この世の中で「絶対に」ということは、なかなか無いものです。もし、絶対ということがあるとするならば、
それは、
この身体は、やがて役目を終えて、この世から去るということ。
やがて来る、必ずやって来る「肉体の死」。
これは誰も避けることはできません。
免れることはできません。
このやがて来る、肉体の死を恐れてばかりいても仕方がない。
本当に恐れるべきは、「今を生きている」と言えるかどうか。
ただ、死んでいないだけ、という状況が続くことこそを恐れたい。
死してなお残る、「2度目の寿命」をより輝かせるために。
そして、さらに重ねてお伝えしたいことは、
ときには、ただ生きているだけでいい、という時期があってもいいのです。
何かに挑戦、挑んで跳ね飛ばされて、それでもまた立ち上がって、歩き出す、走り出す。
素晴らしいことです。
しかし、こけて、痛みにうずくまり、立ち上がることもできず、
ただ、その痛みに耐え続ける。
痛みが去るのを祈りながら待ち続ける、そんな状態の時があってもいい。
痛みがあるのは、頑張ったから。
勢いよく、ぶつかったから。
スピードを上げて走って、転んだから。
だからこそ、痛みが大きい。
痛みを感じるということは、頑張った証拠。
そして、生きている証しでもあるのです。
そして、痛みが去って、
起き上がることができたら、少しずつでもいいので、
半歩でもいいので、足を踏み出していきましょう。
「2度目の寿命」を生きる仲間との再開の際に、
お土産話をたくさん持参できるように。
今日は、しめ鯖とともに、献杯。