♪ILL be right here♪~♡あなたに言の葉の処方箋♡

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~何気ない言葉の中には貴女に知ってもらいたいメッセージが沢山込められています。学校では教えられない和の伝言をここに綴ります♪~


七夕祭りの季節ですね!

 

皆様ご存知の織姫&彦星さまのお話はもともとは中国由来なのですが、なぜ女性が織姫なのかといいますと、これは我が国の神様「棚機姫(たなばつひめ)」という織物の神様がモデルとなったからであります飛び出すハート

 

古来より我が国では生活の3要素を「衣食住」と言っているように、1番重要な要素としてまずは「衣」が筆頭にくるのですびっくりマーク

「えっ!なんで!?お金じゃね?」・・・・っと思われる方も多いことでしょう・・。

 

でも「衣食住」の3要素は誰もが教わっているはずですし、そこに何の疑問もなく今日まで生活してきたのではないのかなと思うのですが如何でしょうか?

 

先人にとって国家や地域の存続の基盤としてもっとも大事なことは「祭り事」であり、実は今も変わってはおりません。

 

漢字表記でこれまた気づかずになっちゃっているのですが、「政治」とは訓読みすれば「まつりごと」ウインク

 

そしてまつりごとにおいて最も大事なお供えものが「幣帛(へいはく)」という絹織物なのです飛び出すハート

 

突然「はっ?幣帛?そんなん知らんがな」と聞こえてきそうですが、では、幣帛が現代社会では絹ではなく紙製であり、以下のように言い換えたら如何でしょうか?

 

紙の幣帛・・・・したがって「紙幣」

 

ねっ!これで一気にご理解いただけたんじゃないのでしょうか爆  笑爆  笑爆  笑←どや顔いらんし雨雨

 

つまり3要素の「衣」、つまり幣帛は紙幣として政府(まつりごとを行う最高機関)と日銀によって皆様の生活の最重要な要素として、並びに地域の神様へのお供えものとして機能しているのです音符

 

さて、紙幣の始祖である「幣帛」は、織物を行う女性神「棚機姫(たなばつひめ)」は高貴な神々へ供物の織物を織る機能神ですが、古事記を紐解くと、実はお伊勢様の主祭神「天照大神」さまもご一緒に機織りを営まれているという描写が出てまいりますルンルン

 

そこは忌服屋(いみはたや)といい、神々への供え物である織物を機織女(はたおりめ)たちが日々織物をしている聖なる空間。

 

ここで天照大神さまが機織りを営んでおられた時、弟神のスサノオが馬の皮を剥いで投げ入れるという大犯罪を犯したのですガーンガーン

 

しかし、この事件がきっかけとなり、スサノオが地上界に追放されたことによって、人を食い荒らす怪物「ヤマタノオロチ」はスサノオによって成敗されたのです・・・。

 

さて、話は戻りますが、高貴な神々への最高の供物である幣帛を、もっとも貴い神である天照大神さまが御自ら縫製されるというのは少し不思議な感じがしませんか?

 

ここで「キュンラブラブラブラブ」とトキメキ、ひらめいた女子がいたら、わたしもそれが正解ではないのかな~~っと思いますハート

 

ひょっとしたら我が国には言葉にするのも恐れ多い、天照大神さまもときめいてしまうほどの高貴すぎるイケメン神が存在しているのではないのかな~~~っと捉えるしかないと、一連の描写は示唆しているのですウインク

 

そう考えれば、棚機姫が七夕の物語にキャスティングされるのも納得だと思いますし、夜空を眺めた時にもっと違った感じ方ができるのではないのでしょうか?

 

でもね!1番大事な点は、7月7日というたった一晩の出会いのために、織姫も彦星も364日という日々を必死に生きて、世界の秩序を保つために働いているんだな~~っと自身の生活に置き換えて感じることじゃないのかな・・・・。

 

誰かのために必要とされる人となるためには、学業も大事!思いやりも大事!いろんな大事が重なり合ってわたしたちは同じ空の下で生かしあっているのですから・・・。

 

へんてこりんなタイトルですがご先祖さまが本当にそう表現されていたので草www!

