幼き頃、近所の子と遊んでいた時、必ずっていいほど年下の子が泣くことがありました~~
その光景を見た母が必ず口にしたのは「あなたが年上なんだから我慢しなきゃダメでしょ!!」というお決まりの台詞・・・。
怒られているわたしを泣くふりしながら(内心ではニヤニヤしている)「ざまぁーーー」ってな顔で見ているガキんちょに星の数ほど辛酸を味わされたあの時代・・・・。
今はすでにわたしがあの当時の両親の年齢をも抜き、多くの若者に講演活動をしている・・・。
彼らに話を聞くと、「あなたがお姉ちゃんなんだから!」「お兄ちゃんなんだから!」と、よく考えれば理不尽な理由で怒られる光景は変わっていないようです(^^♪
でも人間ってもんは何か問題が起きると、必ず何かにすがったり、何かに責任転嫁するという性質を自己防衛反応により大なり小なり表面化しちゃうもんですこればっかりは仕方ない
大事なことは、そうした場面に出くわした時、「○○が悪い・・・・と思う・・・ただ、それを今ここで口にすることが、数時間後・・数年後にほんとうに皆がハッピーになる言霊となるのだろうか?」と少し立ち止まって考えることが大事
それはあんたが勝手に考えている処世術でしょっ!・・って言われそうですが、そうじゃあないのです
先人はこれをちゃんと文字化して今も教えてくれているのです
まず、先人は神話を通して「幸せ」とは「仕合わせ」の意味であることを説いております。
文字とおり、男女が「仕え合う」の意であります。
古事記において最初に誕生する男性神はご存知「イザナギ」女性神は「イザナミ」ですよね
さて、この神名には様々な意は込められているのですが、今回は「ナギ」「ナミ」の箇所に注目してみましょう!
お気づきになられましたか?
これって、潮が穏やかな状態「ナギ」と海原が荒れた状態「ナミ=波」が示されているのです
男性が穏やかで、女性が荒れているという捉え方ではありませんョ・・・くれぐれも誤解なきよう・・(^^♪
おそらくこれは、男性の機能が「凸」で、女性の機能が「凹」にあることに起因していると思います。
つまり凸は「陽」で、凹は「陰」ですよね
人の感情は陽と陰が繰り返し起こりますから、それを海原に比喩したとき、自ずとこうした表現になっていったのです。
それを理解しないで、表面的な捉え方をしてしまうと、「おら~~~!!男尊女卑じゃーーー!!」っと、すぐに荒波の状態になってしまう恐れがある方が一部いらっしゃいますから
陰と陽、凹凸の形は、朗らかに常識的見解ですから、これは日本人の素晴らしいヒューマニズム感ではないのでしょうか?
私たちは男女皆が、それぞれに手に職を付け、或いは能力を発揮し、或いは才能を開花させ、お互いがが仕え合って社会を存続させるからこそ、そこに「仕合わせ=幸せ」を感ずることができるのです。
過日、ある芸能事務所の会見にて、一社一問の質問という事前事項を無視して、会見場が混乱したといいます・・・。
実はこれこそが、先人が今に伝える仕合わせにおいてのNG行動の具現化された状態なのです
つまり「わたしがっ!」「わたしがっ!」と風紀を乱せば、その瞬間「仕合わせ=幸せ」は消滅してしまうのです・・・。
この「わたしがっ!」の「がっ!」を漢字にすれば、それは「我」になります。
夫婦間においても「夫(我)!」「妻(我)!」と我を通せば、当然夫婦ケンカが始まり、空気は悪くなりますよね!
皆様も「○○がっ!」って、思わず口にしたり、脳裏に浮かんだら、仕合わせの原点に帰って出直してみましょう!