田村奈津枝さんとSCフライブルグ | うらじょ

うらじょ

女サカ好きです。
浦和レッズレディース中心にはなりますけど
いろいろ好き勝手に書いてます。
よろしくですー

高知自動車道トンネル多重事故として、ニュースとなりご存知の方も多いかと思いますが、元なでしこリーグプレイヤーとして、日テレ、アイナックのDFで活躍された田村奈津枝さんが、昨日その交通事故により亡くなられました。
 
~田村さんは、高校時代にサッカーを始め、日本体育大学を卒業後、日テレ・ベレーザ、INAC神戸レオネッサでプレーしました。日テレ・ベレーザに在籍時は、東京ヴェルディスクールのコーチも兼任。神戸に在籍中の2008年にはJFAこころのプロジェクトに参加し、神戸市内の小学校で夢先生を務めました。現役引退後は、株式会社ファンルーツアカデミースクールコーチ、日本体育大学女子サッカー部コーチなどを歴任し、2015年からJFAアカデミー今治のコーチとして活躍。今年2月に関東地区担当のJFAナショナルトレセンコーチに就任したばかりでした。~
 
 
{1AC18470-0039-4493-B846-5634310FA049}
JFA 夢先生の紹介より)日体大在学中に全日本大学女子サッカー選手権大会 4 連覇を達成。また、神奈川県代表としても 4 大会連続で国体に出場。
第18回(2004年)関東大学女子リーグでは、DFとしてベストイレブンに選ばれています。
特に丸山桂里奈さんとは高校(村田女子)からの同期らしく、第13回全日本大学女子サッカー選手権大会ではともに優勝メンバーだったようです。
 
 
 
{611F1D26-2A82-4BD8-9429-16E99F36B387}{67590076-8274-4C63-815D-DEB974955B0F}
(2008年オフィシャルガイドブックと、2008年なでしこオールスターのうちわ)
 
ベレーザ時代は知らないのですが、アイナックに移籍してからの田村選手(2007年~)は、レッズレディースが対戦時いつもスタメンに名を連ねていたのを思い出します。
 
2007年5月に駒場で雨の中、レッズレディースがオウンゴールで辛勝したした試合や、2008年7月に萩谷で酷暑の中、アイナックがレッズレディースに初めて勝った劇的な試合でもDFのスタメンとしてメンバーに入っていました。
アイナックの黎明期を、山岸、原、藤村、米津といった中心選手とともに支えたメンバーのひとりといえるでしょうか。当時のアイナックは、いまASハリマアルビオンの監督をなされている田渕氏の指揮のもと、各選手がひじょうに当たりの強い、ファイトむき出しのプレイスタイルだったことを印象深く覚えています。
 
 
選手引退後の経歴を辿りますと、2013年に日本オリンピック委員会のスポーツ指導者海外研修員として渡独されています。
 
競技団体:サッカー

田村 奈津枝(タムラ ナツエ)
 
競技 ・ 指導実績
2005~2007年 日テレベレーザ所属
 Lリーグ優勝、国体優勝、全日本選手権優勝
 2007~2009年 INAC神戸レオネッサ所属
 なでしこリーグ2位、全日本選手権2位 
 
研修予定先
ドイツ(フライブルグ)
 
研修期間
平成25年6月13日~平成26年6月12日
 
研修項目
フライブルグSCに所属し、普及、強化、指導者養成等全般を学ぶ
 
 
 
ドイツ・フライブルグに研修に行かれて間もない頃の、地元で報じられた記事がありました。Googleでドイツ語→英語変換しています。(画像をクリックすれば元記事へいきます)
以下、英訳された記事のほうがまだ解りやすいかと思い、意味不明の箇所はあれど、長くはなりますが全文載せておきます。
(※Birgit BauerはSCフライブルグのマネージャー、Dietmar Sehrigは監督)
 
FREIBURG. Natsue Tamura has never been to Europe. She has never been abroad alone. And German is hardly speaking. But since July of this year Natsue Tamura, 31, football coach from Japan, belongs to the football team of the football club Freiburg. For a whole year, as a trainee trainee.
 
When Birgit Bauer learned of Natsue Tamura's desire to exchange, he thought of a joke. But the e-mail was genuine, an official of the National Olympic Committee of Japan (NOC) wrote the manager of the Freiburg football women. Meanwhile, the Japanese woman has been here for three months - and Birgit Bauer does not want to let her go any longer: "She suits us." Only with the German language Tamura still struggles, and also speaks English hardly. An interpreter must translate the conversation with the journalist. In everyday life and at work she does not have that. "Before each workout, the Cheftrainer sends a plan, which I then translate to the computer," she says. This allows them to work - at least in the endurance range. For complicated talks about tactics and technology, her German is not yet enough, but she understands more and more. Three times a week, she learns the language at the Goethe Institute. The club helps.

