―生活にリズムをつけるー


毎日、定時出勤の生活から日々是好日の生活になると惰性的な毎日になる。



老後の定年を迎えると収入が減るのはもちろん、それまでのような他人とのかかわりもなくなってしまい、人間関係が希薄になってしまう。これまで社会に出て働いていた人は、老後の定年後に突然時間を持て余してしまうケースが多くなる。



例えば、スポーツ含めて習い事などで自分自身の教養を高めたり、いろいろな社会活動に参加して、新しい仲間と知り合い、交流したり、社会的な役割を果たすのもいいと思う。



定年後には、自分の生きがいを見つけて、たくさんの人と接することが豊かな老後につながる。



定年後の家庭における考え方を整理すると次のようになる。


①妻は、その日の来ることを、戦々恐々としていることを知れ。

定年後、妻とゆっくり旅行などして過ごそうと思うな。

③妻は24時間、家のなかにいられることを、もっとも嫌っている。

家庭内のことに口出しするな。

炊事、洗濯など家事全般、妻がするのは当然と思うな。

夫の現役時代に妻がつくりあげた、付き合いに口出しするな。

一畳でもよいから、家のなかに自分だけの居場所を確保せよ。

街の図書館、公園、書店、公民館など家の外に、定番の自分の外出先をみつけよ。

妻の食べ歩き、趣味などには一切ふれるな。

妻の愚痴は音楽を聴くごとくに、聞き上手になれ。



これらを努力することで妻と自分の生活リズムが交差しない。



1940年代初めに、身体には生体リズムというものがあることが解った。私達の行動、睡眠、内分泌(ホルモン)、自律神経などの日内変動は、生体時計のリズムによって調節されている。



1日の規則正しい生活のリズムをコントロールしているのは、視床下部にある「視交差上核」という体内時計なそうだ。体内時計は約25時間周期で、目に入る光などによって私たちの生活のリズムを二四時間周期に調節している。だから、ほぼ同じ時間に起きて、夜12時前に床につく規則正しい生活を送っていると、眠るべき時間に自然に眠くなってくる。


それとは逆に、仕事が忙しくて眠りにつく時間がまちまちで、睡眠不足を休日の寝だめで取り返そうとすると体内時計が乱れてしまい、眠るべき時間になかなか寝つけなくなり、それが悪循環を招くことになる。


また、睡眠にはメラトニンというホルモンが深く関わっている。


朝日が出て明るくなると、メラトニンの分泌が抑えられて「起きろ」という合図が脳に送られる。逆に暗くなるとメラトニンの分泌が盛んになり、脳が眠りのモードに入る。昼間に太陽の光を浴びないと、夜になってメラトニンが十分に分泌されず睡眠のリズムが乱れて、質の高い睡眠がとれなくなってしまうといわれている。




例えば、
・夕食後にお風呂だったリズムを食事前に変える。
・大好きな深夜にかかるテレビ番組があっても録画する。
・寝る前に歯磨きだったリズムを食後にする。
・寝る前に洗濯を済ませている家庭では、それを翌朝にする。
・長かった晩酌をやめて、みんなと一緒に「ごちそうさま」と言う。
・寝かしつけるのではなく、みんなで一緒に寝てしまう。



