―歩けー


老化の進行に個人差はあっても若返ることない。


「老化は足から」という。実はからだの筋肉の60%が脚に集まっているからだ。20歳代と60歳代の筋肉の衰えを調べると、腕力・握力・背筋力は30%の低下が見られるが、なんと脚力は60%も衰えてしまう。


しかし、運動による作用を総合的に考えると、老化の速度を遅らすことができる。運動は筋力をつけたり、体脂肪を減らしたり、血圧や血糖値、血中のコレステロールを下げたり、心肺機能や免疫機能を向上させる。つまり、活力年齢が若いということになる。


活力年齢とは年齢より若く見えたり、高齢にもかかわらず驚くほど体力のある人がいる。老化の進み方は、人それぞれで、暦年齢以外に老化を表す指標が必要となり、それが活力年齢なのだ。脂肪量、血圧、コレステロール、肺機能、敏捷性、平衡性などの要素から算出する。活力年齢が低いほど若々しい。


データによると虚血性心疾患、高血圧などの循環器系疾患の人間の活力年齢は、暦年齢よりも約7~10歳も高くなっている。一方ジョギングなどを習慣化している人は、活力年齢が10歳ほど若い。


運動を続けている高齢者や有病者は次のように言う。「足腰が弱ると終わりですよ」。そして、歩くことを心がけていると次のような効果が現れる。


1.以前より余裕を持って買い物ができる(全身持久力体力の向上)。

2.自転車に荷物を積んで楽にはしれる(筋力、平衡性の向上)。

3.布団の上げ下ろしが楽にできる(筋力、調整力の向上)。

4.入浴で背中が楽に洗える(関節の柔軟性の向上)。

歩く以外に、自宅で簡単にできる運動は次のようなものがある。

心がければ誰でもどこでも実行できる。要はやる気の問題だ。


1.腕立て伏せ(ひざをついた状態で行う)
2.腹筋運動(背中を持ち上げないでヘソをのぞきこむ)
3.ひざ屈伸(大腿部の強化)
4.踏み台昇降運動(下腿部、大腿部の強化)
5.ラジオ体操
6.ストレッチ運動

手足の運動を規則的にし、刺激のある環境で、頭を使って生活していれば、年をとって

も脳細胞は増える。


さらになわ飛びの健康効果も見逃せない。

なわ跳びはリンパ管を活性化させるのに有益な運動で冷え性にも効果がある。

なわ飛びの振動→リンパ管が活性化→肌荒れ、むくみに効果的で手首足首をよく動かすため血行がよくなり冷え性を改善する。

なわ飛びの衝撃により骨粗しょう症を予防、骨まで強くなる。
リズミカルに飛ぶことで脳が活発になる。


睡眠も歩くことで影響を受ける。睡眠の種類は身体の睡眠、レム睡眠と脳の睡眠、ノンレム睡眠に分けられる。このうちレム睡眠は脳の成長に不可欠とされている。レム睡眠は老化の進行に合わせて減少するが、歩くことで防ぐことができる


転倒の危険チェック
・立ったまま靴下を脱ぐことができるか?
・立ったままズボンを履くことができるか?

理想的な歩き方は次のとおりである。

・かかとから足を床に下ろす。(つま先がしっかり上を向きつまず

きにくくなる)
・後ろ足でしっかり蹴る。(足が高く上がり歩幅が広がる)

・腕を振って歩く。(上半身のバランスがよくふらつかない)

以上のように足が丈夫になれば、全身の血流が良くなり健康維持には薬や医者もかなわない。


1才過ぎから歩き出す人間は、生涯に約11万km歩く。ほぼ地球を3周する距離に匹敵する。足は人間の最高の交通機能である。最近は車社会になってその機能はドンドン低下している。


現代人は運動で一日200Kカロリーを消費するのが理想。目安は10分間に約800m歩くウオーキングで50分、水泳で90分、テニスで28分だ。準備も要らず、身体に急激な負担の少ないウオーキングがお勧めになる。


車に依存しないで歩くことを日常的に心がけて、健康な生活を送りたい。



老害にならない“男の美学”

昔のプライドは捨てろー



祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ(平家物語)


色は匂えど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ

有為の奥山今日越えて

浅き夢見し酔ひもせず
(弘法大師空海)