 

ネット用語で「草」は笑える~~の意味ですが、これは笑いのアルファベットの頭文字「w」がまるで草に見えることから使用されるようになったのはご存知の通りOK

 

しかしながらwwwを「草」に例える発想も意外と先人からの遺伝なのかも?っと思ってしまう小生www←意味不明な草だなムキームキー・・・単に使いたかったのですてへぺろてへぺろ

 

というのも、古事記などの書物を紐解くと、わたしたち「人」は元来「青人草(あおひとぐさ)」と表現されており、そもそも人も植物も命の根源は同じで、植物が自然に逆らうことなく幾千種の生命を保っていくように、人もまた植物のように青々と生い茂るように繁栄する存在だと先人は考えたからだと思われます飛び出すハート飛び出すハート

 

現代社会に生きる私たちにとって植物とはいわば鑑賞に対象物といったイメージが強いですよね

 

ところが数百代前のご先祖さま方にとっては、植物とは旺盛な繁殖力のみならず、時に我々の食材として、時に住まいの材料として、時に我々の身を守る衣服の材料と、まさに「衣食住」を支えてくださる恵に象徴だったのです飛び出すハート

 

無論、今だってその恵を感受して私たちは生かされているのですが、そこに心からの感謝が伴っているのかといえば若干「?」となります・・・。

 

では先人から続く植物への感謝の想いとはどういった形で残されているのか・・・少しばかり紹介して、機会があれば体感して欲しいなって思います飛び出すハート飛び出すハート

 

実はとても身近な神事として残っており、皆様のお暮らしの地域でも「夏越大祓(なごしおおはらい)神事」といって、チガヤで作った輪をくぐるお祭りが開祭されているはず!

 

そんなお祭りないよ~~って方は、それこそネット検索してみてください。少しばかり離れているかもしれませんが、地域内のどこかの神社で行われているはずです

 

夏越大祓神事とは・・・・・・長くなるので簡潔に・・・「要するに6月と12月の晦日(みそか)、つまり半年の終わりに茅の輪をくぐって心の垢を祓い落としましょう!そして綺麗な心となって、再び世のため人のためにお互い協力しましょう!」といった趣旨の祭りで、平安時代から続いておりますラブラブ

 

チガヤはご存知かと思いますが、この時期に水辺にいきますとうっそうと生い茂るススキやスゲ、葦(あし)の総称ですウインク

 

     (画像はお借りしました)

 

これを刈って大きな輪に整え社頭に奉納します

 

       (画像はお借りしました)

 

ではなんで先人はススキの名称をわざわざチガヤと言い換えたのでしょうか?

 

これは古民家の屋根や古い神社の屋根をみるとご先祖さまが伝えたかったチガヤの意義がよくわかるのですウインク

 

カヤは原材料が安いから使われたという説もよく見受けますが、私自身はそんな理由だけならば、ススキといえば良いのであって、わざわざチガヤと言い換える必要はなかったと思うのです

 

というのも、チガヤとは「血・知(ち)家(か)屋(や)」の意

 

したがって、その家の血脈がいついつまでも続きますよう屋根となって風雨から守って欲しい・・・また新緑溢れる生命力をもって家の活力が続くように・・・といった願いが込められたがゆえにチガヤと呼称されたと思うのです飛び出すハート

 

大地に根を張って生き続ける植物は、その土地がもつ大地からの栄養や気候によって与えられた命を全うし、種の存続をはかっていることを先人は知っていたのでしょう飛び出すハート

 

だって、それが人間にとっても一番病気にかかりにくいヘルシーライフの基本中の基本ですもんね

 

こうした自然への畏敬の念が、神話における青人草の傍証なんじゃないのかな~~~っと毎年この時期になると感ずる今日この頃なのでうすwwwwww←最後の最後まで意味不明な草てへぺろてへぺろ

休日はいつまで経っても上手にならないゴルフに行くことが多い・・。

 

先日は珍しくロングホールツーオンのバーディーチャンスに恵まれした!!!!