21世紀は環境の時代と言われているが、そんな大げさなレベルでなくても健康的な生活リズムを作れれば、環境に配慮した生活にもなる。



“早起きは三文の得”と言った先輩たちの「得」とは健康維持だったり、環境配慮だった。


体内時計が正しく機能し、メラトニンの適正な分泌を促して快適な睡眠を得るためには、なるべく規則正しい生活を心がけることが大切になる。

家庭で一役持てー


朝起きて朝食を済まし、昼・夜と食事を取り、その間気儘に過ごすリタイア生活も365日続けば活力低下をもたらす。そうならないためにも家庭で一役持ちたい。


一つの例。忙しく働いていた一人の男性が定年になり急に暇になった。よくある話である。暇になったものの家事は何一つできない。


金を稼ぐという仕事を無くした男性は奥さんや家族の厄介ものになってしまうかと思えた。


ところが男の母親や奥さんが遊ばせて置くのはもったいないと、家事をその男に教えはじめた。男もそれまで会社で仕事に取り組んできたように家事に真剣に取り組んだ。


持ち前の几帳面さで見る見るうちに家事を覚え、最後には奥さんよりできるようになったばかりか、家族の中では欠かせない必要な存在になった。


家事も仕事だと思って徹底的にやった結果、家事に真剣に取り組む男の満足げな表情が頭に浮かぶ。


もともと、仕事(Work)と家庭(Family)は人間にとって生きてゆく基盤であり、人間存在の基礎である。人として生まれ、育てられ、また次の世代を生み、育んでゆく家庭と、その家庭と自分自身が生きて行く糧を得て、自分自身も満足できる仕事のあることが、そもそも人間存在の基盤である。


仕事と家庭の二つが安定していることこそが家庭安定の条件であるのだが、定年になると仕事が無くなり妻が担っている家事(Family)だけになる。妻としては、一日中同居している夫が所在もなく家にいられるとストレスが溜まる。


何故ストレスかと言うと、妻は家事をやりたいようにやってきた。効率とか手順は二の次にして、俗に妻流である。妻なりに組立てているWorkの世界なのだ。


そこに今まで不在だった夫が常にいるということは働き方を見られているような気になる。さらに妻も年を重ね日々の家事も負担になっている。


亭主たるもの、長年家庭を守ってきた妻の家事の一役を担っても罰は当たらない。掃除とか、食事の準備とかルーティンワークでなくても良い。ゴミ出し、犬の散歩、住宅の修繕、庭の手入れ、家庭農園の耕作等々、家庭には色々な作業がある。老後は夫婦の共同生活になる。


かたや、現役時代と同じ生活感覚では共同生活は成り立たない。


前述の極端な例はさておいて、家庭生活で存在感のある役回りを持って不在の時に家族に不便を感じさせるような亭主になる決意と行動を示したい。





―老後の投資を惜しむなー


あと何年生きられるか?という懸念は加齢と共に深刻な悩みになる。余命を推測することはネガティブだが、発想を逆転したい。


老後の投資はその有効年数を考えるともったいないという観念に陥るが、天秤にかける手合いとは思わない。


他人に迷惑を掛けてまでの投資は思案ものだが、自力で可能なものなら積極的に実行すべきだ。


例えば、住みにくくなった自宅のリフォームも生きとし生きる時間を快適に過ごすために実行したほうが良い。生活機器にしても使い勝手の良い、ランニングコストの掛らないものが市場に溢れている。古いものに対する愛着心も大切だが、老後の快適生活を充実させる意欲が必要だと考える。


子供や孫の勉学などの支援も必要に応じて応援してやる。自分の趣味にも金を惜しまず積極的に取組みたい。


あとX年しか生きないのにと勝手に思い込んで、Y円の出費を逡巡することに何の意味があるだろう。金は天国に持っていけない。


生きている内、ウン百万円の預金があるという満足感で生きることも価値がない訳ではないが、金は有効に使ってこそ意味があるもので、抱えているだけでは精神的な意味しかない。


金は天下の回り物ぐらいの意気で、老後に対する投資を惜しまないで快適かつ充実した生活を満喫したいものである。


快適な生活は当然のこととして延寿にもつながる。

―パソコンに親しめー


パソコンは我々の生活を大きく変えた。


あらゆる職場がパソコン活用のスタイルになっている。就職活動の場でも、運転免許同様パソコン操作の有無が問われる。ビジネス環境がパソコンをベースに組立てられている。今やパソコンはビジネスの必須ツールになった。

医療の発達で健康な高齢者が増え、IT(情報技術)を使う在宅勤務が広がれば、2025年の労働力人口は05年に比べて四百万人増えるとの試算を政府がまとめた。少子高齢化による労働人口の現象を、技術開発で食い止めるシナリオ。試算は日本の目指すべき将来像を示す「イノベーション(技術戦略)25戦略」の中間報告に盛り込まれた。


