安藤忠雄は
書籍の中で
大坂の橋の事が
紹介されています
古くは水の都と
呼ばれた大阪では
江戸時代
浪華の八百八橋
と謳われた大阪ですが
実際は200程度しかなかったそうです
実際江戸の方が
橋は多かったのですが
なぜ、橋が大阪のシンボルと
なったのか?
それは、江戸はほとんどが
幕府によって架けられた公儀橋で
大坂はと言うと
公儀橋は12しかなかったそうです
その他は
町人の手で造られた
町橋だったそうです
自ら自腹を切って
生活や商売の為に橋を
架けるしかなかったそうです
橋は、大坂町人としての
プライドの証だったそうです
ご苦労だったでしょうが
誇り高きプライドだったのでしょう。