本当の意味でのプライドのある人は、他人になにを言われても傷つくことはないと思う。たとえ傷ついても、それは一時的なことであり、長くその影響を引きずることはない。


プライドとは、自分を確立した人だけが持つことのできる自分自身に対する誇りである。自信のある人だけが持つことのできる、自分の生き方に対する納得が真のプライドだと思う。


だからプライドのある人は、自分のなかでは心の底から納得したものに基づいて判断し、行動していれば、周囲からなにを言われても傷つかないし、反論する必要もない。


自分を大切にできない人がプライドを持っているとしたら、それはプライドではなく思い上がりやわがままに過ぎない。


ただしプライドを持つには、試行錯誤を繰り返すしかない。自分が傷つかないで、プライドを持つことはできない。生きるためには自分が傷つくことは避けられないのだ。


本物のプライドとは、まずは自身の現状を受け入れ、他人を納得させるだけの自身の能力を信じる事からはじまる。



「彼はプライドが高い」これは通常ネガティブなコメントだ。しかし、プライドが高いというのは悪いことではない。プライドが高いということは、とりも直さず、自己を承認(肯定)できる、ということだ。自己承認ができないでプライドが高いことはありえない。だからむしろプライド高くあるべきだ。



反面、周囲に嫌われるネガティブなプライドに自己の過去キャリアを必要以上に顕示するタイプがある。



プライドの良し悪しは、考え方の柔軟さ謙虚さ素直さ思いやり、といった点が「欠ける」ということだ。



④の気持ちが確保できたらよいだけの話だ。間違っても、「プライドが高いのはよくない」とか「自己承認は悪である」といった理解をしてはダメだ。プライドのない人間は存在意義に欠けるし、事実役に立たない。


自分で自分が承認できないということは、意欲・気力が萎えているということだ。自分で自分を承認できなくなることを「落ち込む」とか「凹む」とか言うが、そうした状態に立ち至ったときは全力で自分のプライドを取り返す努力をすべきなのだ。


プライドはいくら高くても高すぎることはない。プライドこそ自己承認そのものであり、信念の源泉になる。


がないプライドの高さは、本当にプライドが高いわけではなく、劣等感の裏返しと取られる。自分のプライドが十分高まったとき、の美徳が自然と手にできるようになる。だからホンモノほどの美徳を十分持ち合わせている。


老化が進むと、絶望と経験が対立する。経験は実際体験して得た力に宿り、知識を蓄える。しかしこの能力は加齢と共に大きな負担を強いられる。



老化が極まると過去の経験をトレースするような良好な視力や鋭敏な聴覚もなくなってしまう。同調と失調は長くせめぎあううちに失調要素が優勢となってしまう。時間がたつにつれて絶望が身近になっていく。



老化の初期段階ではその絶望の中に回顧的ないみあいが残っているが、最終の段階まで達すると能力の崩壊が始まる。



このことを良く自覚して、過去にこだわるネガティブなプライドは極力避ける生活姿勢を維持したい。





―頑固爺になるなー


最近老人心理学の必要性がささやかれている。


わが国の過去の意識では、老人は人生の練達者として敬われ、頼りにされてきた。いわば、社会の長老として豊富な識見を求められてきた経緯が存在した。


いまの高齢者の男性は、敗戦による価値観の急変と極めて厳しい経済状況の中で、ほとんど家庭を省みる暇もなく、いわゆる「働き蜂」として会社から家に通う?亭主不在家庭で、その全精力を職場人間として生き抜き、またそのことを男の生甲斐としてきたのが、大方の生きざまだったと思う。



さてその働き蜂も現役を退いて家庭に入ったものの、もともと亭主不在の家庭では、さてどこに座っていいものやら、外見好々爺然としているものの、どこか落ち着かないのが、かつての働き蜂のうしろ姿のように思えてならない。



人間齢を重ねると、気短になったり、悠長になったり、頑くなになったり、円熟味を増したり、六道輪廻流転の中に人それぞれの生きざま重ねる訳だが、常に自尊の気持ちを大切にして、その裏にそれを支える自知と自制の程よいバランスを保ちつつ“疎まれず蔑まれず”どことなく親しみの持てる爺になりたいと思う。



ところが、最近は老人迷惑論の風潮が見受けられる。


背景を考えると、高度経済成長の過程で産業構造がコペルニクス的に転換し一次産業から二次・三次産業へ人材シフトが進行した。その結果、大家族主義とか地域コミュニティの崩壊をもたらした。


