右脚切断の方 | うらじょ

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スポニチ;

取り残された級友気遣う奥田さん 初めての海外で右脚切断  より

奥田建人さん(19)は語学学校のビル崩壊現場から救出後、西に約1キロ離れたクライストチャーチ病院に収容された。 

高校時代はサッカー部の主将を務め、守備位置はチームのかじ取り役、要のボランチ。初めての海外で大災害に遭い、右脚切断の重傷を負った経緯を淡々と語ったが、言葉数は多くない。がれきの中に依然取り残されている級友たちのことを話す時は、表情がぐっと深刻になった。



朝日新聞;

救助された奥田さん笑顔 母は涙「心配かけまいと…」  より

奥田さんは、県立富山北部高校のサッカー部でキャプテンだった。知り合いの保護者から心配する電話やメールがたくさん来ており、家族の心の支えになっているという。



朝日新聞;

救出された2学生「仲間を必ず助けて」 NZ地震  より

奥田建人さん(19)=富山市=は、昼食時に大きな揺れを感じた。いきなり、足元の床ごと、体が落ちていく。周りの学生も「痛い」などと言いながら、一緒に落下していった。気づいたら、周囲は暗闇だった。右足が動かない。何かに挟まれていた。


最初はパニック状態に陥った。「早く」「ヘルプ」「助けて」などの声が周りから聞こえ、やがて一緒に埋まった亀遊(きゆう)知子先生が「みんな落ち着いて」と声をかけた。
暗闇の生徒と教員たちを余震が襲う。揺さぶられるたびに空間が狭まる。

けむりやガスのにおいも漂ってきた奥田さんが「今やばい状況だから、余震が来たら間違いなく崩れる」と話すのが聞こえた。


そんな中でも携帯電話は通じた。奥田さんは足を挟まれたまま、兄に電話をし、自分たちが生きたまま閉じこめられていることを大使館に連絡してもらった。
「長期戦になるかもしれないから体力を残そう」。亀遊先生の声が聞こえてきた。「みんなで生きて帰ろう」との呼びかけが、始まった。
奥田さんの励ましの声が届いた。「オレも足の感覚がない。みんな同じだ」


やがて救助が少しずつ進んでいることを知り、助かる、と思った。だが、右足がどうしても動かない。結局、切断せざるをえなかった。「覚悟はしていた。仕方がない」と奥田さんは語った。


気がかりなのは、一緒にがれきの下で閉じこめられた仲間たちだ。声を発しなかった人もいた。

「私が暗闇で長時間、頑張ることができたのは、みんなと声をかけあったから。必ず助けてほしい」

ひょうきんもの」と評される奥田さんは、記者がカメラを構えると、笑顔で応じてくれた。だが、まだ助かっていない仲間がいることを聞き、暗い表情に。建物の崩壊現場の捜索を伝えるニュースが流れるテレビを、じっと眺めていた。

「暗いなかで、つらかったけど頑張った。ほかのみんなもなんとか助かってほしい」