♪ILL be right here♪~♡あなたに言の葉の処方箋♡ -2ページ目

♪ILL be right here♪~♡あなたに言の葉の処方箋♡

~何気ない言葉の中には貴女に知ってもらいたいメッセージが沢山込められています。学校では教えられない和の伝言をここに綴ります♪~

以前からブログfriendsのめぐさんから、広島に来たらあたごやさんというお店のお好み焼きを召し上がってみてください!とのお声を頂戴しておりましたが、この度ついに!!!お約束の地へとやって参りました~~~~爆  笑爆  笑爆  笑

 

 

広島駅から東口の高層ビルが立ち並ぶオフィス街を進むこと約15分 なんとも昭和レトロのお店「あたごや」さんへ到着~~。

 

近隣には愛宕神社が建立されており、かつては火事が多かった地域なのかな?っと連想しつつ早速お好み焼きを頂きましたびっくりマーク

 

店内はホント!昭和レトロチックで、かつて秋葉原によく食べに行っていたラーメン屋さんみたいで懐かしい感じがしました。

 

いや~~確かに美味しい~~。麺がトロッとして具材が他店とはちょっと異なって癖になりそうでした!

 

これでめぐさんとのお約束が果たせたとホッとしながら、カープの応援へとマツダスタジアムへと向かい声を枯らしながら応援!

 

 

お昼に大きなお好み焼きを食べたというのに、ここでも名物のカープうどん(全部のせ~~)を完食爆  笑爆  笑←だから太るんだよ!

 

マツダスタジアムは家族団らんで食事が出来る思考を凝らした様々な席が用意されており、それぞれのご家族がそれぞれに楽しそうに食事しながら笑顔で観戦している光景をみてとても感慨深く、「そうか~。食事の重要性って、何も栄養云々って学問的な知識ではないことを先人は今も伝えているんだよな~」っとふと思ったのでした・・・。

 

広島もそうですが、皆様がお暮らしの地域でも多くの外国人観光客のお姿を見かけると思います。

 

その姿は国それぞれに異なっています。

 

それってなぜでしょう?当たり前ですが、生まれた地域の気候風土に順応出来るように進化したからです。

 

では、その姿を形成するもっとも大きな要素は何なのでしょうか?

 

それは、その地域の土壌からできた食べ物にほかならないのです気づき気づき・・・当たり前なのですが・・・(^^♪

 

ところで我が国の伝統行事の一つに「直会(なおらい)」があります。

 

直会とは、神社のお祭り行事の締めくくりで、季節の節目(春夏秋冬)、神様にお供えしたものを下ろして地域皆でいただく神事で、これが目のおえであることから「節供(せっく・・漢表記では節句とも書きますが同じ意味です)」と言うのですルンルン

 

神様が接召し上がったお供えをいただくであるから「直会」OK

 

地域の風土で生産された米や野菜を、これまた地域独特の風土によって構成されている自身の体に取り入れることによって、わたしたちはわたしたちの健康生活を保ち、それを次世代へと繋げる地域の存続を労働によって守ってきたのです。

 

直会は何も地域の精神的支柱である神社だけの行事ではなく、神様に供えた米や野菜をそれぞれの家に持ち帰って、これを調理するのが所謂「家庭料理」ウインクウインク

 

これが家族皆がバラバラになって、一人はコンビニ・・・一人は外食・・・一人は・・・ってなってしまえば、地域の存続など考えることなく、精神的にも肉体的にも健康は崩れていってしまうのは自明の理だと思うのです・・・泣泣

 

何が何でも家庭料理を食べるのだ~~なんてことを先人はこれっぽっちも言ってはおりません。

 

だって、お祭り行事では必ずテキ屋さんがきて、外食するという文化はちゃんと残っているのですもん。

 

日本文化は極端を嫌います。

 

車のハンドルに遊びがあるように、なんでもかんでも偏ってはNGであることを先人は今に伝えているのです。

 

時に外食も大事ですし、外の世界を学び独り立ちすることはとても大事なのです。

 

だって、地域を守る「風土」とは、「土」は地元の民、「風」とは「よそから流れ込んできた文化」の意味です照れ照れ

 