昔の引退はゆるやかだった。今は定年というシステムの中で、就業者の意思に反した形で突然訪れる。多少は覚悟しているとはいえ心身共に元気な状態で社会参画の道がなくなる。


現役気分のまま、対象が消えてしまう。気持ちを切り替えられれば問題はないが、気持ちと生活のアンバランスが生じる。現役だった精神状態で老人的な環境に置かれると、ストレスやイライラが嵩じる。


そこに年金という強い味方が現れる。誰の世話にならなくても生きられるという自負が生まれる。年金制度は社会全体で支える仕組みになっているが、当人は当然の権利と錯覚している。


社会に対する感謝の気持ちは持ちたい。生産年齢世代の負担は老年人口の増加に比例して増加しているという現実を認識して、行動と一致させないと迷惑論を増殖させることになる。


老化現象の進行は色々な精神的軋轢をもたらす。加えて前述の急激な引退に伴う意識的混乱を引きずると、様々な思考パターンが発生する。


全てが全てではないが、老化していく過程で精神的なマイナス思考の傾向が見られる。


被害妄想、貧困妄想、情緒不安定、不定愁訴、偏執的傾向(頑固)、策謀志向、甘え感情、弱者の脅迫、欲望思考、抑制崩壊、虚偽表現、責任回避、見栄張り等々の兆候が見え隠れしてくる。


その中でも特に頑固(思い込みと妥協のない自己主張)だけは避けたい。


今の自分の生き方や考えに満足しているというか、安住しようとしている人がいるが「変わってゆく」ということを常に向上心とともに心がける。そして、変化を恐れない。



頑固な人間は頑固なまま進んで行こうとするから、頑張って努力している割りになかなかいい結果が出ない。



社会マナーに逆らって生きているタイプに非行少年と非行老人という表現がある。前者に対しては少年心理学という学問分野があるが、人口構成の変化による社会的ニーズもあって老人心理学という分野も出てきた。


頑固を通しても自分に不利になると、年のせいにして逃げのパターンに入るケースがまま見受けられる。


人生経験が豊富で尊敬されるべき熟達者(周囲の人たちはそう思っている)が、頑固でかつ年のせいにして当面の事象から逃避する気持ちは持つべきでない。


年齢は木の年輪と同じである。年齢を自ら卑下する必要はない。


いずれにしろ、頑固にならず、人生のど真ん中である四〇年間、社会の中で経験してきた豊富な知識・体験を貴重なものとして活かした老後を過ごすことが、己のステイタスを高める男の生き方につながる。


次の表は老化による心理現象を列記したものだが、老人でなくても当てはまる項目も見受けられる。


現役時代は仕事や付き合いにまぎれて気にしない現象も老化すると鮮明になる。

試しに自分に当てはまる項目に丸をして、半分以上該当したら気をつけたい。二五個以上あったら、老化傾向と自覚したい。


頑固爺の一般的なイメージは、①物分りが悪い、②自分の意見にこだわる、③協調性がない、の三点が挙げられる。


いずれにしても、頑固爺は対人的にネガティブなイメージが強い。


自分の考えにこだわらないで、物分りが良い態度で周囲に接していれば敬遠されたり、孤独感に惑わされることもない。


くれぐれも頑固という周囲の人間たちが敬遠するようなマイナスイメージは避けたい。






老害にならない“男の美学”

燃えつき症候群になるな



ある調査で、老後に生き甲斐があると答えた人は、特に無いと答えた人よりも、健康である割合が高いという結果が出たそうだ。


では、どうやって老後の生き甲斐を見つければよいのか。例えば、これまで続けてきた趣味や、今まで時間が無くて取り組めなかった事などを考える。老後は時間にゆとりがあり、ゆっくりと色々なことにチャレンジしてみたい。



燃え尽き症候群になりやすい人は仕事一筋のビジネスマン、子育てを生きがいとしている主婦、受験生などに起こりやすいと言われている。


一つのことに打ち込んでいて、高い目標を掲げている人はそれが達成されなかったとき、あるいは達成されたときに燃え尽きてしまう可能性がある。


一つのことに没頭していた人がその没頭せざるを得ないストレス から解放されると、目標を失い突然意欲を無くしてしまう症状 燃え尽き症候群と言う。定年も同様の現象が現れかねない。


燃え尽きやすい人の性格特徴としては、完ぺき主義、頑張り屋、一途になりやすいことなどがあげられる。



燃え尽き症候群になると、まず無気力感、疲労感、不満足感、無感動などの症候が見られる。その状態が悪化すると、アルコールや薬物などへの依存、不眠、頭痛や胃痛、頻繁な風邪といった身体症状も見られるようになる。