Natsue Tamura is the first Japanese exchange coach to come to Freiburg and the first NOC
exchange coach in women's football at all. So far only men have taken this step, and the program has been running for 30 years. Natsue Tamura, who was four years in the highest Japanese league for Tokyo and Kobe kicked, wanted to go to Germany. "Because Germany is a footballing nation, the sport is part of the culture - just like beer," she says, laughing. This is not the case in the Netherlands, but also the trainers' licenses of the Dutch and English football associations have been acquired. After Freiburg wanted Tamura, who came to football as a child thanks to her sister, because of the many different leagues in which the teams of the SC play.
 
Before Natsue Tamura came to Germany, she trained the women's football team at the University of Tokyo, which is a very professional university league, compared to German higher education institutions. For several years Tamura was also a trainer at the sports college in Yokohama, later she wants to become a cheftrainer at a big team. Her philosophy describes her, who has studied sports for four years, so: "You can not make a potato salad if carrots are in between." It is about shaping the team and keeping an eye on the big picture, even though they are particularly keen on the achievements of the women's winners, Melanie Leupholz, Sara Däbritz and Laura Benkarth.
 
The start in Germany meant for Tamura not only a language change. The Freiburg coach, Dietmar Sehrig, put on shorter training times than in Japan. "But he is formulating the objectives more concretely and more clearly," she reports. Natsue Tamura wonders that the women of the SC are working as police officers or sports instructors during the day. "Women's football is more professional in Japan, but Germany is playing faster and at a higher level."
 
日本オリンピック委員会からドイツへ初の女性コーチとして派遣され、ドイツ語に英語もほとんど話せない状態から赴任されるも、「スポーツは文化の一環であり、ドイツはフットボールの国」という熱意を抱き、苦心されながらも取り組む姿勢に、周囲に認められながら溶け込んでいかれている、現地での新鮮な日々を楽しんでいた様子が、記事からはうかがえるでしょうか。
サッカーを形作り広い視野も持つ上で、”人参が入っていたらポテトサラダは作れない”という見識がユニークです。いずれ大きなチームのチーフトレーナーになることを目指されていました。
 
 
田村さんが帰国後の平成26年に、ドイツ派遣時の詳細をまとめられた報告書があります。
「スポーツ指導者海外研修事業・平成26年度帰国者報告書」
研修員報告〈サッカー 田村奈津枝〉
 (PDF113ページから)
 
SCフライブルグには地域ぐるみでスポーツを育む環境があり、クラブチームは育成を主目的とした特徴が、女子チームにもカテゴリーごとに細分化されている。
優秀な選手としてだけでなく立派な一社会人の大人として育まれる環境がある。
1シーズンを通したクラブの取り組み方、指導者の見極め方、チームコンセプト、ユニークなトレーニング方法、当時チェルシーに在籍していた大儀見選手のコメントなども盛り込まれています。
これほどのドイツ女子サッカー内部についての詳細レポは、おそらく今だかつてないでしょう。ひじょうに参考になりました。ぜひ多くの方に読んでもらいたいです。
 
 
”表現することを常におそれず、選手自身が自分の行動に常に自信と責任を持つことはサッカー選手とって欠かすことが出来ない資質といえよう。ルールの中でアイディアと判断を繰り返し、素晴らしいプレーを表現するサッカー選手を育成していくために、協会・クラブ・指導者・地域からのアプローチは欠かすことが出来ない。そうした中で育成され強化された選手がその後の人生でまたスポーツにかかわる。私自身が指導者としてその素晴らしいい循環を作る担い手の一人になれるよう、素質を磨く努力を怠らずにアイディアを発信していく姿勢を持ち続けたい。”
 
 
田嶋幸三JFA会長 お悔やみ
 
突然の訃報に大きなショックを受けています。ご家族、そして本人の無念さを思うといたたまれない気持ちです。日本オリンピック委員会(JOC)のスポーツ指導者海外研修事業でドイツ・フライブルクでの研修も受けてもらい、能力が高いからこそ、今回、関東地区のナショナルトレセンコーチをお願いしました。指導者としてのキャリアを積んでいる矢先にこのような痛ましい事故に遭い、命を落とされてしまったことは、残念でなりません。日本サッカーにとって大きな損失だと思っています。心からのご冥福をお祈りいたします。