政府は06年10月、「イノベーション25戦略」(座長・黒川清内閣特別顧問)を作り,25年に向けて日本の技術や社会、制度の改革を進める方策を検討してきた。


例えば医療の進歩は、労働力人口の増加をもたらす。骨とほぼ同じ機能を持つセラミックスや、認知症の治療薬ができれば、高齢者が丈夫な体で健康なまま働き続けることができる。ITが発達すれば,出産を控えた女性も自宅で働くことができる。25年の労働力人口は05年より七百五十万人減るが、技術革新で逆に増やすことが可能だと指摘した。 (二〇〇七・二・二三付 日経新聞掲載記事より)

社会全般がパソコン活用で動く時代になってもデジタルアレルギーの人たちがいる。老年層は止むを得ないにしても中年層にも見受けられる。


中高年層へパソコンが浸透すれば、中高年者の交流がインターネットを経由して盛んとなる。


その結果、健康管理でも、生き甲斐の発見でも、さらには、街づくりの面でも豊富な経験が生かされる。高齢者の孤独死や不安感などの解消にも大いに役立つ可能性がある。


パソコンによる中高年の交流は、多面的な波及効果を生み出すと考えられる。


筆者もサラリーマンだった58才までワープロ操作にとどまっていた。突発的な作業に対応するためにはパソコン操作など煩わしいことを避ける意味があったが、リタイアして起業した時点で、とんでもない勘違いをしていたことに気がついた。


それから独学7年、悪戦苦闘してパソコンの習得に取組んだ。今ではパソコン無しのビジネス処理は考えられなくなった。パソコンがトラブルとパニックに襲われる。トラブル解消に金の糸目は問わないという気分になる。それだけ密着して話せないビジネスツールになっている。


この文章もパソコンで打ち込んでいる。以前の手書きやワープロに比較できない便利さと簡便さがある。調べ物にしても、以前は百科事典をはじめとする書籍に頼っていたが、今はパソコンの前に座ってインターネットで調べる。不在時の連絡にしてもメールは非常に有効だ。講演する機会も多いが、OHP等のスライドに比べるとパソコン活用のパワーポイントは資料作成から講演プレゼンテーションに簡便な操作で対応できる。


さらに、独学では理解しにくいパソコンの可能性を広げるために高齢者のパソコン同好会であるNPO団体に入会した。驚いたことに70代、80代の会員が多い。大多数が自分のホームページを持っている事実に再び驚いた。


会員の皆さんが生き生きとして活動している。若々しいと言った方が当たるかもしれない。


面倒くさいとか、機械に弱いとか言わずにパソコンに親しむことで、新たな生活の場が広がる。趣味の世界も広がる。


最大の効用は脳の活性化だ。ボケ防止になるし、余暇の過ごし方に時間・場所をいとわない。何より、大事な孫たちとの会話も増えるし、ゲームなどを通じて楽しい交流が期待できる。


是非、是非、パソコン操作を習得して新しい老後を展開することをお勧めしたい。




―生理現象は我慢するなー


老化するにつれ筋肉の退化は退化する。同時に内臓の筋肉も弱る。


膀胱とか直腸の筋肉調整能力が低下する。漏れや出にくいのは年のせいだけではなく若い人にもよくみられる排泄障害に原因がある。



障害のタイプによって異なるので医療、福祉、保健などによく相談してあきらめないで対処することが必要になる。排泄にしっかり関わることで日常生活が向上する。



食事や飲料水として体内に入った水分は、代謝後、腎臓と尿となり1日五~六回体外へ排出される。健康な人の一日の尿量は1,000~1,500mlで、色は体調によって多少の濃淡はあるが淡黄色だ。


食物は小腸内で栄養素が吸収され、食後四~五時間で大腸に送られる。大腸に送られたときは液体状で、大腸内で水分の吸収と便の形成が行われ、24~72時間程度で排出される。



精神的・肉体的苦痛により意識的に水分摂取を控えたり、全ての行為を排泄に結び付けてしまい精神的に不安定になる場合がある。また、自発的な行動を消極的にし、社会活動にも影響が出る。


