今回は、音楽関係の教材をご紹介します。


作曲に悩んでいる方には、ノドから手が出るほど欲しい 作曲テクニックが書かれてある教材です。


商材はこちらになります。

「耳に残る曲」を作曲するための12の方法

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この教材の特徴は、82ページに及ぶボリュームにも係わらず 販売価格が、わずか1,980円~!

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”耳に残る曲”を作るには、「ある方法」を使っていけばいいのですが

そのノウハウがあますことなく書かれてある教材です。

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バンドをやっている方や、ミュージシャンを目指している方は、お金があまりないですが(失礼)


そんな方にも気軽にお求めいただける金額設定になっているので

高い成約率が見込まれる教材です。

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世の中は男女平等社会になった。その結果、女性が元気になった。若い女性に限らず、身近な存在でオバタリアンという階層が女性は元気だという社会現象をもたらしたことは耳目に新しい。


大学の非常勤講師をしている知人が、学校でイベントを企画すると女子学生がリーダーシップを取って、男子学生は隅で様子を見ているパターンが多いと言っていた。孫が通う保育園でもその傾向を見て取れる。


日本の男らしさというのは、「男は黙って…」「男たるもの…」


「男の甲斐性は…」のような言い方に代表されるように、イメージ的には石原裕次郎、高倉健とか、西部劇ではジョン・ウェインといった要素が強かったが、そういう男らしさに違和感を覚える男たちが最近増えてきているようだ。


団塊世代の皆さん男っぷりを上げよう!           老害にならない“男の美学”



 高倉 健




                          










団塊世代の皆さん男っぷりを上げよう!           老害にならない“男の美学”



                           ジョン・ウエイン











 現代は女性の社会進出が目覚しい。男女共同参画社会実現の掛け声のもと、BGとかOLを超えて、警察官、自衛官、鉄道員といった30年位前の時代には男の独壇場だった職場にも女性が存在する社会になった。


古い「男らしさ感」に縛られて、必要以上に苦しんでいる人がいるのではないか、と危惧するのは余計なお世話かもしれない。最近は草食男に肉食女と称される。


かっこいい男の条件。それは、逆境でこそ輝くことだ。逆境で力を発揮してこそかっこいい男だ。そして逆境になると、ついつい思い出してしまう男がいる。

何か問題が起こったとき、みんなが「あの人だったらどうするだろう。どう考えるだろう」と気になってしまう男がいる。


逆境になると、周囲の人が思い出してしまう人間が読者の周りにも、一人ぐらいはいると思う。


そんな逆境で強い男は、「この人にはかなわないな」と思わせるスケールの大きさを持っている。


老人が身体や能力の衰えに対して如何に向き合っていくかを研究する中で、老年学者達はある種の老人が発達させ保持している一つの状態を記述するために「超越」という言葉を使い始めている。


スウェーデンのL・トルンスタム教授らは「老年的超越」という言葉を使い説明している。老年的超越とは、つまり物質的・合理的な視点より神秘的・超越的な視点への移行である。


老人はそのような視点を、日々の生活に常時かかわることから意図的に身を引きながら獲得していく。

このような意図的な「引退」は社会との生き生きとしたかかわりあいを失わせることはない。携わらなくても、関与しつづけるというあり方があるからである。


このような逆説的な状態が超越的であることの内実を示しているのである。


現実には、引退を選択できるような余裕のある人は少なく、多くの老人は強制された引退に直面する。身体組織の衰えや、衰えに対する心理的情緒的反応によって、接触の範囲が狭まっていく。この傾向は社会によって生み出されている。


老年期の自己感覚に関して、社会的な有効性と活力がある超越を作り出そうとするとき、時間的な環境が重要になってくる。


男たちは現在の重荷から逃れるためにすばらしい未来に目を向ける。しかし老年期の社会が提供するモデルは超越を手放すことを奨励するモデルだ。新しい生活や役割を探すこと、つまり新しい自己を探すことではない。

この誤った老年期の概念が正常な発達を行き詰まらせているが、それに負けないで、男は年を重ねれば重ねる程もっともっと人間的になるようにしなければならない。


“強くなければ男でない、やさしくなければ生きられない”


男は社会が男に課した限界を超える自由を発見し、それを実らせなければならない。生まれたときには、男として生きる宿命を与えられた。


自分自身の足で立つ事を覚える壮年期までには、人生を全うするためには他者に与えることを求められていることを知る。


それによって、この世を去るときには男として与えてきたものを体現する存在になることができる。


このような視点からいうと、死は人間が与えられる最期の贈り物でもある。男の義務は、あるがままの姿を明確にして拡大すること、意識を純化することであろう。


さらに、最後まで尊厳を持って、男として生きなければならない。


そして、人生の定年に、多くの人たちに惜別の想いを残し、生まれでた故郷に輝かしいお土産をもって帰還するには、一生涯をかけた努力が必要になるのだろう。



  あした
「 朝 に道を開かば、夕べに死すとも可なり」 (孔子)