都会にでてもいつか地元という「土」へと戻る「風」となり、直会の文化を守るという思いが多くの人々の心に戻ってきた時、再び家族団らんの食生活の灯火が過疎地域を再生させると期待してやみません飛び出すハート

 

 

 

 

 

先日講演後のご質問で「日本人は昔から死ぬという表現ではなく、神去る(神様となって去っていく)と言われておりましたが、では具体的に死んでしまうことはどんな言葉で表現していたのですか?」と聞かれました。

 

なるほど・・・わたしの講演はまだ青二才だな~~っと痛切に反省~~~笑い泣き笑い泣き

 

死ぬという言い回しは古来からあったのですが、これは(紅葉の季節における)植物の葉の水分が抜けて「萎(し)なえる」光景をみた先人が、命を全うした生命の最後の姿を「萎ぬ=死ぬ」と言ったことに起因します。

 

だから「死ぬ」とは大昔からあったのですが、これをさらに人に限定して丁寧に言い直した言葉に「罷(まか)る」がありますOK

 

祝詞では「身罷(みまか)りぬ」と言います。


聞きなれない言葉とは思いますが、案外と皆様も平素の暮らしの中で使用しているれっきとした現役語爆  笑気づき

まかるとは、「負けちゃった~~」とか「おじさん!これオマケして!」とか「もうかりまっか~~」なんて言い直すとニュアンスはおわかりいただけるかと思います気づき

 

もともとは「自然の営みに如何に抵抗してもどうにもならないことが世の中にはあり、人の命とて同様」って感じの意味なのです気づき

 

だから、「負ける」とは本来、勝負事に使う言葉ではなく、自然の前に服従するの意であり、おじさんオマケしてといえば、図々しい要求を店主のおじさんが飲んじゃった~~泣っとなりますから、やはり服従を意味します笑い泣き

 

身(み)は肉体のことですから、これがこの人にとって自然の成り行きにしたがって罷った(=死ぬ)ので、次は御霊(みたま=生きた証・残された方々の記憶に残る姿・自然に帰り、自然と共に再び生きるといったニュアンス)、したがって「隠れた身(=隠身=神)」となって自然へと去っていくステージが神去るというのですね飛び出すハート飛び出すハート

 

こうしたニュアンスをちゃんと知れば、尊敬する対象とは何も生きている先生や師匠、両親だけではなく、自分へと命のバトンをつなげてくださった先人に対しても「感謝の念」が湧き上がってくるはずですラブラブ

 

現代社会では「尊敬」と「感謝」が混同し、よく訳がわからない状態となっているのは、科学では証明出来ないことかもしれないけれども、自分たちが存在している証とは、間違いなく先人たちの愛の連鎖あってのことなんだびっくりマークといった道徳教育がすこ~~しばかり足りないことではないのかなと思うのです照れ

 

わたしたちは何かと困った時には「神頼み!」と必死に手を合わせる習慣が身についておりますね気づき

 

その心中はおそらく、何かしらの第三者が出現してお悩みやお願い事を良い方向に導いてくれますようにびっくりマークと心から祈る行為を意味しているのでしょう飛び出すハート飛び出すハート

 

ところでこの「頼み」なる語・・・・。過日ある方が「頼みって、もとは田の実からきた言葉なのです!」ってご講演されており、皆「ふ~ん」って感じで拝聴されておりましたが、私としては「う~~ん・・・当たらずしも遠からず・・・はてなマーク」でした気づき

 

確かにある時代、田の実と頼みは同音であることから掛け合わされたことは事実です・・・。

 

事実なのですがっ!!元をたどれば「頼み」とはある意味、神社の祭りで奏上する祝詞(つまり万葉語)にその源を発見することができるのです爆  笑

 

ちょいと話は横道にそれますが、神社という組織には古来より役職が定められており、一般的には「宮司」「禰宜(ねぎ)」「権禰宜(ごんねぎ)」「出仕(しゅっし)ないし主典(しゅてん)」という順番がございます。

 

image

 

注目すべきは「禰宜(ねぎ)」なる役職の意味!