排泄感覚があり、自立した行動が取れる場合には主に生活環境に配慮する。


失禁とは不随意に尿や便を漏らしてしまうことだ。原因は老化や疾病が上げられるが、薬や膀胱周辺の筋肉を鍛えることで解消する場合もある。


新しい言語を学ぶのが難しくなったり、もの忘れがひどくなったりといった知的な衰えは、高齢者ではほぼ共通してみられるノーマルエイジングだが、同様に排泄神経も鈍くなる傾向になる。


若い頃の気持ちで排泄の生理現象を我慢して、失禁といった自分自身の人格卑下になるような場面は絶対避けたい。


ある著名な女優が家族とレストランに出かけ、体調の悪いのを我慢して、自宅に帰るなり玄関で粗相した。家族も大変だったろうが、幸いなことは場面が自宅で周囲が家族だけだったということだ。これが自宅以外だったら、メディアの餌食になって女優生命も終わっていたかもしれない。


女優という職業上、食事中にトイレに中座することをこらえたのかもしれないが、トラブルを考えると老若男女を問わず、生理現象の我慢は絶対に禁物だ。


自己嫌悪にならないためにも、多少の失礼な場面でも用便は遠慮しないほうが賢明だ。相手に対しても自分の尊厳維持のためにも、用便の体内サインがあったら遠慮は無用の意識が必要だ。そのことで究極?の大失礼を慎むことになる。




―自己主張は六掛けにするー


現役時代は議論も辞せずで、自論を主張する場面も多く、それで存在性を発揮したものだ。


中には自己主張もない妥協の連続を繰り返し、おのれの存在感を否定するような生き方もある。しかしそれではあまりにも自分という人間の行方が見えなくなる。少なくてもこの世に生を受けた以上一生懸命生きたい。


人格には加齢によって変化しやすい部分としにくい部分があって、しにくい部分は狭義の性格だ。たとえば、依存性とか攻撃性が該当する。逆に変化しやすい部分は他者認知とか自己認知などの認知的側面である。


たとえば、年をとるにつれて男らしさとか女らしさにとらわれなくなるし、自分を振り返るようにもなる。それに世界は自分が動かさなければ、という考え方から、他者や人間を超えた存在が動かすと考えていくようになり、このあたりが認知的変化に関わっている。


また、年をとるにつれて、過去の自己像を肯定的にとることができるようになる。


ライフサイクルにとって大事なことは、失うものにしがみつかず、得るものは得て、そして現在の存在を知る。日本人は多くの場合、主張するということを相手と勝ち負けを争うことと混同している。



自己主張を相手と勝ち負けを争うことだと勘違いするから、感情的な対立も生まれ、そこから人間関係にもひびが入ってくる。自己主張とはあくまでも自分の考えを相手に理解してもらうことと心得なければならない。



自己主張が勝ち負けを争うことだと考えるから、相手をへこませなければ気が済まなくなる。それでは人間関係が気まずくなるだけだ。そうなるとすばらしい考えも日の目を見ないことになる。



日本人が自己主張の下手な理由はこのあたりにある。「和」を重視する日本特有の考え方からすれば、人間関係を気まずくすることはなんとしても避けなければならない。そのためには自分の意見が正しいと確信していても、ときとしては発言を控えて全体の和を優先することもある。



逆に、自信のないひとほど自分の意見をはっきりと言わない傾向がある。責任逃れをするためには、常に逃げ道を用意しておく必要があるからだ。自信のない人は必ず逃げ道を用意するので、そのような罠にはまらないようにすることが自分の身を守る。



自己主張をするときに最も注意すべき点は、感情的にならないことだ。感情的になったら、勝ち負けを争っていることになる。主張するときは冷静で、しかも論理的に話すことが求められる。難しいことだが、これができるとできないでは人間としての幅に大きな差がでてくる。