―渋い脇役に徹するー


人間が生きていると、自分が主役であることは間違いない事実である。反面、自分の周囲にいる人が全て自分の脇役かと言うと、それは違う。


夫婦の場合、夫が主役で妻が脇役でない。妻の立場に立てば夫は脇役なのだ。これが友人であっても同じだ。現役時代の上司と部下の関係にしても同じことが言える。


脇役にも様々なタイプがあり、主役やそれ以外の主要な登場人物を継続的に助演する役もあれば、連続ドラマ などで特定の回だけ登場したり、不定期に登場する役、映画などで一シーンのみ登場する役、ストーリーへの関与は少ないがセミレギュラーやレギュラーとして一定以上の頻度で登場する役などもある。


大物俳優が脇役を演じる場合には、脇役とは呼ばずにゲスト出演と言い換えることがある

一回きりの非常時出演者全員をまとめてゲスト出演という言い方にすることもあるので、大物ゲストの場合は特別に、スペシャルゲストや特別出演・友情出演などと映画 ドラマ も演劇も主役一人で言い換えることもある。


一般的な人生で言うと、何かの折に出会った印象深い人物との出会いにも似ている。長い人生では、臨時的かつ瞬間的な場面でのメモリアルな脇役と言える。


演技は主役を引き立てる周りの脇役の存在があって初めて成立するものであり、上手く主役を引き立てつつ見る者の印象に残る脇役は特に「名脇役」と呼ばれる。また、多くのテレビドラマなどに出演し人気のある脇役メインの俳優 を指す際に、「脇役」という表現を避け、英語を借りて「バイプレーヤー」という場合がある。


