工作員を回収する時、拉致被害者も一緒に回収する。だから久米裕さん拉致の時、打石信号が使われたわけです。

一方、条件拉致の場合は、工作員の浸透、回収とは異なります。つまり、浸透させてもう一度回収する。一つの作戦で二つをやる。そのために沖合で母船が2、3日待っていなければならない。これは大変危険なことです。

もちろん当時監視が厳しかったかどうかですが、条件拉致は見つかっていませんので、危険だと簡単に言いきれないかもしれませんが、増元さん、市川さんたちの事件では、海上保安庁が不審船を目撃していると現地の新聞は書いています。何日間か待っていたからこそ、そういうことが起きたのです。

◆母船は領海限界の22km沖で待機していた

恵谷

先ほど言ったように、母船は領海限界の22km沖にいますので、その外にいれば、基本的に海上保安庁の巡視船が来ても文句は言えないんです。領海に入っていると、「出なさい」という指示が出せる。

当時は、今話題になっている接続海域という概念はなかったし、接続海域に遊弋している時は、海上保安庁の取り締まりはできなかった。今は別ですが。

西岡

船が待っていなければならない。浸透と回収を一緒にやるのが条件拉致のもう一つの特徴です。その場合、母船は領海の外で待っているが、小船は領海に入っているわけです。小船が一番見つかりやすい。浸透や回収だけであれば、回収してすぐに帰るのですが、小船が2、3日いなければならない。その問題をどう解決するかということを、調査部と作戦部の戦闘員たちは考えたと思います。そこで先ほどの惠谷さんの話につながります。

◆工作小船を沖合の小島に隠し、待機させた

恵谷

柏崎の場合は海岸線に砂浜があり、沖合には何もありません。もっと沖に行けば佐渡がありますが。福井の小浜と鹿児島の吹上浜の沖合には小島、岩の島があります。

福井の場合は、青島という小浜湾の中、2キロ先にある島ですが、入江のようになっていて工作小船がすっぽり隠れることができます。鹿児島の久多島(くたじま)は、吹上浜から沖合8キロにあります。そこに工作小船を繋留できる。望遠鏡、双眼鏡で見れば、あそこにいると分かったとしても、遠目では日本の漁船と見える。よほどの緊急時出ない限り問題にされません。

柏崎の場合は、小船を隠す島がありませんので、小船はいったん母船に帰ります。それは危険回避のためです。

松林等に置いたゴムボートに乗り込んだら、小船まで行き、小船が母船まで行く。そして帰る場合は、スイッチのオン、オフだけの信号で対話はしません。ゴムボートが動き出すと小船も回収に来ます。回収したら小船は時速40キロくらいで飛ばして母船まで帰ります。

◆小船を隠す小島がない場合は拉致した後、母船が海岸に近づいてくる

西岡

地村さんから拉致された時の状況を詳しく聞きました。地村さんが一番怖かったのは、ゴムボートから小船に移る時、袋に入れられていたわけですが、放り投げられたそうです。海に落とされるのかと思ったそうです。本当に怖かったと、鮮明に覚えているわけです。

地村さんはゴムボート→小船→母船と2回乗り換えています。ところが曽我さんにも詳しく聞いたんですが、「1回しか乗り換えていない」と。「よく思い出してください。混乱していたからじゃないですか」と聞いたんですが、「1回しか記憶にない」ということでした。

蓮池さんが話したことを入手すると、蓮池さんも1回しか乗り換えていない。つまり、曽我さんと蓮池さんの場合は、無人島がないんです。だから小船は帰っていたのではないか。母船に収納されていた。だからゴムボートがかなり長い距離を行き、母船も危険を冒して領海内に入ってきて回収したのではないか。

無人島がない拉致被害者は1回乗り換えており、無人島があるところの地村さんたちは2回乗り換えていた。このことと、惠谷さんが言った、「小船を無人島に隠していたのではないか」ということが、ぴったり合ったのです。

もう一つ、富山の未遂事件では、袋に入れられた後、林の中に置かれて、「静かにしなさい」と言われた。本来なら早くゴムボートに乗せて逃げた方がいいのに、あそこも無人島がなかった。そうなると、ゴムボートで長い距離を行くのは大変だから、母線がかなり接近してくるまで待っていたという仮説も成り立ちます。

恵谷

あの時は、夕方とはいえまだ少し明るかったということで、もう少し暗くなるのを待ったという可能性も考えられますが、間違いないことは、ゴムボートはどこかに隠しており、それに積み込んで沖合に出る。島がない場合は小船を使わずに母線が海岸近くまで入ってきて、ゴムボートを回収して搬送する作戦ではなかったかと思います。

◆電波情報があったから政府は拉致認定ができた

西岡 

なぜ日本政府が拉致を認定できたのか。特に1988年3月の梶山答弁で、3件のアベック失踪事件と富山の未遂事件を、「拉致の疑いが充分濃厚」と言えたのか。その理由は電波情報だと言ってきました。

拉致の時は電波にあるパターンがあるという話がありました。それは一体どういうことなのかと、恵谷さんと長いこと討論したんですが、多分Bパターンの人定拉致ではパターンがないというだろうと思います。人定拉致と工作員の回収は全く同じです。そこに電波の違いが出る要素はなにもない。

しかし、Cパターン、条件拉致の場合は、1回の作戦で浸透と回収を両方やる。浸透の時の電波のパターンと回収の時の電波のパターンがある。それが数日の間を置いて二つある。その電波と、動機のない失踪事件が重なった時に、事件の直後、警察の幹部たちは拉致の疑いが高いと思っていたわけですが、それには通常の浸透・回収とは異なる何かがあったからだと思います。

これは特に78年の夏、条件拉致が集中して起きていたことと関係があるのではないかと思っています。

恵谷

今判明している限り、78年の七夕から終戦記念日までに条件拉致が集中しています。おそらく警察庁、県警は傍受しているはずです。そうすると、入ってくる、小船は島影にいるか母船まで戻る。そして近海からの電波がある。この電波を聞いている。

脱出の時も「完了した」との電波がある。そのやりとりの会話は暗号がかかっていますから分からないわけですが、電波の発信地点と頻度によって、これは軍事的によくある手法ですが、それによって作戦の意図をつかんでいたのではないかと思います。

西岡

今日は映像を準備しています。無人島など見ていただきますが、最後に、BパターンとCパターンで海岸の様子に特徴があるのではないかと思われます。配布資料にもありますが、人定拉致で接線がある時には、砂浜ではできないのではないかということが今回分かってきました。

                     (4につづく)


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