 

「禰宜」とは「願(ねぐ)」の意であり、神様に願いを伝えるお役目と解釈されます

 

祝詞においては「(願い事を)乞願(こいねぎ)祷(まつ)る)」といった言い回しがあり、乞(こ)うという言葉が、現在の「恋」に変容し、あなたのお力が(=心)が今の私に必要なのですと訳されますので、恋願(こいねぎ)と表記したほうが伝わりやすいかもしれませんね・・・特に片思い中の方にはハートハートハート

 

意味をご理解いただいたところで、次は「願(ねぐ)」のもう一つの漢表記!これが「祈ぐ」なのです。

 

祈りを漢表記にした祝詞の言い回しになると「(願い事を)乞祈(こいのみ)まつる」となります・・意味はまったくいっしょです!

 

意味は同様ですが、音が「ねぐ」から「のみ」と変わり、実はこの意(こころ)が大変重要なポイント!

 

すでにお気づきでしょう!「たのみ」の「のみ」とは、「祈り」の意味なのです飛び出すハート

 

では「たのみ」の「た」とは何なの?・・・っとなりますが、「た」という音は間違いなく「手」を意味しますので、したがって「頼み」とは「手祈(たのみ)」が本義となりますニコニコ

 

しかし、手を合わせて祈るから「手祈」となった訳ではなく、古来より「手」とは接頭語として「手鋤(たすきと読みます。農耕用具の一種で密集した場所に隙間を作ります。床屋さんでも「鋤きますか」と言うのはここから来ております!)ける=助ける」というように、自身の隙(=鋤)間時間を他者に手(労働力や知恵)を与えて達成の協力をするの意となり、つまり「助ける」という語に相成ったわけでございます愛愛

 

したがって「頼み」とは、「手(家族や地域、あなたの友人や仲間の協力)を祈(のみ=心からお願いする)ることによって、秋の稲穂からまさに「田の実」がなるかのように、物事が実現するという意味となるのです照れ照れ

 

更に他者のお力が必要になった場合は「手=協力」にさらに「寄りかかる」という言葉で「手寄り=頼り」となる訳ですね照れ

 

しかし、他者に寄りかかる大前提として、「祈り」とは「自らの意思を宣(の)る」ことから「意宣(いのり)」なので、これだけの努力をしますという誓いを神様に申し上げるのが本来の「祈り」の意ですから、そこは勘違いしてはいけません(*´∀`*)

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、(特に)教育現場で従事する方の悲痛なお声を直接耳にすることが増えました。

 

これは保育園から高等学校に至るまで、大変幅広く、わたしがご相談を受けていた方々の多くはすでに退職、または退職希望者です泣くうさぎ

 

内容は詳らかにはできませんが、中には「それ本当のお話なのですか?」と耳を疑うような劣悪な労働環境に置かれた方も散見されます・・・。

 

総じて、「言うは易し 行うは尚難し」の如く、正義を自らにではなく、お茶の間にぶつけて世論を誘導し、言っただけで、あとは現場でなんとかしなさい!といった風潮により、ミクロなコンプラを委ねられた方々が疲弊しきってしまった・・・という構図(これは教育現場だけではなくすべての職種に至るまで)になっていると個人的に感じております・・。

 

・・・とは言え、組織に身を委ねる限り、上下関係は必ず存在するのであり、なんぼイライラしても部下をいじめるような言動は慎まなければなりませんネ・・。

 

では、我が国における本来の上下関係とは、本来如何なる関係性が望ましいことを先人は今に伝えているのでしょうか?

 

これはわたし個人が思う所でありますが、712年(和銅5年)に編纂された古事記にその答えが綴られおりますルンルン

 

そんなに難解ではありません。

 

イザナギの命に左の目から成り出てた太陽の如くあまねくこの世を照らす神「アマテラス大神さま」。

次に、右目から成り出でた太陽が沈んだ後に夜の世界を見る月の神「月読命(月・読とは夜見(よみ))」の関係性が重要だと思うのです。

 

そもそもなんで「月(つき)」は「つき」と呼称されるのでしょうか?

 

実はこの発音を「付き」と綴ると、はっ!とされませんか?

 

確かにアマテラス大神さまは、月読命の上位に立つ神なのです・・・が!夜がなければ昼はなく、休む時もない!