真面目で責任感がある人が多いため、燃えている間と燃え尽きた後の自分自身のギャップに苦しみ、さらに病状が進行していくという悪循環になりやすい。



燃え尽き症候群は、うつ病と密接な関係がある。燃え尽きの症状が起こり、そのままうつ症状へと移行する可能性が高い。



弾力のあったゴムが疲弊し伸びきったような、定年人生に入ったということに留まらず、もう何もする気力がなくなったという意味で情緒的な消耗感である。


消耗感から自分を守るために人との接触を制限し、場合によっては突き放すような態度を取ったりする。


するべきことを成し遂げたという気分が実感できず、あるいは実感できそうもないと予期することで、なおのこと達成感が得られないという傾向になる。


このような事態に見舞われないためにも、定年以後の「ライフプラン」は絶対に必要である。






―ライフプランを持てー


人生設計は若い頃だけの話ではない。人生の節目の決意を語った孔子は次のように表現した。

“吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳(したが)ふ。

七十にして心の欲する所に従いて、(のり)()えず。”(孔子)


日本経済新聞に、団塊の世代621人に聞いたアンケート結果が載っていた。


その中で、「定年後の具体的な計画はない」という答えた人が65%もいた。残りの三五%の中には、「これから計画を立てたい」と考えている人が含まれている。この記事から、定年後の計画を立てていない人が、7080%ほどいるのではないかと推測できる。


計画を立てない理由に、「まだ実感がわかない」「今を生きることで精一杯」などの意見が多かったと記事は伝えている。


定年前後になり、それを急に考えようとしても、その現実を前にして、なかなか思考ができない人が多い。それをそのままにしておくことで、危険なパンドラの箱が用意される可能性があることを多くの人は知らない。


パンドラの箱には、親子関係、夫婦関係、熟年離婚、老後問題、友人関係など悩ます多くの問題が隠されている。


それらの問題を解決できないまま計画を立てても、存在感ある具体的プランはできない。


もちろん、夫婦関係が円満な人たちは、このような問題を深く考える必要はないが、熟年離婚された夫は、それを妻が言い出すことすら予想していなかったことが多いのである。



老後の生き甲斐と一言に言ってしまうのは難しいことだが、人生において生甲斐があれば、より豊かな毎日を過ごす事が出来る。


老後の生き甲斐は、人によって様々だが、例えば仕事、趣味、家族などが挙げられる。老後に生き甲斐を持てば、精神的にも満足感を得ることが出来るし、生き甲斐を持つことで健康を維持する上でも役立つ。







老害にならない“男の美学”



―一人の人間として自覚するー


人は生まれたときから自己という人格を有する。


生物の中で人間のみが自分がいつかは死ぬことを知っている。

それだからこそ哲学、文学、科学などの高度な活動が生まれたとも言える。

人間が死を恐れるのは、それが人格、意志、記憶などが個体の死とともに消滅することを意味するためと考えられている。


これらは大脳皮質の働きによるもので、その消失を大脳皮質が恐れるわけで、大脳が発達した人間の宿命とも言える。


しかし、生命は地球上に誕生してから途切れることなく、現在地球上に存在している生物にまで38億年もの間バトンタッチされてきたことになる。

単細胞生物と多細胞生物ではその方法は違いこそすれ不死を達成していることになる。



75才以上の人達を役所では「後期高齢者」と称している。

医療費や年金等で大きな社会問題となっている年齢層である。



還暦を迎えた頃は、体力の衰えを感じて、行先に言い知れぬ不安を覚える時期だ。

人間ドックに行っても、中性脂肪過大とか高脂血症だと指摘され、過食と運動不足の生活習慣改善を指示される。



世の中は元気な人間だけが人間ではない。


自分の意思を表現できない乳児でも、老いさらばえているようながら、思いとして、生きている限り一人の人間として自覚して「充足感こそ大事にしたい」と思う。




-死亡率100%-



 現代における死に対するイメージはバーチャルな世界で、年を取っても死を実感として生きている人間は少ないという。



現実の人間の死亡率は疑いもなく100%なのだが、死に対する恐怖や畏敬といったものが生きている時間の中で感じることはまれである。



ところで、もし「死亡率は100パーセントです!」ということばを耳にしたら、あなたは、「一体それは何の病気なのか?」と疑問を感じると思う。「何かの癌だろうか?」とか、その他、「新種ウイルス感染による病気かもしれない。」などと、いろいろ思いを巡らすことになる。