 

これだけはぜ~~~ったい決めたい!!!っと意気込んでいたところ、突然目の前に珍客が飛び出すハート飛び出すハート

 

 

野うさぎちゃんラブラブラブラブ可愛いーーー飛び出すハート飛び出すハート飛び出すハート おちりが最高に愛らしい飛び出すハート飛び出すハート

 

人に慣れているようでカメラを向けてもしばらく平気で居座っていました。

 

早く打たないと待っている人達がいるので、慌ててパットを打ったところ、強く打ちすぎてボールはグリーンをオーバーしてバンカーという奈落の底に落下していきました泣泣泣泣

 

 

晴天下のゴルフは気持ちが晴れてストレス解消になります!

 

他方運動をかねているので、わたしは必ずカートを使わず歩くように心がけております。

 

息を切らしながらひたすらに歩いていると、脳裏に「道のり」という言葉が浮かんできます照れ

 

「道(みち)」といえば現在では「ロード」の意味としか捉えられていませんが、本来は人生においてもっと本質的な心が込められているのです。

 

元来、道とは「御(み)地(ち)」の意。

 

現在わたしたちが利用している道路は、もともと五機七道という全国をつなぐ街道を先人が険しい山を切り開いたことに端を発します。

 

それは単なる移動手段ではなく、食を運び、病人を運び、家と町をつなぎ、人と人をつなぐいわば命の循環路として切り開かれたのです。

 

おそらく先人にとっては自らが開いた道ではあっても、それは感謝の対象となり、体内と循環する「血(ち)」の音をつけて御血(地)=道と呼称されたのでしょう。

 

血は「けつ」とも発音されますが、これもまた血は母と子、そして先祖を結ぶ液体であるから「結(けつ)液」ともいい、これもやはり「道」とは無関係ではないのですウインク

 

血液の循環は健康に生活する上で欠かせません・・・。さすれば、わたしたち自身も車の運転や自転車、歩行なども血の流れのごとく、正しくルールを守って歩まなけらばならないことを先人は伝えているかもしれませんねウインク

 

 

以前からブログfriendsのめぐさんから、広島に来たらあたごやさんというお店のお好み焼きを召し上がってみてください!とのお声を頂戴しておりましたが、この度ついに!!!お約束の地へとやって参りました~~~~爆  笑爆  笑爆  笑

 

 

広島駅から東口の高層ビルが立ち並ぶオフィス街を進むこと約15分 なんとも昭和レトロのお店「あたごや」さんへ到着~~。

 

近隣には愛宕神社が建立されており、かつては火事が多かった地域なのかな?っと連想しつつ早速お好み焼きを頂きましたびっくりマーク

 

店内はホント!昭和レトロチックで、かつて秋葉原によく食べに行っていたラーメン屋さんみたいで懐かしい感じがしました。

 

いや~~確かに美味しい~~。麺がトロッとして具材が他店とはちょっと異なって癖になりそうでした!

 

これでめぐさんとのお約束が果たせたとホッとしながら、カープの応援へとマツダスタジアムへと向かい声を枯らしながら応援!

 

 

お昼に大きなお好み焼きを食べたというのに、ここでも名物のカープうどん(全部のせ~~)を完食爆  笑爆  笑←だから太るんだよ!

 

マツダスタジアムは家族団らんで食事が出来る思考を凝らした様々な席が用意されており、それぞれのご家族がそれぞれに楽しそうに食事しながら笑顔で観戦している光景をみてとても感慨深く、「そうか~。食事の重要性って、何も栄養云々って学問的な知識ではないことを先人は今も伝えているんだよな~」っとふと思ったのでした・・・。

 

広島もそうですが、皆様がお暮らしの地域でも多くの外国人観光客のお姿を見かけると思います。

 

その姿は国それぞれに異なっています。

 

それってなぜでしょう?当たり前ですが、生まれた地域の気候風土に順応出来るように進化したからです。

 

では、その姿を形成するもっとも大きな要素は何なのでしょうか?