演技の世界に限らず、自分の周囲で主役・脇役のような人間関係は常に存在する。これはあくまでも人生という長い時間を瞬間的に切断した場面であって、主役は個々人である。


人生の秋に、過去を振り返り出会ってきた人たちに対して「良い脇役だったか」とぼんやり考えたい。


さらに、残された人生、周囲の人たちのためにいぶし銀のような「良い脇役」として過ごせれば人生万々歳である。








ロストジェネレーションがもたらす危機

 日本経済にとって1990年代以降の時代は、「失われた時代」である。

政府も企業も後ろ向きの対応に追われ、新たな時代を切り開く気概と活力を失ってしまった。

同様に1990年代の「就職氷河期」以降に社会に出た若年世代は、“ロストジェネレーション(失われた世代)”と呼ばれる。


 “割を食った”世代であるロストジェネレーションは、消費に関しても消極的だ。

彼らはかつての若者のように、先行世代のライフスタイルを覆すような「顕示的消費」や、将来の所得増をあてにした「背伸び消費」に走らない。

彼らは消費に踊らず、新たな消費ムーブメントをつくりだすことも少ない。


 若年世代の不活性化は、日本発の革新的商品やサービスが絶えて久しいことと無関係ではあるまい。

高齢世代は概して保守的であり、イノベーションに対しては後ろ向きだ。

若年世代がパワーを発揮しなければ、時代の歯車は前に回らないのである。


 若年世代の存在感は、企業内でも希薄化している。

多くの企業で新規採用を長期間抑制した結果、企業内の年齢構成は著しく高齢化した。

フレッシュな人材がイニシアティブを取らなければ、過去を否定するようなイノベーションは生まれにくい。


 われわれは国家や企業のあり方について、改めて考えるべき時期に来ているのではないだろうか。

年長者が過度のヘゲモニーを持つ“老人国家”や“老人企業”では、未来を切り開くことはできないと認識すべきであろう。




物言わぬ若年世代の反乱

 前述のように“割を食った”状況であるにもかかわらず、現在の若年世代は声高の抗議をしない。

 かつてのように反体制運動に走るわけでもない。


若年世代が示しているのは、物言わぬ反乱だ。


それが現代社会に、地下水脈のように広がりつつある。

 若年世代を覆っているのは、社会や先行世代に対する「怒り」ではなく「不信」であるように思われる。

現代の若年世代は国の未来を信じず、先行世代の成功体験を信じない。

過度に悲観しているわけではないが、少なくとも右肩上がりの世の中が再来するとは考えていない。

彼らは将来の所得増を信じられないので、結婚や出産に対しても慎重だ。

それゆえ出生率が低下し、深刻な少子化に歯止めがかからない。


 同様に現代の若年世代は、年金制度の持続性を信じない。


いかに政府がバラ色の予測を振り撒こうが、彼らは「自分たちが十分な年金をもらえる」とは考えない。

その結果は年金の納付率低下となって、年金制度の根幹を脅かしている。

 このように若年世代の“消極的な反乱”が、結果的に少子化や年金制度の脆弱化となって社会に大過をもたらしていると考えることもできる。



経済的弱者としての若年世代

 若年世代は政治的弱者であるだけでなく、経済的弱者でもある。

世帯主年齢別貯蓄残高のデータを見ると、60歳以上の高齢世代の貯蓄が1世帯平均2000万円以上となっているのに対し、30歳未満の若年世代の平均貯蓄額は200万円台に留まる。

しかも、住宅ローンその他の負債を控除した純貯蓄はマイナスになっている。日本には約1500兆円もの家計金融資産があるが、その所在は高齢者世帯に偏在している。

 もちろん現在の若年世代も、年齢を重ねることにより貯蓄を増やすことはできるかもしれない。

しかし現在の高齢者と同等の資産を蓄積することができるかと言うと、そこに至るハードルは極めて高いと言わざるを得ない。

現在の高齢者は右肩上がりの経済環境を生きてきた。そして軽い社会保障負担のもとで貯蓄を増やすことができたのである。

これに対して現在の若年世代は右肩下がりの経済環境を生きている。そして重い社会保障負担のもとで、先行世代の借金を返済しながら老後資金を貯めざるを得ないのである。


団塊世代の皆さん男っぷりを上げよう!           老害にならない“男の美学”

 このように考えると“バラマキ”による赤字国債の増発は、政治的弱者である若年世代から政治的強者である高齢世代への所得移転であるとともに、経済的弱者である若年世代から経済的強者である高齢世代への所得移転であると言わざるを得ない。

 もちろん高齢世代の中にも経済的弱者は多数存在する。そして高齢世代の中での、資産の偏在も大きい。だからといって、世代間の負担と受益の不平等が正統化されるわけではなく、全体として若年層が“割を食っている”面は否めない。

ただ財政支出の拡大がすべて将来のつけに回るわけではなく、経済環境の改善を通じて若年世代の将来所得を増加させる効果がないわけではない。

しかしながら国の政策決定に対し実質的な決定権限を持つ現役世代と高齢世代は、国家財政のマネジメントに対して責任を持つべきであり、実質的に決定権限を持たない若年世代の利益にも十分配慮すべきであろう。




マイノリティに転落した若年世代

 このような状況に対して、「私たちにつけを回すな!」という若年世代の抗議はあってしかるべきだ。

しかしその声は、思いのほか小さい。

その背景には、若年世代が社会の少数派に転落したという現実がある。

 1980年時点で、30歳未満の若年世代は総人口の45%を占めていた。

思い起こせば、1980年代およびそれ以前は、若者を中心に世の中が回っていたような気がする。

ところが現在、総人口に対する若年世代の人口は30%程度にまで減少した。

そして約10年後の2020年の若年世代人口は、総人口の25%程度にまで減少する見通しだ。

 若年世代人口の減少と対照的に、高齢世代人口は急増している。

1980年時点で、60歳以上の高齢世代の総人口に対する比率は13%に過ぎなかった。

それが現在は若年世代を逆転し、約10年後の2020年には総人口の34%に達する見通しである。

団塊世代の皆さん男っぷりを上げよう!           老害にならない“男の美学”

 高齢化の進展とともに、政治的強者としての高齢世代と政治的弱者としての若年世代のコントラストは、年々顕著になりつつある。

高齢世代は単に有権者数が多いだけではなく、様々な要因でその政治的パワーを発揮しやすい環境にある。

たとえば若年層の多い都市部と高齢者の多い地方の間には「一票の格差」があり、より高齢者の声が国会に届きやすい仕組みになっている。また高齢世代の票は組織化されている傾向が強く、各種団体を通じて、政治的影響力を発揮しやすい。

 それゆえ高齢者の既得権を損ねる政策は実施されにくいし、将来に向けた改革は先送りされやすくなっている。その裏で政治的弱者である若年層へのしわ寄せが、着実に積み上がっているのである。







