皆さん大好きな柿!・・・かなり季節外れな話題で恐縮ですが、実は甘い柿を早く育てる方法を農家を営む先生に教えていただきました!
甘い柿の実を早く育てるには、渋柿の木を台木にして、ここに接木(つぎき)をすると良いそうです!
なぜかというと、渋い柿の木は甘柿よりも成長速度がかなり早いとのこと
ところがです。ここで気をつけなければならぬ点として、成熟速度を見誤ると、甘柿の接木はすべて渋柿へと変わっちゃうんだって
先生はわたしに「君はこの光景を見て、最近の教育と重なるとは思わないかね。定められたカリキュラムで覚えるだけ覚えれれば良い点数をもらって、それで人間形成は成されたと効率を優先する。甘柿のように効率を考えながらも、どこかのタイミングで人格形成することによって思いやりの心は育まれると思うです・・・。君の仕事は、日本人という台木にアイデンティティという接木を刺し、和の精神を心から理解出来る日本を取り戻すことだと思うのだがね・・・。」と真剣におっしゃられました
わたしは返す言葉がなく、・・・・僕だって必死に頑張っているつもりなんですぅ~。しかし現実は、本質的な意味がさっぱりわからない横文字の数々やSDGSといった諸外国から誕生した所謂「イデオロギー」が優先されます・・意味が理解できぬままにそれらは制度化され、シニア世代は意味がわからず取り残され、若い世代は前を見ずにスマホの画面ばかりみてうなだれたまま・・なんて元気のない光景・・・もはやどこからどう手をつけたら良いのやら・・・と心で愚痴りながら、「そうですね・・・申し訳ございません」と、ひたすらに謝るだけでした
・・イデオロギー・・大学時代の学識程度ではございますが、元来はドイツ語に起因するこの言葉・・。
一般的には「思想観念」の意味で使われますが、本来はマルクスや西洋社会主義こそが合理的な観念で、これを知ることによって「すべての人間の営みは説明でき、管理できる」という・・・・わたしにとっては大変怖い思想です・・・
現実に1960~70年代は、学生による暴徒の要因ともなったり、それまでの先祖の守ってきた風習をなくしてしまえという運動もここから起きたと言います。
勿論、当時を知らない(実体験がない)わたしが「あの人たちが悪いことをした」なんて、口にする権利などもうとうございません・・・。だからこそ義務教育を受けた子供たちの中に「私たちのおじいちゃんたちっていっぱい悪いことをしてきたんでしょ私たちは絶対にしません!」なんて平気で口にしている光景をみると非常に可哀想だなっと感じるのです・・・だって一方通行の教えられ方なんですもん
思想信条は自由であって良いとは思います。
がっ!社会という世界で生活するにあたっては「これだけは絶対的な前提条件」と前もって教えてあげなければならないと思うことを綴りますね
それは、私たちは、わたしたちがこの世に誕生した時には、すでに「社会」は存在していたという点。そこには良いも悪いも我々はすでに遅刻してきたのだから、社会を支えてきた先輩たちに感謝を忘れてはいけません。
次に、その社会を作り上げてきた先人に感謝をしつつ、実は社会という概念が数千年前から作り上げられる遥か以前より、人間も動物も父と母が出会い、母親は命がけで子を産み育ててきたという絶対的な事実に気づくこと。
言い換えれば社会は人間が作ったが、ヒトは森羅万象(自然現象)の営みによって創られて、そのヒトという存在を温かみをもった人間に育てるという行為が教育であり、社会の大きな役目だとわたしは考えております
合理的なイデオロギーによっては決してヒトは人間とは成りえない・・・。
様々な凶悪犯罪や自殺等を未然に防ぐ唯一の方法・・森羅万象に学ぶ姿勢を取り戻すことだと思うのです