♡「茶の間の正義は情報ではなく、貴女の家の茶の間にある!」♡ | ♪ILL be right here♪~♡あなたに言の葉の処方箋♡

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~何気ない言葉の中には貴女に知ってもらいたいメッセージが沢山込められています。学校では教えられない和の伝言をここに綴ります♪~

どんな国家にも必ず「これが私たちの伝統や風習で、それはどんな時代であっても変わらぬ骨格のようなものとして今も生き続けています。」といった所謂アイデンティティなる理念がありますよネ。

 

外国からの留学生に「あなたの国のアイデンティティって何ですか?」と質問すると、驚く程明確に答えが返ってきます(例えば、自由・博愛・正義の理念をもつ国柄ですっ!」ってな感じに)気づき気づき

 

 

アイデンティティを形成するのは、なんといっても地域がもつ自然現象・土地の形態がそこに暮らす人々にもたらした感性ですルンルン

 

 

そこに足りぬものがあれば、争いが起きたりするのが世の常なのですが、島国であり、古墳時代前後から渡来人を含めた単率国家として四季の自然ともに歩んできた日本では、現在も尚続く、諸外国のような争いの歴史とは、(無かったわけではありません。しかし、その争いの大義とはいつの世も、律令を基本とした和の樹立だったように思えます)赴きがかなり異なることは、国史と世界史を比較して、よく理解できますOK

 

わたしが最近「この言葉はよく出来ているな~~」っと感じたものに「超越」があります。

 

超越とは、文字通り「伝統を超えて、尚、先を越える」という意味ですびっくりマーク

 

次に「伝統」という言葉の解釈ですが、これは「先人が命懸けで日本の自然環境に似合った制度やしきたりを、国全体を「一(いち)」と見なし、これを統(おさ)めた基(もとい)という意味ですルンルン

 

すると、単純に両者を比較すると、大変矛盾したニュアンスと一見感じてしまいますよネガーン

 

まず持って、なぜこんなことを綴っているのかといいますと、なんだか最近の社会全体の平準化や均等化の推進活動に少しばかり辟易しているからなのです・・・。

 

一例を挙げると、女性と男性の更衣室が別々なのは、おそらく万人が認めるところの「区別」だと思うのです。

 

これを「区別」ではなく「差別」と表現し、それが大いなる正義だと、中には職業にする人まで出てきました・・・。

 

以前、このお話をした方に「それは国際的には通用しませんよ!時代遅れな物言いです!」と怒られたことがあるのですが、その方の母国では未だに「レストラン子供連れお断り」という風習が残っております・・・・。

 

なぜ来日した途端に「内弁慶のそとネズミ」へと豹変してしまうのだろう~~っと、頭をかしげてしまう・・・。

 

 

あれもこれも「区別」から「差別」へと論点をすげ替えていった結果、日本語本来のもつ「語彙力」は確実に落ちたとおもわれます・・。

 

その最たるものが「言葉刈り」で、「(社会経済活動を弛まぬためにという極めて常識てきな前提条件をもって)お子様を3人以上産んでいかないと大変な時代になる」と言った政治家を「セクハラだ!差別だ!」と、相手の息の根を止めるまで集団で責め続けることが「正義」だと本気で感じている方々が実に増えたと思います・・・。

 

では、先人が謂うところの「伝統」の本意とは何なのかといいますと、これは一粒の種から芽となり、幹となった「国」という骨格部分はしっかりと守りましょうといったニュアンスなのですハート

 

それを熟語にしたのが「不易流行(ふえきりゅうこう)」で、なぜかこの言葉は「流行」の箇所だけが流布してしまい、これまた語彙力低下へと繋がってしまっているのです~~~。

 

 

本来の「流行」とは、「不易」、したがって「変えてはいけないアイデンティティ」は守りつつ、「流行」、つまり「文明の変化に伴って変えるべき部分は変えていきましょう!」という意味なのです飛び出すハート

 

今、盛んに議論されている社会生活においての様々なシチュエーションで起きる問題とて、「差別」ではなく「区別」という「不易」の観点から「流行」が可能かどうかと判断すれば、大騒ぎする必要はなく、息苦しくなる必要もなく、もっとおおらかに解決できることばかりだと思うのです・・・。

 

古より日本家屋は、障子と襖(ふすま)で区切られており、会話も聞こえるし、プライバシーなど全くない空間として、それを「敢えて是」と建築されました・・・。

 

そこには四季を通して、人と共に生きる「木材」が長く家族団らんの時を守るように、湿気や寒暖に対応出来るよう知恵を絞って考えられた「不易の空間」なのです。

 

ならば、そこ空間に生活する人々はどうすべきなのでしょうか?

 

そこにこそ言葉を超越した心のあり方、つまり「察して思いやり」の精神が必須となったのです。

 

「今は聞こえぬふりをしておこう・・・」「少し席を外そう」「皆でご飯をたべよう」・・・こうした相手の気持ちになって物事を正確に判断する精神こそが、私たち日本人の優れたアイデンティティの一つとなりました愛愛

 

以上のような価値観をしっかりと吟味すれば、伝統の本義は「不易流行」であり、それは「超越」に値する大事な文化だとご理解いただけると思いますし、閉塞感漂わせ、わざわざ息苦しい世の中を構築している現代社会への警鐘となりえるはずですびっくりマーク