「コミュニケーション能力」は、主に「相互に相手の立場を尊重し、共感し合う能力」(相互共感能力)を前提に成立する。



コミュニケーションのやり方には三タイプある。一つは自分のことを中心に物事を考え、他者を踏みにじるやり方。二つ目は自分よりも他者を優先して、自分のことを後回しにするやり方。そして、自分のことを考えるが、他者に対しても配慮するやり方。三番目が相互共感能力だ。



自己主張は六掛けにして継続性のあるコミュニケーション環境を作ることが、持てる知性を周囲に感じさせ、豊かな人間関係を築くことが可能になる。



―独り酒は飲むなー


酒は男の生甲斐かも知れないが、それも相手があっての話。勤め先がなくて自宅にいると、どうしても安易な生活スタイルに流れがちになる。


趣味とかやることがあればよいが、ない場合は手っ取り早いのがテレビ鑑賞になる。手持ち無沙汰になったりすると、つい酒に手が出る。]


酒の最大の効用は癒しと元気付けだ。


厚生労働省が行った「健康福祉動向調査」でも、国民の二人に一人は日々の生活にストレスを感じているそうだ。そのストレスの解消法として、手軽に「酒を飲む」と回答した人は四割以上を占める。


わが国のサラリーマンは、日々の社会の束縛を酒の酔いでしばし忘れて、自らを解放させている。


しかし、酒だけに頼ってストレスを発散させるだけでなく、ストレスの原因を正確に知り、その原因を取り除くようにすることも大切になる。ストレスは心と体に加わった外的刺激に対応するために、体自身が起こす生理的な緊張状態だ。


ある程度のストレスは活力を与えるという点からすれば、必要なものといえるが、ストレスがかかった状態が長く続くことは、体にとって良いことではない。そのストレスを解消するために酒を飲むことが多いのは、周知の事実である。適量の酒は体だけでなく心の緊張も取り除き、ストレスを発散させるのにかなり効果がある。だから、ストレスが原因で起こる病気を酒によって予防できる可能性もある。


「まったく飲まない人や大量飲酒する人に比べて、適度な飲酒者の死亡率は総じて低い」という。酒好きにはちょっと嬉しいデータもある。一日に日本酒換算で一~二合程度の飲酒をする人が、心疾患や事件・事故などの死亡リスクが一番少ないというのだ。


ただし、それ以上の量を飲むと、一気に死亡率が跳ね上がってしまうから注意しなければならない。この現象は、グラフに表したときの形から「Jカーブ」と呼ばれている。くれぐれも「百薬の長」という言葉に甘えてはいけない。


老害にならない“男の美学”

アルコールが体に与える影響は大きい。例えば、血中のコレステロール。アルコールには悪玉(LDL)コレステロールを減らし、善玉(HDL)コレステロールを増やすはたらきがあるといわれている。


 善玉コレステロールを増やすには、ビールなら大瓶一本、清酒なら一合、ウイスキーならダブルコレステロールにしてルで一杯程度で十分なのだ。

反対に、飲み過ぎた場合の体への悪影響は数知れない。まず真っ先に思い浮かぶのが、肝臓疾患だろう。


これは肝臓がアルコール処理を一手に引き受けているからだ。また、アルコールだけではなく、酒の肴として食べる料理に動物性脂肪が多い傾向があるのも一因になる。肝臓へのダメージを高める。


老害にならない“男の美学”

さらに、深刻な病気を招くこともある。次の表を参照されたい。思ったよりバリエーションが多彩に思うのではないだろうか。

たとえ肝臓が障害から逃れたとしても、他の障害をすべてクリアするのは難関そのものである。飲み過ぎはゼッタイ駄目と、肝に銘じておこう。

酒を呑んで性格が変わる人は、普段はおとなしくて(無口)お酒を呑まなきゃ本音を言えないタイプが多い。普段は温厚で自分の思いを押さえ込んでいる場合が多いので、もしかすると今後、酒を呑んでいなくても溜め込んでいたものが爆発する可能性がある。

酒が弱く自分で節度を持って呑んでいれば無害と言える。ただ、酒を呑んで攻撃的になるのはやめたほうが良い。人格変貌はアルコール性人格障害者といわれて、素面のときに幾ら立派でも社会的信頼度が格段に落ちる。