統計によれば死亡の原因として日本で多いのはH一七年で、癌が30.1%、心臓病16.0%、脳疾患12.3%、肺炎9.9%。この四つで7割を占めるそうだ。10代は事故死が多く、20代は自殺が多いという結果が出ている。


それでは、一体「死亡率100パーセント」というのは、何が原因なのだろうか?と疑問を持つと思われる。単刀直入に言うと、それは、「人間」ということを意味する。

癌にならなくても、交通事故に遭わなくても、戦争やテロで死ななくても、人間は最後にはみな100%死ぬ。いかに医学が進歩したとしても、日本人の平均寿命が伸びたとしても、人はみな最後には死ぬ。


そして、「自分は若いから安心だ!」とか、「自分は健康だから大丈夫!」などと言うことはできない。若いからと言って、ある日突然、何かの事故に遭遇しないとは断言できない。健康には自信があると思っている方も、安心はできない。ある日、突然急病で倒れ、救急車で病院に運ばれたら、もう心臓が停止して息を引き取ってしまっていたということも決して珍しくない。


世界中で、平均すると1年に6千万人が亡くなっているそうだ。一日に換算すると、世界中で16万5千人位の方が亡くなっている計算になる。


その中には生まれて間もない赤ちゃんや幼児もいれば老人もいる。豪邸に住んでいるお金持ちの人もいれば貧乏な人もいる。身分の高い人や権力者もいれば、その反対に身分の低い人もいる。また、頑健な体を持った健常者もいれば、身体障害者もいる。人種も様々だ。


やや悲観的だが、2015年は団塊世代といわれる層が65才に達して高齢化がピークになる。25年は介護のピークで、35年は死亡のピークになるという。


「死」はすべての人に平等に、必ず来る。人間はだれでも、できるだけ自分の死について考えないように努めようするが、これは、どうしても避けることのできない現実である。


そのための覚悟はしなければならないし、貴重な生存期間は意義ある生き方をしなければならない。



老害にならない“男の美学”

―老化の兆候―


年とともに肉体的、精神的衰えは否定できない現実になる。俗に気持ちは若いと言っても運動神経が伴わない。その辺を認識しないと、思いがけないトラブルに見舞われる。八〇を優に過ぎたお祖母ちゃんが転倒して大怪我をした時、「昔は木登りをしたもんだ」と言ったがとんでもない勘違いをしていることに気がついていない。


このことは現在の長寿社会と大いに関連がある。


明治後期から大正時代の日本人の平均寿命は、男女とも44歳前後だった。それが昭和に入ってどんどん延び始め、昭和30年では、男64歳、女68歳。同50年では男72歳、女77歳、平成10年には男77歳、女84歳となった。


このように平均寿命が延びたのは、抗生物質が発見され、公衆衛生が充実し、乳幼児の死亡も減り、国民の栄養状態がよくなり、各種医療技術が進歩してたいていの病気が治療できるようになった。


平均寿命が延びたのは、日本人の老化そのものが遅くなっているというよりは、医療、公衆衛生などの進歩の成果だ。


しかしその一方で、昭和初期の70歳と現在の70歳とを比べると、かつてのように腰が曲がっている人は少ないし、顔のしわもそんなに目立たないことも事実である。過酷な野外の長時間労働が減って快適で清潔な環境での労働が増えたことや、炭水化物中心の質素な食事から脂肪類を含む栄養豊富でバランスのよい食事ができるようになったことで、皮膚や骨などに現れる一部の老化現象は遅くなっている。


