21世紀になって人類の行く末が気になる事象が国内外で続々発生している。よくよく考えると、人間の業に全て起因していると言っても過言ではない。


世界規模では地球温暖化という生物の生存環境を脅かす脅威が着々と進行している。メディアをはじめとする情報ソースが日夜その危機を訴えているが、富めるものも貧しいものも人間は日々の暮らしにうつつを抜かしているのが現実だ。米ソ冷戦終結の後に出現した人種対決、宗教対立、さらにはテロという手段を選ばない無差別殺人のあり方を見ると人類は滅亡に向かって駆け足をしているような錯覚に陥る。


国内に眼を転じると、少子高齢化と大騒ぎしている。世界の中で贅沢の頂点を極めた日本人のありようと日本のナショナルデザインが問われている。少子高齢化もその根本的な戦後の時間的・空間的背景を腰をすえて解析しようとしないで、上っ面の改革論が横行し、真の日本人のあり方・生き方に対するメッセージはどこからも届かない。


膨大な借金で首が回らなくなっている国・自治体などの官僚組織は、世の批判の集中砲火を浴びて、行政の舵取りもままならないし、持てる知恵も発揮できないでいる。国民・市民も今までのお上依存に慣れすぎて、その解決策を持っていない。ただ、おろおろするだけだ。


個人的にも周囲の環境に大変化が起こっている。還暦を過ぎたあたりから加齢に対する関心が出てきたが、それ以上に周囲に老人が多くなった。最初は老化の入り口に入ってそのような関心が湧いてきたのだと思ったが、現実は自分が年を取ったという事実以上に老人が多い。平日のデパートは高齢者の散歩コースにも等しい。当然、街なかの歩行者に占める割合も高い。老人国家・老人都市の出現もま近い。


2030年以後の死亡率のピークの後には、人口半減の国になる。


未来が暗いということは、生きることが苦痛になる。自ら死を選択しない限り、寿命が尽きるまでは生きなければならない。どうせ生きるならくよくよ生きても仕方がない。個人的な開き直りかも知れないが、生きるなら堂々と生きたほうが人生を充実させられる。


身の回りの老人である親たちは80半ばでも身体的に元気だが、なんともわがままで老人的狡猾さが気になって仕方がない。自分はそのようにはなりたくないという思いが、老害防止の発端である。


さらに、決して男女差別論者ではないが、社会は男がリードしてこそ良好な人間関係が形成されると思う。男が男らしく、女が女らしい社会こそが人間的なコミュニティ空間が出現すると信じて疑わない。


何はともあれ、戦後の荒廃した国土の中からこの世に生を受けた老人の入り口世代と自分を含めて、経済成長の真っ只中を駆け抜け、築いてきた世界トップの豊かな日本の中で、場面を替えた新しい充実した人生を自立という大きなテーマのもとに過ごすための応援歌になれば、望外の喜びになる。