三陸の海 | うらじょ

うらじょ

女サカ好きです。
浦和レッズレディース中心にはなりますけど
いろいろ好き勝手に書いてます。
よろしくですー

幼少の頃、岩手県宮古市に近い田老町に海水浴に行ったときの思い出です。


海底が見えるエメラルド色のとても穏やかな波が打ち寄せる、綺麗な海岸線が印象に残っています。


ですが、浜辺のすぐ後ろに、大きな堤防が張り出していて異様な感じがしました。


田老に連れて来てもらった親戚のおじさんに、どうしてこんなものがあるのか質問すると、


昔、大津波が来て多くの犠牲者が出てから堤防が大きくなっていったことを、教わった覚えがあります。



堤防だったか、崖にだったか、ずいぶんと高い位置に刻まれたメートル表示が記してありました。


それは明治時代の三陸沖地震が襲ってきたときに、津波の最高水位を記したものでした。


10m以上は悠に超えていて、とても考えられない高さであり、現実的にまるで想像つかなかった当時の私でした。




TVから、宮古を襲う津波の様子が、また現実のものとは捉えられない信じられない光景に映りました。


幼少の頃に何度も足を運んだ町が市場が、物凄い勢いで濁流に飲み込まれていくさまに呆気にとられました。


宮古だけでなく、毎年、三陸のどこかしらに海水浴に連れて行ってもらっていたので、郷愁をおぼえる、気仙沼、大船渡、釜石と壊されていく映像が切り替わるたびに、見るに耐えなく心が痛くなりました。




いま、大きなショックが覚めやらず不安な一夜を、まんじりとも出来ずに辛い状況で過ごしている方は大勢いるのでしょう。


あの美しいのどかな風景が、一日にして過酷な状況へ打ちのめされたことは、私などが到底推し量れない恐怖であったに違いありません。今も恐怖と闘っているのでしょうか。




少しでも早く一人でも多くの方が救出され、安堵を得れることを、切に願います。


そしてまた、穏やかな海との共存に戻れますように、



まだとてもそんな状況ではありませんが。