こう見えて←どう見るんかい!、わたしは結構料理は得意でありますシェフのようにはいきませんが・・・・。
今年もご近所のおばさんから竹の子料理と頂きました!フキと一緒に煮込んであって、絶妙な味付けーー自分で作った料理もいいですが、やはり誰かに調理したもらったご飯って美味しーーですよネ
こうして多くの方々の暖かいご厚情によって素朴ながらも持続できる生活ができる日々。ホント!感謝ですっ
他方、混沌とした時世、同じ時間を共有しながら生活している別の地域の方々の心や体の痛みを僕自身、どれだけ意識しながら生活しているんだろうか?・・・と竹の子に舌鼓を打ちながら、ふと思い直してみました・・・。
やっぱりなんだかんだ言ってもわたしは恵まれすぎて、理屈ではわかっていても、「当たり前じゃないから、有り難い」という先人の残した言葉を心の底から感ずることが出来ていないと、ちょっとした優しさに触れた時、痛感するのです
「ありがとう」って言葉をちゃんと吟味すると、言語として英語と比較すると、感謝の対象の広さがまったく異なることに気づきます
サンキューは、サンク(=感謝)+ユー(=相手)となり、感謝の対象は直接目の前の相手であることがわかります
対して「ありがとう」という場合、前提条件として「ありえることが当たり前ではないんだよ」という語義であることからも、実は「あなたへ感謝」という意味のみならず、「他者の厚情によって、自身の心に、生活する一瞬一瞬という刻(とき)そのものが、当たり前じゃないという思いに気づくことができた自身へ感謝」という意をも含み、さらに、そうした「あたりまえという時間」を「後世の世に生きる子孫が、あたりまえと思えるように、その時代ごとに、必死に地域や家族を守って、あたりまえを繋いできてきてくださった先人へも感謝」という「相手」「自身」「先祖」という三者へ同時に感謝する意味をもった言葉なのです
過日農林水産省から、2022年版の食料自給率が発表されましたが、日々刻々と低くなる統計結果をみてあらためて恐ろしくなりました・・・。
急激な円安状態になって、やれ輸入品が高い!食料が高い!と巷は大騒ぎしておりますが、お金を払って、外国の食材を買うライフスタイルって、冷静に見つめ返した時、果たしてこれは「常識」と言えるのでしょうか・・・?
「和食」・・・・。
和食とは、「豊かな自然と、日本人の心が育んだ伝統の食文化」と農水書のHPには記載されております・・・。
更には「自然の美しさや季節の移ろいの表現、正月などの年中行事(お祭り)と密接な関わりをもつ」とも綴られています・・。
現在の食料自給率から和食を鑑みた場合、本当に「和食」といえるものってどれだけあるのかな?・・・っと全国民的な問題として考えなおす時代が来たのではないのでしょうか?
もちろん、すべてが国産というわけにはいかないでしょう・・・
しかし、山に生きる人、海に生きる人たちが、安心して生活できるような地産地消という、もっとも当たり前な国家運営に緩やかにシフトさせながら、知り合い同士で食材の生産や売買、これに伴った森林管理の徹底により、防げたはずの自然災害を正に未然に防ぐという、見習うべき先人の生活習慣には回帰しても良いのではないのかな~っと思います
日本の最大のアドバンテージはなんといっても豊かな自然
「地蔵」というように、日本文化は常に「地(=土)の下に蔵(くら)」という財産をもつと先人は考え、これを「田から(=宝)」として、生きるための「田より(=頼り)」としました
ありがとうとは、「今」という時間軸だけではなく、後世を生きる子供たちへ「ありえることの継続は難しいけれども、それでもしっかり繋いであげるっ」という誓いの言葉
和の食に触れて、あらためて感じたある日の一コマでした