フルマラソンのレースに出場しなくなり、だいぶ経ってきました。
PBとか言う単語も忘れかけてきたところで、このままではいけないと思い、体を呼び起こそうと厳しいトレーニングを考えることにしました。


フルのPBは3時間20分弱。(ネットで15分台、グロスで18分台)
そろそろ、3時間15分を切りたいところ。。
しかし、15分切りともなると、気合いとかだけで達成できるものではなく、綿密なペース配分を考え、自分の可能性を最大限に引き出し、なおかつ暴走は避けなければいけません。
 

そこで、とある俊足ランナーさんが初サブ3.15を達成したときに採用されたペースを私も参考にすることにしました。

そのペース配分とは。。

25キロ⇒1時間53分
30キロ⇒2時間16分
32.195キロ(ラスト10キロ)⇒2時間25分


 

このように、腕にタイムを書いて見ながらレースに挑んでもいいのですが、雨が降ったりすると流される危険があります。
しかし、さすが駿足ランナーさん、以下のように分の部分の語呂合わせまで用意されていました。
 

「高3(53分)が色気(16分)づいて日光(25分)へ!」


これさえ覚えておけば、PB更新は達成したのも同然!
 

・・・とは言うものの、頭でわかっているだけでは心もとないので、まずは、実践することにしました。
気合いを入れて、8/1朝6時半頃、板橋の自宅を出発!
 

しかし、なんということでしょう!
気づいたら、いつのまにか走行距離が45キロに達し、フルの距離を超えていたではありませんか!
今回のペース配分で、鍵となるはずの25キロ、30キロ、32.195キロ地点はとっくに過ぎていました。
しかも、埼玉県をまるごと縦断して、こんなところまで来ていました。

 

PB更新は諦めということでしょうか?
もう、やけになって、走っていた国道4号をそのままひたすら北上してしまいました。
そしてついに・・・


栃木県入りしてしまいました。

真夜中もひたすら栃木県の街々を通過。


ふと、怪しげな地名が現れはじめました。

 

しかもこの地名、どんどん近づいてきます。


その怪しげな地とは。。



そう。ペース配分の目安としていた日光です。
最初ペースのことを忘れ、水の泡になるかと思った練習も、どうやら実を結んだようです。

市街地に入る頃、夜は明けました。

もちろん、日光に来たからには、この坂も登ることに。。

 

いろは坂。(登ったのは車の下り専用である第一いろは坂)
カーブごとにいろは歌の順にひらがなで名前がついているのですが、歌の序盤の部分しか覚えていなかったので、どれだけ進んでいるのかよくわかりませんでした。


真夏のためか、紅葉のように色気づいてはおらず、深緑そのものでした。
しかし、よく見ると坂はまだまだ上に続いています。

 

何とか、坂を登り詰め、中禅寺湖に到達!
自宅を出発してから148キロほどになっていました。


さて、昔からお付き合いしているブロ友さんや読者はお気づきかもしれませんが、ここまでは、5年前の秋、初めて自宅から日光に走ったときの記事をほとんどコピーしたものです。
(参考:前回の記事はこちら)
 

しかし、ただ記事をコピーしたのではなく、ほぼ同じところをほぼ同じ時刻に模倣をすべく、実際にまた走りました。一応、写真も最初の手のタイムの以外は撮りなおしました。


前回との大きな違いは、続きがあること。
 

中禅寺湖のレストランで昼食をとった後、再出発し、上ってきた国道120号の先のところにある戦場ヶ原へ足を延ばしました。


ここで重大な(と言うと大げさですが)アクシデントが発生しました。
ガーミンの充電ケーブルを紛失していました。
一気に戦意喪失し、国道120号(日本ロマンチック街道)の戦場ヶ原の先は、真夜中に再び峠越えの道が続いていることと、大雨に打たれていて体も限界になっていたので、ランを終了するか迷いはじめました。
何十キロも店はしばらくなさそうで不安でいっぱいで、おまけにバス停の時刻を見ると、ランの終了を促すがごとく、終バスがそろそろ到着する時刻でした。

散々、迷ったあげく続行することに。
前進して数分で、終バスとすれ違いました。バスに乗らなかったことを後で絶対後悔するんだろうなと思いました。
 

奥日光を背に、真夜中、一人、再び日本ロマッチック街道の峠を登り続けました。


やがて、金精峠のトンネルに到達し、栃木から群馬へ突入。

 

トンネルを抜け、群馬県側に出ると、辺り一面、ガスに覆われました。
本当だったら、菅沼、丸沼、大尻沼の絶景が繰り広げられていたに違いなかったと思いますが、数メートル先すら見えなくなりました。

次第に、電灯もない真っ暗な洞門が続くようになりました。


降り続けていた雨の影響か、ただ、水が勢いよく流れる轟音だけが闇の中で響いており、恐怖の独り占めをしました。
 

日本ロマンチック街道を下り、ちらほら家が見え始めた頃、夜が明け、以前来たことのある分岐点の片品に到達しました。


尾瀬への入り口です。
尾瀬も自宅から走って行ったことがありますが、まっすぐ国道17号を使って、前橋、沼田経由のルートで、ちょうど反対の前方から来たのでした。
(参考:前回の尾瀬の記事はこちら)

緊張の糸がすっかりほぐれ、ひたすら尾瀬へ向かう国道401号を登り続け、登り口の大清水に到達。


 

無事、尾瀬沼にも到着しました。


 

前回もそうでしたが、バスの時刻が迫っており、そそくさと福島県側の休憩所に行き、越県の証拠としてポストを撮影。


 

急いで、大清水まで下山し、なんとか終バスに間に合い、ランは終了!
長い戦いは終わり、安堵の帰宅につきました。
ケーブルを紛失して充電ができなくなったガーミンも電池残量が5%程でなんとか最後までもってくれました。


走行距離:約220.0キロ
走行時間:約32時間57分(2日間8時間57分)
 

今回走ったコースです。


なんとか、自宅からのいろは坂&尾瀬のダブル制覇が叶いました。
しかも前回、尾瀬単独で制覇したときと所要時間がほとんど同じでした。
戦場ヶ原過ぎのところで、終バスに乗り込まなかった自分をただただ褒めるばかりでした。
(ただただ呆れると言った方が妥当?)
来年、再々チャレンジする川の道は、まだまだ不安はありますが、少しだけ自信がつきました。