朝酒は体に良くない。昼に飲む酒も酔いが速く回ると言うが、その通りだ。1日の時間帯により、体がアルコールを分解する能力が異なってくる。肝臓は、朝よりも夕方にアルコールの血中濃度を低く保つことが出きる。だいたい午後3時くらいから午後10時までが低い濃度になっている。午後10時を過ぎると急速に血中濃度が高くなり午前6時前後が最大になる。


これは、アルコールを分解するアルコール脱水素酵素、アルデヒド脱水酵素の量と関係しているそうだ。これらの酵素を生産する能力が1日の時間帯によって異なる。酒が好きな人間は夜10時を過ぎる頃から調子が乗ってくるが、体にはよくない。

アルコール依存症になると幻覚,幻聴が出る。例えば、天井を巨大なゴキブリが這っているといったような正常な神経では出てこない幻覚に襲われる。これがアルコールがもたらす「離脱症状」だ。離脱症状の出現確率は、下表の通りだ。

ローブローのように「じんわり」効いてくる離脱症状は、頻繁な頻回の下痢で、体内から栄養が無くなっていくので、栄養失調になる。肉体的には、徐々に体力が落ちていき気力が萎える。さらに、下痢が原因の失敗を経験すると、精神的にもダメージを受ける。

汚い話だが、おならをしようとした時、液体が混ざって射出する。排便を催しても、自宅のトイレに間に合わず下着を汚してしまう。こんな惨めな経験は、自尊心を傷つける。俺はだらしない人間だ、その思いが強くなるだけだ。

毎日が二日酔い、その苦痛から逃れるため休日には朝酒、症状が酷くなると、悪循環と判っていても止めることが出来なくなる。「飲酒欲求」と「離脱症状」、この二重苦に対し、気力が萎え、傷ついた自尊心では、お酒を止めることなど出来る訳がない。

アルコール依存生活の結果、無気力になり、生活も不規則なって家族を含めた周囲の人間に迷惑をかける。


何よりも残された貴重な人生をアルコール中毒状態で過ごすことになり、自我の崩壊をもたらす。相手があって適量かつ愉快に飲む酒は人生の潤滑剤だが、独り酒は身を滅ぼしかねない。


 さらに、米国保健科学協議会(ACSH)によると、日本酒に換算して1日に1、2合程度のお酒を飲む人が、最も心臓血管疾患のリスクが低いという結果が出たという。また、病気だけではなく事故や事件を含めた全死亡率と1日の飲酒量をグラフにすると、J型のカーブになる。つまり、適量の飲酒であれば、まったく飲まない人よりも長生きする可能性が高いという。まさに「百薬の長」になる。しかし、アルコールにこのような効果を期待するなら「適量」でなければいけない。J型のカーブということは、飲酒量が適量を超えれば、途端に死亡率が高くなるということでもあるのだ。
老害にならない“男の美学”


 動物性脂肪や卵などの悪玉コレステロールが多い食事を摂っていると、動脈の壁にコレステロールがくっついて動脈硬化を起こす原因になる。適度な飲酒によって善玉コレステロールが増えると、動脈の壁にたまったコレステロールを取り除くことができ、動脈硬化を予防することになる。

―煙草は吸え―


あれも駄目、これも駄目と言われると生きることが窮屈になる。ひとつぐらいは世の中でタブーなことをやって見ても良い。その代わり他人に迷惑を掛けないやり方が必要だ。


顕在意識が「タバコをやめよう、やめよう!」とすれば、するほど潜在意識は「やめさせまい、やめさせまい!」と働く。すなわち、この二つの意識は、お互い綱引き状態にある。引っ張れば、引っ張るほど相手は強く反発する。精神的にも好ましくない。



煙草は健康に良いという一説もあるが、現在は社会に迷惑を掛ける反社会行為と喧伝されている。


下図は煙草の税金構成(JT資料)だが、国内最高の税率負担である。



老害にならない“男の美学”



