何かに取り組んで、1日の終わりがクタクタになっている。
毎日続き、先が見えないというその連続では、辛いでしょうが、
あらためて考えてみると、1日が終わって、クタクタになっている、
これって有難いことなのかもしれません。
上を見れば、限りはありませんが、
一日終わって、クタクタである、
それは、今日、まだ命があるということ。
クタクタになるだけの体力があったということ。
活動できる、集中できる対象があったということ。
クタクタを実感できる「余裕」があるということ。
なのではないでしょうか。
何かに取り組んで、クタクタ。
本当に追い詰められた状況では、クタクタを感じる余裕すらないのです。
一番怖いのは、
危機的状況に、アドレナリンがドバァと分泌されて、
痛みや苦しみすら感じなくなる状態、
車のエンジンの回転数、レッドゾーンをずっとキープしているような状態です。
疲れた、クタクタという感覚はない代わりに、
いきなり、エンジンが焼き付いてしまいます。
クタクタという疲労感のサインを感じているということは、
まだ健全な状況にあるということ。
そのサインを受け止めて、意識的な休養を取る、
ペースを調整するなどの対応が取れるのです。
もう「クタクタ!」は、健全で幸せなサインなのです。
だから、私も安心して、
「クタクタ!」を味わい、満喫していきたいと思います。
この気づきに、感謝!
感謝!
在り難い!・・・本当の意味は、It's a miracle!