若年世代への負の遺産をどうするか


 国及び地方の長期債務残高は、すでに800兆円を超え、しかもその拡大ペースを速めている。

これは、国民一人当たり650万円という途方もない金額である。日本の財政は、刻々と持続不可能な水準に近付いている。

 国の借金は、国民の借金と同義である。

なぜなら国民から徴収する税金以外に、有力な返済原資がないことは明白だからだ。

ただし「誰が借金を返すのか」ということに関して、国民一人一人が平等であるとは限らない。

おそらく現在の高齢者世代は“バラマキ”の恩恵に浴する一方、借金返済の負担の多くを免れるであろう。

借金苦の負担にあえぐことになるのは、間違いなく現在の若年世代およびこれから生まれる子供たちだ。

 若年世代は人口も少ないので、一人当たりの実質的な債務負担額は、650万円からさらに拡大するはずだ。

これから生まれてくる子供たちは、生まれながらにして1000万円近い(もしかするとそれでは済まないかもしれない)借金を背負うことになると考えることもできる。

 “バラマキ”は、現在の高齢世代や現役世代に甘い蜜を振る舞う。

そしてその借金のつけは、若年世代に回されることになる。

極言すれば、「バラマキは若年世代からの搾取である」と捉えることもできよう。

シニア世代としては真剣に考えなければならない課題である。


『21世紀の幸せ、夢、お金の考え方』~本田健×澤上篤人×早川周作~


あなたは、この時代をどうやって生き抜いていきますか?


 あなたは、この時代を生き抜くために何をすべきだと思いますか?


 この質問に対する答えを私なりに用意いたしました。


 いえ、私だけでなく本田健さん、澤上篤人さんの答えも このCDの中にございます。


 『不況だから…』
 『こんな時代に生まれてこなければ…』

 と、愚痴をこぼしている人たちを尻目に、未曾有の大不況下における理想の未来に近づく答えが
 この講演から得られます。


 未来への視界がクリアになったときのあの感覚は、味わった人にしかわからない不思議なものです…

 ぜひあなたもこの感覚を味わってください。

 そしてその感覚を皆様に広げていただければ これに勝る喜びはございません。


 ここで皆様にメッセージを送ることができますのも何かの縁でございます。

 皆様とのこの縁がいつまでも続くことを心よりお祈りいたします。

http://www.infotop.jp/click.php?aid=118426&iid=34156

〈早川周作〉


―楽しく生きるー


朝起きたら外を見る。楽しい一日の始まりだ。



現代はストレス社会といわれ、私達は様々なストレスにさらされている。


これは若い人々だけではなく中高年期の人々も例外ではない。


中高年期に体験しやすい生活事象はどのようなものだろう。ストレスとなる悪い出来事、良い出来事、ストレスにならない普通の出来事と分けられる。


孫の誕生、子どもの入学や結婚、職業上の昇進や再就職などは歓迎されるもので、生活上のはりや喜びにつながる良い出来事だ。


反面、病気、家族や友人とのトラブル、配偶者や家族、友人との死別などは悪い出来事で、その体験がストレスとなり、精神的な不安定さをもたらす。いわば、こころの健康が悪くなる。


悪い出来事に遭遇すると状況を見まもり、気持ちを鎮め、今後の方向を検討するという行動をとり、心の準備を行う。


しかし、行なわれた対処行動のすべてがこころの健康の回復にとってよい効果をもたらすわけではなく、なかには心の健康を悪化させてしまう対処行動もあることがわかった。


この違いをもたらす原因は孤独・不満感が強い、老いに対する態度が悲観的、否定的であり、不安、心配等で心の動揺が強い、という心理的に不安定であることに起因している。


日頃の自分の健康状態を悪く思っており、全般的な筋力が弱く、病気があって医者にかかっているなど、身体面の不調や老化がストレスをもたらす出来事に見舞われた時に、心の健康を悪化させる要因になっている。



逆のケースは、老いに対する態度、友人からのサポート、親子関係が心の健康の回復に役立っている。


60代に達すると周囲に思いがけないことが頻発する。親達の隔世は言うに及ばず、頑健であいつがと思うような友人が病魔に倒れるというようなことを含めて、加齢と共に慶弔のうち弔のウエイトが高くなる。


その都度、自分の身に置き換えて考える。これを繰り返していると精神的に滅入ってくる。


しかし、不幸を自分に置き換える必要はない。


不幸は自分以外の出来事で、その人が持って生まれた運命と割り切ることが大切だ。


病死だったら、長い苦しい闘病生活の終焉を喜んでやる。


事故だったら、先に天国に行った身内との再会をめでてやる。


80才を過ぎていたら、心の底から天寿を祝ってやる。


正に人生ご苦労様でしたと感謝の気持ちで見送る。


残された者は、生ある限り生きなければならない。


そして孤独になる必要はない。残った人たちと、楽しく生きる前向きな心を持って豊かな余生を過ごしたい。


夕焼けは一日の終わりでなく、今日から明日への続きを告げている。