開き直る気はないが、喫煙者で年間二兆円の税金を負担している。これを国と自治体が一兆円ずつ諸々の財源に使用している。


超高級品もかなわない税率で、煙草税が無くなると、消費税(現行五%)を二%上げて七%にしないと現行の税収確保はままならなくなる。


数少ない喫煙による煙草の効用は、アルツハイマー型の痴呆にはならないということと、ニコチンは腸を刺激するので便通がよくなることぐらいだが、最大の効用はその高額な税負担だ。



喫煙者は莫大な社会貢献していることになるが、現実は社会の迷惑者扱いである。



見送りになったが、少子化対策の財源を煙草税の値上げで手当てする動きがあった。政治屋の発想と社会的な嫌煙の動きがどのようにリンクするのか、理解に苦しむとともに噴飯ものの印象がある。仮に喫煙者が社会的な大問題である少子化に貢献することになったら、嫌煙の風潮も考え直すべきではないかと思う。


今までの人生で、酒と煙草。特に人生の苦しいときにあったのは、煙草だった。苦しいときに慰めてくれたのは、煙草だった。つらいときに慰めてくれたのは、煙草だった。


高度経済成長時代、煙草は男の動くアクセサリーだった。

1960年代の映画のヒーローは邦画でも洋画でも必ず煙草をくわえ、紫煙に煙る渋い顔で男に課せられた苦渋を表現していた。煙草が男の象徴でもあった。


煙草は暗闇で吸うと旨くない。煙が精神的な癒しをもたらしてくれる。札幌に“紫煙”というバーがあった。今も営業しているかどうか定かではないが、いつもパイプを銜えたマスター共々懐かしく思い出されてならない。


病気が怖いか、ひと時の癒しが良いかは夫々の判断による。喫煙のマナーを守って、他人に迷惑を掛けない環境を作れるなら、ストレスを溜め込んでまで禁煙しなくても良い。


ただし、吸い過ぎや体調不良で医者の真剣なアドバイスがあった時は注意したい。


煙草をプラス思考で考えるとお酒と一緒で、仕事で疲れた神経を麻痺させてストレス解消に役だったり、物事を考える時の発想の転換など精神的にも健康管理のバロメーターと考えられる。


東大名誉教授の養老孟司氏によれば肺がんとタバコの関係が医学的に証明できるとノーベル賞ものだという。癌は遺伝子が関わっていて、喫煙との関係は考えられないそうだ。さらに、六〇才を過ぎると喫煙者と非喫煙者の間に平均余命に差がないという東京都の統計がある。


映画監督の岡本喜八氏が食道がんに侵され、病院でなく思い出の詰まった自宅で死にたいと夫人に訴え、300日にわたる自宅闘病の末、最後に1本の煙草を旨そうに吸った後、愛妻の腕に抱かれて穏やかに亡くなったそうだ。行年81才。


何とも羨ましい幸せな死に様だと思った。




―病気とは仲良くしろー


一病息災が健康維持の秘訣だという。一般的に病院は苦手だという人間が多い。



私事で恐縮だが、母が40台後半にくも膜下出血で倒れた。



女手一つで3人の子供を育てて健康には自信満々だった。


3ヶ月の意識不明の状態から、元通りの状態で奇跡的に快癒した。再発ケアのため通院したが、一年後は完全に治癒した。



その後、ちょっとした怪我や軽い風邪でも病院に行くようになった。退院時は後20年ぐらいの余命と言われたが、些細な健康トラブルでも病院通いの結果、20年はおろか米寿を過ぎて健在である。



健康には自信満々だった母が思いがけない病いに倒れ、奇跡的に生還した結果、病気と仲良く過ごしたことが、予想もしなかった長寿を手にした。



老化とは、加齢に伴って起こる非可逆的な生理機能の低下のことをいう。加齢するにつれて人間は、耳が遠くなったり、血管が硬くなったり、骨が折れやすくなったり、頭の働きが衰えてきたり、眼の水晶体が濁ったりする。病気の可能性も高くなる。



