日本代表に川口能活が選出されました。
昨年9月の右足骨折から今季公式戦出場なし。復帰間近であった16日のF川崎戦を前に、今度は右足内転筋を故障したという記事を見ました。
そんな状態でも代表では、川口の経験値から若手選手たちを中心にリーダーシップをとり、精神的支柱としての役割を期待されての選出であるのはほとんどの方がご存知かと思います。
思い出すのが2008年7月9日、北京五輪女子サッカー代表選出の時のことです。
代表選手発表と記者会見を兼ねた壇上に、佐々木監督以下、当時なでしこジャパンの中心選手であった荒川・沢(当時日テレベレーザ)、池田(TASAKIペルーレ)、安藤(浦和レ)が居並び、まず代表選手18人が発表されました。
何も聞かされていなかった壇上の選手たちは、発表が進むにつれ各ポジションに今まで戦いを共にしてきた旧知の選手の名前が無いのに当惑し、複雑な表情を見せている様子が当時のニュースや記事からうかがえました。
DFの下小鶴(TASAKI)やMF宮本(当時伊賀FC)の発表が無く、そしてGK山郷(浦和)の名前もありませんでした。
山郷について、当時の記事からー
『経験豊かなベテランとして精神面でも頼れるお姉さん的存在だった。
それだけに選手の衝撃は大きく、浦和で一緒にプレーする安藤と柳田は練習前に号泣。山郷から祝福メールをもらった柳田は「“私は大丈夫”という感じで気を使ってもらって…」と何度も涙をぬぐった。
山郷に代わり、福元(湯郷)と海堀(INAC)をGKに選んだ佐々木監督は「(山郷の落選を)引きずるようであれば、代表の質は低いということ」と強い決意をにじませた。
「山郷さんを見て学んできた。その分も頑張らないと」と安藤。沢や荒川らは「落選した選手の分まで戦いたい」と誓った。』
山郷はバックアップメンバーとして代表に帯同し、北京へと送り出す際にも涙の別れになったそうです。
「出場できない選手たちのためにも全力を尽くそう!」が大会に臨む選手全員の誓いとなり、たしかに当時の選手のコメントには、「出れない選手たちのために~」という言葉が多かった気がします。
強豪ノルウェーをついに大きな大会で撃破し、完全アウェーのホスト国の中国に勝ってベスト4進出。
大会中に選手たちへの励ましの電話やメールをする山郷がいました。
存在はしないが、精神的支柱として選手たちを陰で支え続けていたのでした。
川口能活には山郷の立場と違い、馴染みのない選手とも協調し合う「まとめ役」を任せられるのなら、なかなか容易な事ではないと思えます。
苦戦が予想される今回のW杯で、大会中にどんなモチベーションを選手に植え付けられる影響力があるのか、実際にプレーする機会が無くとも、彼なりの今までの精進を示すことになるのでしょうか。
特に、以前は代表でのポジション争いにライバル心剥き出しであった楢崎に対し、陰となり支え続けるバックアップを完遂できるのかを注目しようと思います。
代表がどんな結果で終わろうとも2人が補完し合うことは、今後の日本サッカーにとって有益な関係を築く良い機会になるのではないでしょうか!?
前W杯大会で、犬猿の仲といわれていたドイツのGKカーンとレーマンが、試合後に健闘を称えあったように、そんな場面を期待してしまうかも、ですー
2008年のなでしこリーグ戦終盤、北京五輪の正GKとして活躍した湯郷ベルの福元美穂が、試合中に左アキレス腱断裂という大怪我を負い復帰するまでに半年を要しました。
2009年2月のシーズンオフ、なでしこリーグのオフィシャルサイトで掲載されている各チームのリレーブログに、浦和レッズレディースからは山郷がブログを担当していました。
山郷がお気に入りのファッションブランドの本店が岡山倉敷にあり、そこを訪れた記事が載っています。
写真に一緒に写っていたのは、〇郷の〇元さんと書かれています。明らかに誰であるかが判明できます。
言い方は悪いのですが、いわば代表から正ゴールキーパーの座を奪った方と、五輪落選に陥った方が笑顔で並んでいるのです。
邪推に過ぎませんが、おそらく大怪我を負ったお見舞いと励ましも兼ねて訪ねたのでは!?と、思えてならないのです。
山郷のそんなさりげない優しさが、多くの方からの信頼を得ているのではないでしょうかー
2009年4月25日、福元の復帰戦で、反対側のゴールマウスで敵として対峙した守護神が、奇しくも山郷のぞみでした。
能活と楢崎が一緒にショッピングモールなんかを買い物している姿は、あんまり見たくないですけどー

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