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昨日お伝えした、演奏会での気づきのお話。
私は、オーケストラの演奏を、ちゃんと生で聞いたことがありませんでした。
ミュージカルなどで演奏されているのを聴くことはありましたが、
指揮者がいて、向かい合って演奏者が並んで、ステージ上で音楽が生まれるのを体感するのは初めてだったのです。
こんな風に、音は生まれるんだなぁ。
演奏する人は、指揮者をどれくらい見ているんだろうなぁ。
などと、色々に思いながら観て、聴いていましたら…。
ふと、「信用」 という言葉が頭に浮かびました。
観ているステージの上に、客席の上に、コンサート会場の中に外に、山のような数の「信用」が、ワサワサと湧いて出てきたのです。
指揮者は、それぞれの楽器を担当する人が、ちゃんと演奏してくれると信用する。
演奏する人は、この指揮者の指揮を信用して演奏する。
この音楽会には、演奏者、指揮者以外に、演出、映像、音響、照明、デザイン、プロモーション、企画、運営、などなど、開催するにあたり多くの役割を持つ人々が関わっています。
この、関わるメンバー達を、その仕事を、信用できないと、成り立たちません。
更には、この内容で、この日時で、この場所で開催したら、興味を持ってくれる人が一定量はいるだろう、来てくれるだろうと信用する。
その告知に触れた私が、電車を乗り継いで足を運び、チケット代金を払って観てみたい、と思えたのは、
主催する方々や演奏会の内容から、是非体験したい!と思えるその告知を信用したからです。
大事なことは、
指揮者は、演奏者を信用して指揮をしますが、
結果的に素晴らしい演奏をしてくれるか、失敗するのかは、やってみなければわからない、です。
勿論、素晴らしい演奏を信じていますが、
信用して指揮をすること自体は、実際の結果がどちらになるのかに影響しません。
同じように、告知を信用して演奏会に行った私が、結果的に、
行って良かったと感じるのか、行かなきゃよかったと感じるのかは、足を運んだ時点ではわからない、のです。
私が告知を信用して足を運ぶことと、その結果がどちらになるのかは、影響しないのですね。
私の言動は、その相手を、私が信用しているから、発しているのである。
です。
つまり、
嫌々でも、期待ゼロでも、
私から何かしらの関わりの矢が放たれた時点で、相手を「信用」している、ということです。
相手の反応が、思った通り、予定通り、想像の通り、
であっても、なくても。
つまりですね。
絶対返事こないよね、と思っていたら、メールしないんですね。
それでもメールをする。
した時点で、一方的な「信用」が存在する。
嫌だなぁ、苦手だなぁ、関わりたくないなぁ、と思っていたら、関わらないんです。
それでも挨拶してみる。
した時点で、一方的な「信用」が存在する。
相手の反応がどうかは関係なく、です。
私が矢を放った時点で、相手のことを「信用」している。
その先、信頼が生まれるか離れるかは、これまで何度もお話しているように、
コントロールは出来ません。
人と関わる= 私が「信用」している
と、考えると、わかりやすくなるのです。
矢を放ってみよう、と思った時点で(瞬間か継続的かに関わらず)、
私が、関わることを、決めて、行動した。
のです。
私が信用したいことを信用し、私が信用したくないこと、信用できないことは、信用しなくていい。
決定権は、私にあります。
私が告知を見て、行きたいと思って行動した。
結果、素晴らしかった。
結果、残念だった。
行きたいと思って行動したことと、結果は影響しない。
結果、残念だったとして、 私が信用して行動したことが不正解であることにはならないのですよね。
同じように、相手から矢が飛んできたら。
受けたいものは受け、よけたいものはよける。
その決定権は、唯一、あなた自身にあります。
よけたいなぁ、と思いながら受けるのは、
あなたが、あなたの意思で受けているのです。
人と関わるということは、
山のような数の「信用」という名の矢が飛び交っている中にいるのと似ています。
くどいですが…
私が触れる場所は、極限られています。
私自身についてだけ。
私以外の人のことに、さわることは出来ないのですね。
放つ。放たない。受け取る。よける。
は、自分で決めていい。
わかりにくくなってしまいましたが、
今日はこのまま発します。
そんな気分なので(^^;)
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