顔の変化も同様だ。人間は紫外線をわずか数分間浴びても肌はダメージを受ける。しかも紫外線を長年浴び続けることで、シミ、シワ、たるみなどを引き起こす。ごれを「光老化」といい、紫外線は肌に最も悪い影響を及ぼす原因となる。


20年曝した肌と60年では変化に差が出て当然だ。顔と比較して腿の内側やお尻などほとんど紫外線に当らない部分は若い人の肌も歳をとった人の肌もそう変わらない。このことで紫外線がどんなに肌にダメージを与えているかがわかる。


言い換えれば、顔の変化は人間の生きてきた経験や知識を示す映像だと言える。シワが増えたとか、肌がたるんできたと悩むことはない。


若い頃と比較すると、肌の紫外線影響のみならず、新陳代謝能力が低下し抵抗力が落ちてくる。必然的に病いに見舞われる可能性が高くなるが、治そうとむきにならないで仲良くしたほうが良いかもしれない。


病いは体の要注意信号で、体の細胞が警告を発していると思えば良い。


当然、病いになると普段の行動が制約されるが、信頼できるドクターの指導を受けながら、病いを治める努力や病いにならない予防的な生活を考えることが賢明な生き方になる。

―新しい生活機器から逃げるなー

俗に、機械に弱いと言って新しい機器操作を回避しようとする。機械に弱いのではなく、面倒くさいという類だ。

大正生まれのある老夫婦が今まで使用していた洗濯機が故障して、電気店に奨められ全自動型の洗濯機に買い換えたが、どうしてもなじめない。スイッチ一つで給水から全てをこなし、あがりは脱水状態の洗濯物を物干しにかけるだけの真に便利かつ横着な代物だが、従来使っていた洗濯機が良いという。

電気店に全自動型を返して前と同じものを探させた。

さらに、風呂の自動システムも同様。スイッチ一つで給水・給湯から沸き上がりまで済むシステムを奨められたが、今のままで良いという。

給水で水を溢れさせたり、湯を沸かしすぎて熱くて入れないというトラブルがなくなる、と奨めても点火式のガス釜にこだわる。

老化に伴い注意力が散漫になり、エネルギー的にも無駄が多く事故の危険性も高くなる。何よりも便利になることに臆病になっている。

人の大脳はボールのように丸いわけではなく、右半分と左半分に分かれている。もともと人の臓器は、腎臓や肺、目や耳など対になっているものが多いが、これらは左右で機能は同じである。ところが、脳はちょっと違っていて、単に右と左に分かれているだけではなく、機能の方も右と左でまったく違う。

例えば、右側の脳は、画像処理、空間処理、総合判断力などに適し、合成的、全体的、感覚的、直感的な能力に優れている。一方、左側の脳は、言語、計算、観念構成に適していて、分析的で論理的な機能を持つ。



老害にならない“男の美学”



感性を大切にして生きてきた、いわゆる右脳型のお年寄りがボケにくいというのは、どうやら真実のようだ。逆に言うと、「感性欠如型」の人は認知症になりやすいタイプといわれる。極端な左脳人間、すなわち感性欠如型の人がボケやすいのはなぜなのだろう。


そもそも認知症は、記憶や感情のコントロールをおこなう前頭前野が衰えることによって起こる。前頭前野は、左右の脳、両方から情報を得ることで機能する。左脳から理論や数値データだけを得ただけでは、きちんと作動しない。


よって、右脳を働かせずにいると、前頭前野の機能もまた、衰えていってしまう。


ところが高度経済成長期を支えてきた勤勉なシニア世代には、悲しいかな「感性欠如型」の人が多く見られると言う。とくに男性でひたすら仕事人間に徹してきた人ほど、こうした傾向が強いようだ。


このタイプは定年を迎えて生きがいを見失った途端、認知症のサインが現れるような傾向が出てくる。


大正生まれの老夫婦の例は珍しい存在かも知れないが、新しい生活機器(省エネかつ便利)から逃げないで、右脳型人間を目指して体力的な衰えをカバーする余裕のある生活を組立てたい。