―楽観主義で行こう―
年をとることは怖いことじゃない。痴呆だって怖くない。
できなくなることばかりに目をむければ、悲しいにきまっている。
考え方を変えれば、年をとってできるようになること、
年をとっても衰えないこと、というものは沢山ある。
楽観主義(プラス志向)とは今と未来がセットの考え方で、
悲観主義(マイナス志向)は過去と未来がセットになっている。
大方は楽観的な態度、楽観主義が望ましいと考えているが、傾向的に悲観的な考え方をするほうが多い。
よく誤解されるが、楽観主義は、決してノー天気ではない。あらゆる困難に立ち向かうことができる態度を自分の方針として身につけているのが楽観主義だ。一般的に、楽観主義を望ましいと考える理由はそこにある。漠然としていても感覚的につかんでいるところが楽観主義者の人間力だ。
楽観主義は、いま目の前の現実のことと、未来に向かって行動する目的志向が一つの輪になっている。そうでないと楽観主義でいうプラス志向はあり得ない。自己が望む未来の状態を想定して、いま現在の自分の行動を観察したり、制限することで、未来に対して自信を持っているからだ。
自分はいつでも必要な準備をしている態度によって、困難に遭遇してもきっと乗り越えることができるという自信につながっている。
自信とは自分を信頼できるということになる。必要な準備をしていることで、自分を一番信頼できる支援者に仕上げていく。
未来に備えて準備をしているので、目の前のいまのことに不安を感じない態度が恒常的になっていて、精神状態も安定している。この安定によって、不測の事態にも対応できるため、ますます自分を信頼することができるようになる。
悲観主義な人には、未来と過去があって、今がない。行動しているはずの「今」は、いつも「気をもんでいる時間」になる。
悲観的な人から「勿論」「しかし」、「もし」が出てきてしまうのは、未来と過去だけを見ていて、今を見ないからだ。そのため、何をしたいのか、どうするのかを具体的に考えられなくなっている。自分に必要なことを拒絶している。
気がついている人から見ると、つじつまの合わない考え、解釈、行動と感じるのでこの上なく不思議に見える。
楽観主義の場合には、目的を達成するために、必要な準備をする。
必要なら行動するので、「しかし」「もし」が出てこない。 出来る、出来ない、好き嫌いという感情に支配されずに判断する。
楽観主義の特長は、勇気があること、つまり自分を信頼しているといえる。他者への信頼があること、他者との関係に対等感があることがあげられる。
悲観主義的な人には、この対等感が欠けている。人より上位に立つか、下位に置くか。何でもいいから、何かで他者より優位に立ちたいだけで、同じ土俵で努力して優ることを目指していない。言葉で人は平等だ、対等だと言っても心の底で対等だと認められない。
楽観主義は、なぜ他者との関係に対等感をもてるのかと言うと、やれば誰でもできると思っているからだ。
物事の成就は、特別な才能のせいではなく、準備を具体的にしたためと考える。やりたいことができるように準備して行動すれば、目標は達成できると考え、行動している。それは誰にでもあてはまることだと考えている。
他者と協力して物事を達成していくことが苦にならない。やればできると思っている。時間がかかることも自分の体験で、知っているので辛抱強く取り組む。そのことを知っているからこそ、横道にそれてムダ足を喰わないように注意しながら、集中する。この状態がコツコツと行動をしている状態なのだ。この経験で、 協力しあうことによって、 自分と他者の間に生じる共同体的な感覚を身につく。
悲観的な人はそうは思わない。
なにかにつけ、差と比較で判断するので、自分には才能がないと考えがちだ。できるか、できないかについては何の根拠もないが、最初から脳の動きを停止させているようなものだ。脳が停止すると身体は動かない。競争的な気質でも競争を正面きってしないのは、そのためだ。考えたことは現実になる。その悔しさや屈辱を認めるのが苦痛になるのでなにかにつけて他者に厳しくなる。
他人との差や比較をするために、 気になってしかたなくなるので、相手の価値をこき下ろすことに神経が集中してしまう。
本来、気にするべきは、他者のことではなく、自分の行動なのだ。
いくら他者をこき下ろしても、自分の目標ややりたいことが達成できるわけではない。ストレスが増えるだけで全く無駄な作業なのだ。そんな思考態度なので、協力して目標を達成することが苦手となってしまう。共同体の感覚が乏しくなる。
悲観的な人の特長は、恐怖心が強い、劣等感、不信と疑惑、敵意がある。
なぜ、こんなに違ってしまうのかというと、あるがままの現実を受け入れているのと、受け入れない違いになる。
よくも悪くもありのままの現実を受け入れていると、 自分も他人もOK と思える。なんでもOK、何かが起これば起った時に起こったことに対応するという姿勢はどうなってもやっていける姿勢そのものなのだ。
どうなってもやっていけると考える人ほど、いざというときの準備を怠らない。何故そうなるかと言うと、自分が解決するつもりだからだ。責任を果たそうと者にとって、準備したり、計画したりするのは物事を進める上で有利だし、後々が楽だからだ。これが他ならぬ自立心であり、自尊心なのだ。