―人口問題2―



「産業主義の時代は女性を一人の労働力にしてしまった」とアルビン・トフラーは20年以上前に「第三の波」で書いた。


産業主義の社会制度の下で、例えば家庭で家事と育児だけをしてきた女性は、老後に低い年金しか受けられないという差別を受ける羽目になると指摘している。



次世代の労働力となり、また将来の年金制度を担う子供達を苦労して育てたあげくに、差別されるという制度では、当然の帰結として女性は子供を生まなくなる。



少子化問題で気になる現在の結婚の平均年齢は男30.6歳、女27.5歳と結婚年齢が高齢化している。



それ以外にも、女性の高学歴化や子供の教育費負担の重さ、保育施設不足や住宅問題など少子高齢化の原因は単純ではないが、年金制度のあり方そのものが年金制度自身の首を絞めている側面もある。




少子化が進み、30数年は老人優位の社会が続く。

その間、出産可能な世代が多産に転換しない限り、木の幹のような人口構成図になり生産性の乏しい社会になる。



世代別の生活環境を考えると、生産年齢世代は仕事の関係や子育てなどの時間拘束もあり投票率は低下する。

老年世代は生活面での制約が少ないこともあり投票行動は高くなる。

この結果、国家運営は老人寄りの政策になりかねない。



福祉国家も結構だが、国の経済的基盤をおろそかにする政策に偏ることは国そのものの存立基盤を脅かす。

結果として福祉国家も崩壊しかねない。



21世紀前半の政治家の意識とそれを選挙する老年世代の賢明な判断が日本の行方を決める。



寿命も医学の発達で、ますます延びていく。

米国民間人口研究所が発表した予測によると、日本人の平均寿命は2050年には90歳を超えるという。国連が2300年の世界人口を予測したレポートでは、108歳と予測されている。



国の施策を老人支配にしないためには次のことを理解しなければならない。














―人口問題―


少子化対策が政治の主要課題になろうとしている。論調をみると、あたかも日本国が今世紀破滅するようなヒステリックな印象を得る。

戦後、荒廃した国土復興を支えた高度経済成長が国民の意識を変革したという事実を、議論の外において繰り広げている少子化対策は噴飯ものである。

「女は産む機械」発言をするような人間が担当大臣をしている国で少子化対策に取組むなど笑止の沙汰である。

この表現を男女平等の論理から展開すれば、男は「種付け機械」になる。

男女の情緒をわきまえない暴言であると言わざるを得ない。

少子化問題は子供を産むだけでは終わらない。人間の子育て期間は地上の動物の中で一番長い。乳児期、幼児期を経て6334の長い教育期間の責任と義務を伴う。利害抜きの愛情も必要である。当然その間の経済的な負担もある。

1989年合計特殊出生率1.57になった時大騒ぎをした。日本の人口維持を維持するには出生率が2.07を維持しなければならないとされた。年金問題とからんで耳目を集めたが、有効な施策を立てることなく10数年が経過している。

老害にならない“男の美学”

2004年になり合計特殊出生率の予測が1.29まで降下していることが報道された。さらに2006年予測では1.26になった。年齢別人口増加は老年人口(65才以上)のみとなった。

「日本の将来推計人口」(社会保障・人口問題研究所)によると合計特殊出生率の推計は低位1010、中位1.39、高位1.63になっている。

人口構成は地方型、都市型に分類される。経済的な要因が大きいだろうが、地方型は老年人口が多くなる。

日本の人口は2004127776千人がピークで人口減少と高齢化が進行する。国の経済生産性の低下は瞭然とする。

少子化と相対して、2013年老年人口は3千万人を突破する。

さらに、2020年の老年人口は3456万人になり、老齢化率は27.8%(3.6人に一人が65才以上)になる。

子供は学校に、労働世代が職場に行くと、街で見かける人間は老人のみという異様な社会が現出する。

高齢化問題は少子化問題と並んで社会的大問題である。高齢世代の生き方次第で風景が変わる。国のスタイルも老人国家になる。

国や地域の方向を決めるのは政治だが、政治家を選ぶのは国民・地域住民である。

健康面にトラブルがない限り、働く世代に比べて老年世代の投票率は高い。

近年の選挙は50%を割る投票率が圧倒的だが、これは働く世代の政治への無関心が原因と思われる。



結果として、高齢者におもねる政治体制が出現しかねない。

極端な言い方をすれば、高齢者施策優先の国になる。
























21世紀になって人類の行く末が気になる事象が国内外で続々発生している。よくよく考えると、人間の業に全て起因していると言っても過言ではない。


世界規模では地球温暖化という生物の生存環境を脅かす脅威が着々と進行している。メディアをはじめとする情報ソースが日夜その危機を訴えているが、富めるものも貧しいものも人間は日々の暮らしにうつつを抜かしているのが現実だ。米ソ冷戦終結の後に出現した人種対決、宗教対立、さらにはテロという手段を選ばない無差別殺人のあり方を見ると人類は滅亡に向かって駆け足をしているような錯覚に陥る。


国内に眼を転じると、少子高齢化と大騒ぎしている。世界の中で贅沢の頂点を極めた日本人のありようと日本のナショナルデザインが問われている。少子高齢化もその根本的な戦後の時間的・空間的背景を腰をすえて解析しようとしないで、上っ面の改革論が横行し、真の日本人のあり方・生き方に対するメッセージはどこからも届かない。


膨大な借金で首が回らなくなっている国・自治体などの官僚組織は、世の批判の集中砲火を浴びて、行政の舵取りもままならないし、持てる知恵も発揮できないでいる。国民・市民も今までのお上依存に慣れすぎて、その解決策を持っていない。ただ、おろおろするだけだ。


個人的にも周囲の環境に大変化が起こっている。還暦を過ぎたあたりから加齢に対する関心が出てきたが、それ以上に周囲に老人が多くなった。最初は老化の入り口に入ってそのような関心が湧いてきたのだと思ったが、現実は自分が年を取ったという事実以上に老人が多い。平日のデパートは高齢者の散歩コースにも等しい。当然、街なかの歩行者に占める割合も高い。老人国家・老人都市の出現もま近い。


2030年以後の死亡率のピークの後には、人口半減の国になる。


未来が暗いということは、生きることが苦痛になる。自ら死を選択しない限り、寿命が尽きるまでは生きなければならない。どうせ生きるならくよくよ生きても仕方がない。個人的な開き直りかも知れないが、生きるなら堂々と生きたほうが人生を充実させられる。


身の回りの老人である親たちは80半ばでも身体的に元気だが、なんともわがままで老人的狡猾さが気になって仕方がない。自分はそのようにはなりたくないという思いが、老害防止の発端である。


さらに、決して男女差別論者ではないが、社会は男がリードしてこそ良好な人間関係が形成されると思う。男が男らしく、女が女らしい社会こそが人間的なコミュニティ空間が出現すると信じて疑わない。


何はともあれ、戦後の荒廃した国土の中からこの世に生を受けた老人の入り口世代と自分を含めて、経済成長の真っ只中を駆け抜け、築いてきた世界トップの豊かな日本の中で、場面を替えた新しい充実した人生を自立という大きなテーマのもとに過ごすための応援歌になれば、望外の喜びになる。