 

それは、その地域の土壌からできた食べ物にほかならないのです気づき気づき・・・当たり前なのですが・・・(^^♪

 

ところで我が国の伝統行事の一つに「直会(なおらい)」があります。

 

直会とは、神社のお祭り行事の締めくくりで、季節の節目(春夏秋冬)、神様にお供えしたものを下ろして地域皆でいただく神事で、これが目のおえであることから「節供(せっく・・漢表記では節句とも書きますが同じ意味です)」と言うのですルンルン

 

神様が接召し上がったお供えをいただくであるから「直会」OK

 

地域の風土で生産された米や野菜を、これまた地域独特の風土によって構成されている自身の体に取り入れることによって、わたしたちはわたしたちの健康生活を保ち、それを次世代へと繋げる地域の存続を労働によって守ってきたのです。

 

直会は何も地域の精神的支柱である神社だけの行事ではなく、神様に供えた米や野菜をそれぞれの家に持ち帰って、これを調理するのが所謂「家庭料理」ウインクウインク

 

これが家族皆がバラバラになって、一人はコンビニ・・・一人は外食・・・一人は・・・ってなってしまえば、地域の存続など考えることなく、精神的にも肉体的にも健康は崩れていってしまうのは自明の理だと思うのです・・・泣泣

 

何が何でも家庭料理を食べるのだ~~なんてことを先人はこれっぽっちも言ってはおりません。

 

だって、お祭り行事では必ずテキ屋さんがきて、外食するという文化はちゃんと残っているのですもん。

 

日本文化は極端を嫌います。

 

車のハンドルに遊びがあるように、なんでもかんでも偏ってはNGであることを先人は今に伝えているのです。

 

時に外食も大事ですし、外の世界を学び独り立ちすることはとても大事なのです。

 

だって、地域を守る「風土」とは、「土」は地元の民、「風」とは「よそから流れ込んできた文化」の意味です照れ照れ

 

都会にでてもいつか地元という「土」へと戻る「風」となり、直会の文化を守るという思いが多くの人々の心に戻ってきた時、再び家族団らんの食生活の灯火が過疎地域を再生させると期待してやみません飛び出すハート

 

 

 

 

 

先日講演後のご質問で「日本人は昔から死ぬという表現ではなく、神去る(神様となって去っていく)と言われておりましたが、では具体的に死んでしまうことはどんな言葉で表現していたのですか?」と聞かれました。

 

なるほど・・・わたしの講演はまだ青二才だな~~っと痛切に反省~~~笑い泣き笑い泣き

 

死ぬという言い回しは古来からあったのですが、これは(紅葉の季節における)植物の葉の水分が抜けて「萎(し)なえる」光景をみた先人が、命を全うした生命の最後の姿を「萎ぬ=死ぬ」と言ったことに起因します。

 

だから「死ぬ」とは大昔からあったのですが、これをさらに人に限定して丁寧に言い直した言葉に「罷(まか)る」がありますOK

 

祝詞では「身罷(みまか)りぬ」と言います。


聞きなれない言葉とは思いますが、案外と皆様も平素の暮らしの中で使用しているれっきとした現役語爆  笑気づき

まかるとは、「負けちゃった~~」とか「おじさん!これオマケして!」とか「もうかりまっか~~」なんて言い直すとニュアンスはおわかりいただけるかと思います気づき

 

もともとは「自然の営みに如何に抵抗してもどうにもならないことが世の中にはあり、人の命とて同様」って感じの意味なのです気づき

 

だから、「負ける」とは本来、勝負事に使う言葉ではなく、自然の前に服従するの意であり、おじさんオマケしてといえば、図々しい要求を店主のおじさんが飲んじゃった~~泣っとなりますから、やはり服従を意味します笑い泣き

 

身(み)は肉体のことですから、これがこの人にとって自然の成り行きにしたがって罷った(=死ぬ)ので、次は御霊(みたま=生きた証・残された方々の記憶に残る姿・自然に帰り、自然と共に再び生きるといったニュアンス)、したがって「隠れた身(=隠身=神)」となって自然へと去っていくステージが神去るというのですね飛び出すハート飛び出すハート

 

こうしたニュアンスをちゃんと知れば、尊敬する対象とは何も生きている先生や師匠、両親だけではなく、自分へと命のバトンをつなげてくださった先人に対しても「感謝の念」が湧き上がってくるはずですラブラブ

 

現代社会では「尊敬」と「感謝」が混同し、よく訳がわからない状態となっているのは、科学では証明出来ないことかもしれないけれども、自分たちが存在している証とは、間違いなく先人たちの愛の連鎖あってのことなんだびっくりマークといった道徳教育がすこ~~しばかり足りないことではないのかなと思うのです照れ