 

表があれば裏があるように、組織も陰で一生懸命働いてくださる方の存在があって、はじめて表舞台に立つ方が際立つが如く、上下関係とは「上を司さどる者(上司)」と「お付き」(部下や弟子など)が一体となって形成される関係性であることを先人は「太陽」と「月」から学んだのではないのでしょうか?

 

これが、いまでも「お日さま」と「お月(=付き)さま」と謂われる由縁ではないのかと思うのです飛び出すハート飛び出すハート

 

ならば、上司のあるべき姿とは、太陽のように暖かい心をもって現場を照らす努力をし、そこに付く部下は、いつかは自らもこうなる!と人柄を学び、まずは陰となり上司を支えるびっくりマーク

 

きっと、古のご先祖さまはそう願って、月を「つき」と呼称したのではないのかなと、こんなご時世だからこそ強く感ずる次第なのでありますウインク

 

新年度がスタートして充実した日々を送られている方々!

 

もし・・・上司がまったくもってブラックだとしんどい思いをされているとしても、ご自身が月であり、太陽のようなポジションについたときは、自分はこうはならないぞ!と反面教師にしてくださいネラブラブ

 

だって、人間関係においてもっとも重要な点は「言いたい放題言っているこの人が、いざとなったらわたしの人生の責任と取ってくれる存在なのかな?」っと自問自答すれば、答えはすんなり出てくるはずです爆  笑爆  笑

いや~~広島カープ・・・まさかの黒星発進泣泣 これなら勝てる・・かも!・・と感じたのも束の間、島内が~~ガーン

 

しかし嘘か誠か!筒香選手のカープ移籍報道が実現すれば!!

 

今年もマツダスタジアムに数試合観戦予定なので跳ね馬の如く遠征!ハッスルしたいと思います気づき気づき

 

さてさて・・・黒星・・跳ね馬といったキーワードを綴りましたが、今回の話題は「白・黒」の意(こころ)についてちょいとばかり述べてみます気づき

 

我が国では古来より「白・黒はっきりさせる!」と言います。また「白」には「清浄」とか「潔白」といった意味があり、対して「黒」が「腹黒い」と言うように、なんとなく悪~~い意味に使用されますウインク

 

 

こうした観点で白と黒は相対する心のあり方の象徴として比較されているのですが、本来両語はその由来をまったく異にする言葉なのですびっくりマーク

 

まずわかりやすい「黒」からいきましょう!・・・と言っても、実は黒の語源については今も完全にはわかってはいないのです笑い泣き

 

はっきりとしていることは「黒」は、おそらく「クリ」・・・クリとは涅(くり)と漢標記され、土の中という意味をもちます。

 

もう一つは「暮(くら)」という学説があり、日没後に家に帰って夜間は家族団らんで過ごすという意味を由来にするといわれており、わたしはこちらの説推し!

 

いづれにしても両説に共通しているのは「暗い」という意味を持つ点で、見たまんまのイメージカラーであることが理解できますね!

 

では「白」の語源はといいますと、これ!意外なことに先人の心のイメージ、すなわち冒頭でのべた「潔白・清浄」を象徴するカラーとして意図的にあてられた色なのです。

 

つまり「白」を表記替えすると・・・「著・記・印(しるす)」となり、清浄という心を色として著(しる)すと、こうなるのです!(キッパリ)と遥か大昔に日本人としてかく生きるべしと定められたカラーなのです飛び出すハート飛び出すハート

 

ちなみに「赤」は「明るい」からきており、これもまた「赤ちゃん」というように、汚れなく太陽のように暖かい心の意ですから、国旗「日の丸」に込められた意味ってもはや説明不要でしょうネ飛び出すハート

 

新年度!不安いっぱいの方も多いことでしょう!でもそれで当たり前!だって、まだ新たなステージは真っ白なキャンバスといっしょなんですもん。

多くの経験から青や黄色や黒!に染まっていくことでしょう!

それでも、時に日の丸を眺めて、前途はきっと明(赤)るく染まっていくよう皆と協力し合って生活するんだよという先人の想いに触れていってほしいなと思いましゅ。←「しゅ」・・・ってお前は馬鹿か!(シマウマを紹介しただけに笑い泣き笑い泣き