要するに、老化を遅らせるということと長生きをするということは、似た考えではあるけれど、まったく同じではないということだ。


ここでは、長生きをするためというよりも、より快適で楽しい老後を送るため、つまりQOL(生活の質)を上げるために、老化の問題を考えてみよう。

あるアメリカの学者が精神的な老化の指標として15の徴候をあげている。


・最近のことを忘れる。昔のことは比較的よく記憶している。



・急ぎの用をしなければならないとイライラする。


・すべてのことに対して自己中心的になる。

・過去のことを繰り返し話す。


・よくグチをこぼす。


・目のまえで起こっていることに興味をもたない。


・他人にわずらわされず一人でいたい。


・新しいことを身につけにくい。


・騒がしいことに神経質になる。



・知らない人と付き合うことを好まなくなる。



・世のなかの変化についていけなくなり、疑い深くなる。


・自分自身の感情にとらわれやすい。


・過去の自分の苦労話をしたがる。


・新しい計画を立てることができない。


・つまらないものを収集して喜ぶ。



体に現れる老化現象は、白髪が多くなった、老眼になり新聞が読みにくくなった、耳が遠くなった、皮膚のしわやしみが多くなり、弾力がなくなった、歯が抜けてそしゃくする力が落ちた、などがある。また、骨や関節が衰え、体の動きがぎくしゃくしてきた、反射神経が鈍くなった、なども現れてくる。



いずれも歳をとるに従って現れてくる現象(加齢現象という)で、これらをいちおう老化とよぶ。体の働きの変化は、外からの刺激に対する反応が遅くなる。



そして、外からの刺激により起こった体のなかの変化がもとの状態に戻るまでに時間がかかる。



また、ウイルスや細菌に対する抵抗力が衰えたり、傷の治り方が遅くなったり、爪の伸び方も遅くなる。そのほか、血圧の変化、視力の低下、暗がりになれるまでに時間かかるなど、いろいろな変化が生じてくる。



機能の衰えの多くは、臓器の縮小という形で現れてくる。手足の筋肉はやせ細り、各種臓器も小さくなり、骨の密度も低下する。もちろん脳細胞も減り続け、CTスキャンなどで調べると脳そのものが委縮しているのが観察される。


細胞レベルで考えると、人のからだから細胞を1個取り出して培養してみると、最初のころはバクテリアのように活発に分裂を始めるが、いずれ増殖をやめて、ついには死んでしまう。この分裂できる回数が多いほど若い細胞だといえる。


一方、老人のからだから取った細胞は、若い人の細胞ほど元気に分裂する力がない。肝臓や皮膚などは一部を切除しても、いずれもとの形に戻るが、若い人間の細胞ほど、この再生力が強い。老化研究の難しいところは細胞の分裂能力だけで老化現象の説明ができないことである。


例えば、脳の神経細胞や心臓の筋肉などは、生まれた時にすでに増殖を止めており、以降増殖しないそうだ。細胞そのものの機能も、年をとるにつれてさまざまな形で衰えていく。つまり、細胞の老化の問題には、細胞の数の問題と質の問題の二つの側面がある。


余談だが、人間のからだの中にも例外的にバクテリアのようにいつまでも分裂できる不死の細胞がある。それは生殖細胞とがん細胞なそうだ。不死といっても母体が滅びれば細胞も死ぬ。


結論は、老化は避けて通れない。肉体的な衰えを冷静に観察し、精神的に落ち込まない意識を強く持たなければならない。






―福祉のゆくえ2ー


日本では、西欧の福祉国家型の枠組みとはことなり、大企業の成長と蓄積に国家努力を集中し、その結果として雇用と賃金が拡大・上昇して相対的過剰人口(「二重構造」)が吸収される、という道筋が選ばれた。


西欧福祉国家の場合、国家財政の多くを社会保障費や各種の社会的支援に用いる直接的な国民生活支援が主であったのにたいし、日本の国民生活安定策は大企業の成長を間においた間接的な支援を中心としたのである。


年金保険と医療保険の分立・格差構造はこうした開発主義的な大衆社会統合策を前提したもので、独特の最低限生活保障枠組みとともに、開発主義的社会保障を形作ったのである。


日本の高齢化は時間経過とともに人口構成がいびつな状態になる。



社会を支えてきた現役世代が次々と老年世代の仲間入りをする。現役世代の次に続く子供たちは少ない。


それに追い討ちをかけるのは、格差社会の中でスピンアウトされた負け組の存在である。本来は正規の現役であるべきフリーターとかニートと言われる人間たちが将来を危うくする。当人たちの問題も大きいが、社会保障を含む国の経済構造が粗鬆状態になる。


マスコミ・メディアのエキセントリックな情報に惑わされて、あたかも現代の出産可能世代の女性が子供を産みたくないと意識している風潮がある。冷静に考えると、産みたくないではなく、産めないという経済状況を現出させた社会にあることを肝に銘じたい。


図―2から図―3に人口構成が変化する中で、減少する生産人口に経済活動に参加していない層が一割以上も存在する事実は見過ごし出来ない。放置しておくと日本型福祉財政システムの根幹を揺さぶりかねない。



