おはようございます。

少しひんやりした朝です。

 

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昨日、久米宏さんと、池上彰さんがお二人でお話される番組をみました。

 

とても心に響いたことがありましたので、そのいくつかをお伝えします。

 

 

 

今のニュースでは、情報を発信する側の人が、ニュースの当事者や被害者などをどのように思うか、まで言葉にしてしまっている。

(簡単に言うと、かわいそう、とか、まだ小さい子供がいるのに大変だ、というような、感情の部分)

そこは、発信する側が言う事ではなく、視聴者が感じ、考えることである。

 

 

 

「見る」と「聞く」では、情報量が圧倒的に異なる。

テレビにおいて「見る」からの情報量の多さを考える時に、例えばネクタイに手を持っていく、というそれだけの仕草さえ、それが気になり、話している内容が入りにくくなるもの。

ニュースステーションで原稿を読んだり話したりする時には、極力動かずに、できれば瞬きすらせずに、視覚から入る情報に意識がそれないように気をつけていた。

 

 

 

間違えないナレーション、原稿読みは気持ち悪い。

「間違える」ことはダメなのではなく、重要なことをもう一度言い直すことができる、ということ。

「大事なことだからもう一度言います」だと、視聴者はバカにされているように感じるもの。

だから、大事なところほど間違えれば、

「私が間違えたからもう一度言い直します」という理由で、繰り返して伝えることができるのだ。

 

 

 

全くおこがましく、あつかましいことを承知で、心から共感しました。

 

 

久米宏さん。

とても自由に話していらっしゃったように記憶している方も少なくないと思いますけれど、実際には、ニュースを、事実を、今起きてていることを、映像と言葉で伝えるとはどういうことなのか、を、とてもシンプルに公平に考えて実行され続けた方であることを、あらためて知ることとなりました。

 

 

心にちゃんと留めておきたいと思いました。