◆ ゲームは遊び方のルールである | ゲームデザインエクセレント

◆ ゲームは遊び方のルールである

さて、冒頭で触れた問題提起、「ゲームの本質とは何か」に戻ります。
 いったいそれは何だと思いますか?......と問いかけたいところですが、この答え、実は既に書いています。この節のタイトルです。
 たとえば将棋を考えてみましょう。
 これは、五角形の木でできた駒を、9×9マスのボード上に展開して遊ぶものです。駒は、可能な動きの異なる8種類、合計20枚。1ターンにつき1つだけを選んで動かすことができます。敵の駒のいる場所に自分の駒を進めた場合、先にいた敵駒は排除され、自分の手駒として盤外にキープされます。そして手駒がある場合、盤上の1コマを選んで動かす代わりに、手駒を任意の場所に配置することができます。
 このゲーム体系において重要なのは何でしょうか。例えば駒がなくてチェスのそれで代用したとしても、それが将棋であることに代わりはありません。ペットボトルのふたに「歩」とか「飛」とか書いたものでも同じです。また、盤や駒がコンピュータの画面上に表示されても、将棋が将棋であることには、全く代わりはありません。
 しかし、駒の動きを変えたらどうなるでしょうか。あるいは手駒を禁止したり、二歩を認めたり、1ターンにつき好きな数のコマを動かせるようにしたら? こうなったら、もう将棋とはいえません。
 つまり将棋というゲームの本質は、将棋ならではの遊び方のルールなのです。これが維持されていれば将棋です。一方、同じ道具を用いていてもルールが全く異なっているのなら、それは将棋ではないのです。《*2》


 コンピュータゲームの場合も、同じです。
 例えば『ドラクエ』。そこでは、キャラクターはパラメータの集合として規定されます。より具体的には......体力や素早さなどの基本能力値があり、そこから生命値や攻撃力・防御力などが決まる。戦闘とはそのやりとりで、攻撃力と防御力の差し引きでダメージが決定する。ダメージを受けると生命値が減少する。生命値には回復手段があるが、ゼロになると死亡する。相手を死亡させると、経験値が増える。経験値が一定以上になることでレベルがあがり、パラメータが上昇、戦闘力が高くなる、また、戦闘では経験値の他にゴールドを得られるが、攻撃力や防御力を補正するため武器・防具はゴールドで購入できるため、やはり戦闘力向上の重要要素となる。成長し、これまでかなわなかった強敵を倒し、近づけなかった未知の土地へ乗り込む......文章として記述すればこのようなものでしょう。これはまさにルールです。
 ルールの変更は、ゲームを別のものにしてしまいます。例えば、経験値という概念を取り去ったらどうでしょうか。もちろんその場合でも、ゲームは成立します。ただ、取り去ることで失ったものは、別の要素を導入することで補わないといけません。そして、何をどう持ってこようとも、経験値のないドラクエは、もうドラクエとは言えないでしょう。
 また、似通ったルールを持ちながらも、その実装部分に違いを付けることで、別のゲームにするということもあります。初期の『ファイナルファンタジー』は、ゲームシステムという意味ではドラクエとそれほど違いはありません。ドラクエに慣れた人なら、プレイ方法に戸惑うことはなかったでしょう。しかしそのプレイ感覚は全然別物で、大きな違和感を感じさせるものでした。これはいわば将棋になれた人がチェスをやるようなものといえるでしょう。そしてこの違和感は、慣れることによって"個性"として認識でき、そのことからシリーズタイトルとしての確立につながったのだと言えます。


 実はRPGというゲームは、コンピュータ以前から存在しています。「テーブルトークRPG」と呼ばれ、経験値や攻撃力&武器による補正といったRPGならではの"小道具"も、そうしたカテゴリーで確立したものです。これらは商品としては「ルールブック」という形で成立していました。


 コンピュータRPGの場合、プレイヤー自身が直接記録/計算する必要がないため数値類を細かくすることも可能ですし、入り組んだルールを導入することも可能です。そして、単純なルールからより複雑なルールへと、プレイヤーの習熟にあわせて小出しにグレードアップしていくことも可能です《*3》。こうした可能性が、非コンピュータ時代には限られたマニア層だけのためのマイナーな遊びを、"国民的娯楽"のひとつに押し上げたのだと言えるでしょう。