老害にならない“男の美学”

戦後30年、経済成長期40年を経て大きな変化の時を迎えている。荒廃した国の経済を世界第2位の規模まで押し上げた世代の誇りを持って次世代の社会を支える賢明な判断を持ちたい。


平均寿命が延びるために、2050年には定年の年齢を85才まで引上げねばならないと、米国の生物学者が語った。



BBCニュース(2.17)によると、米スタンフォード大学のタジュパルカ博士は、老化防止の技術の発達により、今後二〇年にわたって毎年一才ずつ平均寿命が伸びることが可能となる。しかしその結果、現在の定年年齢が維持されたままであれば、世界経済は重圧を受けるだろうと、警告した。このシナリオを米国、中国、スウェーデン、インドの四カ国に当てはめた。



そして米国の場合には、人々が65才で引退すれば、社会保障と医療費はほとんど二倍になるという。しかし八五才まで定年を伸ばす事が出来れば、保障の現在のレベルを保てると言う。


現実になれば、5060代は人生まだまだの道半ばにいることになる。



いずれにしろ現実は、わが国は歴史的背景から発生した団塊の世代という特殊な世代の存在により、2015年から世界一の高齢化国家になる。2025年からは高齢者介護のピークになるという。そして、2035年は死亡率のピークが訪れ、人口の大激減という社会現象がもたらされる。



今後30数年は高齢者を中心にした福祉政策は避けて通れない。政治的表現をすれば、福祉経済が最優先課題になりかねない。




―福祉のゆくえー


表‐1は社会保障給付費の変化を示したものだが、内訳に占める高齢者関係給付費が右肩上がりに伸びている。その総額は2005年で国家予算に比肩する額になった。今後、この伸びは二次曲線的な勾配で伸びると予測される。100兆円の大台はすぐそこにある。


老害にならない“男の美学”
 表-1社会保障給付の変化


生産年齢世代がはじき出す経済的付加価値の全てを投入しても追いつかない社会保障の財政規模になる可能性を帯びている。



福祉国家の不安定要因は、どこの国にも共通する二つの大きな原因がある。



一つは、言うまでもなく膨張する福祉支出に追いつかない財源問題であり、高福祉・高負担といっても、もうこれ以上国民の負担を増やすことはできないところまで来ている国が多い。



福祉国家とは、政府が積極的な社会保障の整備と完全雇用政策の推進によって、国民の生活の安定と福祉の増進を図る国家体制をいう。



近代において受け入れられた、国家の活動が消極的な秩序の維持に限定された「夜警国家」 も、20世紀にはいると、各地で労働者と資本家との格差が拡大するにつれ、その社会的・経済的矛盾が露呈しだした。




こうしたことから、国家は政府による積極的な市場経済への介入により、社会的・経済的矛盾を解決することが求められるようになった。




福祉国家においては、単に形式的なものでなく、実質的な自由・平等を確保し、国民の生存に配慮することが国家の重要な任務とされる。




また、その実現のためには、累進化税制度や相続税制度など財産権に対して社会的制約が加えられることにより、富の格差の是正が図られなければならない。




さらに、国民生活を安定させるために、金融・財政政策や社会政策を推進することも国家の重要な任務となっている。




もう一つの共通点は財源不足を生み出す主な原因の失業の増大と少子高齢化である



失業の増加は失業給付の増大をもたらし、雇用保険の財政基盤を揺るがすだけでなく、他方では税収減の原因になる。また少子高齢化が続くと働く現役世代が相対的に減少して保険料や税金を収める数が減少する。



社会保険料収入や税収の減収になり、同時に、他方では年金支出、高齢者医療支出、介護支出などの増大を引き起こす。



さらには健常者を含む社会保険全体の財政基盤を揺るがす。



福祉国家の不安定な原因である財源不足は、主として失業の増大と少子高齢化とによってもたらされるという側面がある。



失業増大と少子高齢化の問題はその意味で現代社会の根底を揺るがす二つの大きな問題で、現代人の不安の根源になっている。



構造改革と称して米国型のグローバリズムを呼び込んだ結果として、規制緩和された自由競争経済主義は勝ち組・負け組という格差をもたらした。



雇用の問題も少子高齢化の問題も、いまや時代の変化に応じて、雇用の分かち合いの導入や、基礎年金の社会保障化など、抜本的改革を行う必要がある。