過日、なんとも可愛らしい女子お二人がわたしを訪ねて来社しました
生命倫理の観点から論文を書きたいので、日本人の神道感を教えてほしいとのこと・・・・。
可愛いからなんでもオッケーーーーーョーーーっと、即回答・・・周囲の目は非常に冷たかった・・・・
色んなお話をするうちに、一人の女子がポロポロと涙し始めました・・・。
「大学4年になって、初めて知ったことばかりです!わたしたちの先人って、本当に家族思い・・・っていうか、生きるために必死で、でも、それだけじゃなくて、子や孫の世代までもが無事生活出来るように、多くの知恵や技術を残してくださったんですね・・・。量産型世代の私たちはもっと過去に学ぶことがあるんですネ」
???量産型???・・・・・それはつまりモード女子は「ザク化」したということなのか
↑脳裏に浮かんだ「量産型」のイメージ!
↑でも、女子なら量産型よりも、個性が強い試作型のこちらの方がオシャレなのでは・・・・と思考がガンダムへと変わる
相変わらず稚拙な脳回路だと思っていたら、その女子曰く「そうですよ!量産型って元ネタはガンダムらしいんです!」と言うのでびっくり
詳しい話を聞けば、今のご時世、人より目立ったファッションなんかはドン引きされるらしく、皆が皆同じようなお洋服を着て生活することが無難ということから、「量産型」と称するようになった・・・・らしい。
つまりは「なんでも平均値がアンパイ」ってことなのでしょう・・・・。
しかしながら、奇抜するぎるライフスタイルはやりすぎだとしても、平均値だけっていうのもなんとなく寂しい思いがしました
そこで彼女たちに「先人が考えた個性ってどんな意味か知っていますか?」と質問してみます・・・。
するとやはり「他人とはなんとなく違う感覚・・・」とか「強烈なキャラ」などと、ニュアンスだけが先行しているようでした
古事記などを紐解くと、日本の神様は「自然(環境やご縁)の成り行きで、分かれて誕生した存在。」であり、後世人々はこれに倣い「自・分(じぶん)」と表現するようになりました
つまり「自分」とは「個」の意ではなく、木々の葉のように、両親や親戚・・・過去を辿れば、たった一つの夫婦から分裂していった「どこかで繋がり会う存在」ということを表現しているのです
では「個」とは??・・・・・という疑問ですが、答えは「能力」の意と考えて差し支えないだろうと思います。
つまり「火のカグツチの神」といえば、自然と分かれながら誕生した神のひと柱でありながら、特に「火の力」という能力をもった存在で、「ミツハノメの神」ならば、「水の力」をもった存在という意味になります
そんな「個」の能力をもった神様が数え切られないほどいらっしゃる(=八百万=やおよろず=数え切られないの意)ことによって、世の中は円滑に動くと先人は考えたのです。
こうした「個=社会生活におけて誰かのために何かをほどこす」という先人の思いが物語となったのが、古事記神話における天の岩戸開きの章です♬
物事のすべては太陽(お日様)あってというのは未来永劫変わらぬ自然界の鉄則です。
そのお日様を司る神様「天照大神さま」が大きな岩の奥にお隠れになってしまった際、世の中は真っ暗になり、寒く厳しい世界へと豹変!!
そこで八百万の神様は、多くの能力・・・つまり「個性」を発揮して、最後は力の神「天の手力男(たじからお)」によって、天照さまは引き出されました
ここで先人は、「自分さえよければ・・」と思ったところで、結局、自然の恵みやそれを生産してくださる他者の個性がなければ生きてはいけないことを訴えたのでしょう
量産型って決してマイナス思考で捉える必要ななく、むしろプラス思考に捉えて、火の神ひとりでは生きてはいけないし、水の神だけでも生きてはいけない・・・。
だから、勉学があるし、技能は必要だし、「個性」は大事なんだネ・・・っと学問や労働の必要性を再確認して欲しいなって思い、彼女たち説明しました
そこに上下関係などは皆無 だから先人は地域のお祭り時には身分をこえて、「和を背負う=わっしょい!」と共に同じ視線で神様を背負って歩き、地域の安寧を祈ったのです
それは、かつて天照大神さまを同じ立場だけれども、個性を最大限に活かしあいながら岩戸から救い出した八百万の神の如く・・・