不器用でよかった。
心からそう思います。
器用になりたくて、
切れ者だと思われたくて、
ずっと頑張ってきた時期がありました。
いや、今も正直、その性格は変わっていないのですが、
その一方で、不器用な自分が大好きになってきています。
もしかすると、
多くの人は、私が不器用だというと、
あるいは、不器用で良かったというと、
びっくりされるかもしれません。
「ほめ達!」さんほど器用に生きている人もいないのでは、
そう思われるかもしれませんが、
私自身は、自分のことを非常に不器用な男だと考えています。
一つのことしかできない、
これと思い込んだら、それに気を取られてしまう。
気遣いもできていない。
人を傷つけてきたことも、いっぱいあると思います。
何より、
人が一回、あるいは数回でできることが、
なかなかできない、覚えも悪い。
本当に不器用です。
鈍臭い。
救いだったのは、
その自覚があったこと。
不器用だからこそ、何回もやろう。
いい格好せずに、分からないことは聞いてみよう。
恥ずかしいと思わずに、助けてもらおう。
不器用だから、人の何倍も努力しよう。
そう考えて生きてきました。
不器用で良かった!
だからこそ、積み上げていく生き方ができました。
不器用だから、分厚くなってきました。
ここまで書いてきて、
対談させていただいた掛布雅之さんの手のひらを思い出しました。
どれだけの素振りをしてきたのだろうか、
まるで人間の手のひらとは思えないほど、分厚い手。
何度もマメをつくり、皮が分厚くなった手のひら。
積み上げていく生き方をした人だけが手に入れることができるものがある。
握手をした瞬間にそれが伝わる。
これからも、
不器用に、積み上げていく生き方をしていきます。
不器用を抱え、臆病なまま、勇気を持って、一歩前へ。
そして、また一歩。