さる5/23にデジタルハリウッド大学お茶の水キャンパスで「高橋栄樹特任教授 就任記念公開講座『ミュージックビデオの発展とこれから』」という公開授業が開かれ、先着100名の学外聴講に予約して聞いてきました(学内の学生は別枠で多数参加)。とても興味深い充実した内容だったので、アイドルMVを中心にお話を記録しておきます。

 

講義開始前の教室

 

高橋栄樹監督といえば、アイドルではAKB48のMVやドキュメンタリーが有名ですが、イコノイジョイでは、ニアジョイの4曲(「≒JOY」「笑って フラジール」「超孤独ライオン」「その先はイグザルト」)、ノイミーの「≠ME」と初期ドキュメンタリー、イコラブの「桜の咲く音がした」「知らんけど」などお世話になっています。日本のMV界の草分けの一人であり、自身の最初のMV(YBO2Canon」89)を作ってから35年間MVに関わって来られたという。

 

最近の仕事として紹介されたのは、柏木由紀の卒業ソロ曲「最後の最後まで」MV、元乃木坂46(4期) の北川悠理(ゆり)脚本・主演の映画『しあわせなんて、なければいいのに。』(61分, 5/17からLeminoで配信中)の監督、そしてキングレコードでAKBを長く担当された湯浅順司氏が立ち上げたSizuk Entertainmentのオーディション合格者に坂口渚沙(元AKBチーム8, 23/8卒業)を加えた6人組グループLarmeR(ラルメール)の新曲MV「純情コントラスト」(5/16up)の3つでした(ゆきりんYouTubeのMVの裏側密着に栄樹監督がたびたび登場します)。

 

 

1965年岩手生まれの高橋栄樹監督は日大芸術学部映画学科の映像コースでビデオアートに触れ、在学中に制作した「Alone at Last」(88)が大きなビデオコンテストでグランプリを受賞、それがきっかけでまだ専門のMVディレクターがいなかった時代に声をかけられ初めてMVを制作、しかし当時はそれを見れる(流される)場所もなかったという(YouTube[日本語対応は2007-]よりはるか前の話です)。

1995-2006を自身の"ロックの時代"としてTHE YELLOW MONKEY「SPARK」96(16ミリで撮影)やミスチル「終わりなき旅」98(モノクロの地下とカラーの地上)を紹介しながら、それがロック系楽曲のミリオンセラーの時代でもあり作詞作曲をするミュージシャンたちとかなり自由な発想で作品を作り、MVもVHSで販売されたり音楽専門局で流れるようになった。

 

そして2007年からの"アイドルの時代"。ロック系MVで注目を浴びていた氏に秋元康から突然アイドルのMVを撮らないかと声がかかる。2005年に誕生したAKB48のメジャー3枚目(まだソニー時代)の「軽蔑していた愛情」(元はAKBチームAの4th公演「ただいま恋愛中」07の本編最終曲で、中高生のいじめや自殺といったシリアスな社会問題を歌った問題作。井上マサヨシ作曲の名曲です)。既存のアイドルとは違うものを作ろうとしていた秋元康は最初からMVの監督についても考えがあったらしい。ただし栄樹監督はアイドルを通過して来ず、映画青年で歌番組も見ていなかったのでアイドルがどういうものかよく知らなかった。

高校生だったメンバーたちとどう接するかということでは、自分が高校生の時に嫌だった大人のような、上から目線とか逆に妙にへり下るような態度ではなく、対等に接して作品の意図を説明していくのが一番で、今もそういう接し方をしているという。

アイドルのMVをやろうと思った別の理由は、少し前に子供が生まれ(ニアジョイと同年代か)、その成長やコミュニケーションの過程を見ながら、これまで自分は次の世代に向けた仕事をやって来なかった、AKBはよくわからんがアイドルは女優など次のステップへの通過点という考えを聞き、アイドルの彼女たちを輝かせるのはその先の未来につながるのではとも感じたからとのこと。

「軽蔑していた愛情」(07)は自殺がテーマで社会状況を訴えているので、それまでの社会と隔絶した人工的セットの中で世界を作り上げたロックMVとは違って、リアリティを重視しドキュメンタリー的撮影で(アイドルの明るい学園ものMVとは逆に)メンバーがドラマパートでもダンスシーンでもまったく笑わず、冒頭と最後に文字メッセージを入れた。現実にコミットしたものを作ろうとした。

 

またAKBの「10年桜」(09)で、デジタル一眼カメラで動画撮影可能になったCanon 5D MKII (08/11発売)を業界で初めてMV撮影に使った話も興味深かった。それまで動画はムービー用デジタルカメラが使われ、一眼カメラではフォーカスの送りが逆だったりシャッタースピードが変化したりしたが、カメラが小さく圧迫感がないのでカメラが近くても緊張せず、しかもクリアに撮れた(ダンスシーンを撮ろうとしたら当時あまりに忙しくて誰も踊れず、その場で1時間で振り入れしたというエピソードも)。

 

その後AKBのドキュメンタリーも作ることになるが、最初に撮った「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る」(12/ AKBドキュメンタリーとしては2作目)は被災地支援に関わるもので、岩手出身の高橋栄樹監督にとって特別な意味があった。1/31の100館公開が先に決まっていて、話があったのが2011年10月半ば、扱う題材も東日本大震災というデリケートなもので緊張感を持って制作した。作品は評価され続編2本、2020年の「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」まで4本の劇場用ドキュメンタリーを監督した。

 

2010年代からアイドルの映画(ドキュメンタリー)を撮ってきたが、震災やコロナなどさまざまにリアリティや生活が変わるなかで、欅坂46のドキュメンタリーも一つの映画にするということは、欅坂を知らない人にも見てもらえる作品にしないといけない。そうすると日本人て何なのかという問題とか、私たちが今いる社会の縮図や象徴のようなものがこの女の子たちの集団に見えてくるようにしたかった。「僕たちの嘘と真実」(20)はほぼ完成しダビング中にコロナの緊急事態宣言で公開延期になり、その間にメンバー1人1人にオンラインでインタビューしたりもした。その後公開日が決まり、映画の中にコロナという言葉は出てこないが、マスクや人のいない街の風景でわかってくれということで(コロナ禍での無観客・生配信のシーンはあり、そこで欅坂46の終焉と改名が告げられます)。当時は東京オリンピックの時期と重なるので、街の変貌や欅坂の最初のMVが工事現場で撮られたのでそこにビルが建ち一つの都市になった風景を入れようと考えていた。

(ニアジョイの「笑ってフラジール」[22/9/1up]ではMV中にコロナで仲間が応援に行けなくなる設定のシーンが含まれています。)

 

最後に、学生へのメッセージとして、自身が学生時代に作った8ミリのアクション映画「Heartbreak Beat」(88)を取り上げて、東映のプロデューサー平山亨氏(仮面ライダーシリーズの発案者、学生の上映会によく足を運んで意見をくれていた)に見てもらった時のアドバイスの手紙(FAX?)をスクリーンに映して、「技術はさすがに優れているが、欲を言えばもっとオリジナルで新しいものを作ってほしい。どこかで見たようなものはどうしても古臭く感じてしまう」(大意)という言葉から自分はビデオアートという新しい分野に進み、賞を取って、その後の仕事につながった、と結ばれた。

 

(ロックであれアイドルであれ志と熱量を持って作品をつくる姿勢、アイドルをファンタジーの存在ではなくリアリティを生きる生身の人間として捉えようとする姿勢を感じた講演でした。監督はかなり早口で聞き取れないところもあり、メモと記憶をもとにまとめましたが不正確な点や勘違いもあると思うので、その点はご了承ください。)

 

(参考)高橋栄樹監督について2021/3に書いた記事です。興味ある方はご一読を。