1987年のレコード大賞 | 西新・カレー愛好家しゅうしゅうの備忘録

西新・カレー愛好家しゅうしゅうの備忘録

東京育ちで福岡市早良区地下鉄空港線西新駅近郊在住の不動産関連会社役員の日常。一昨日食べたものは何だろう?とすぐ思い出せなくなった自分のための記憶整理のブログです。現在スポーツクラブでの運動&レコーディング&スムージーダイエット実施中。

ザ・ベストテンが放送開始された1978年からこの年までのレコード大賞受賞曲と

 

年間ベストテン、オリコン年間ランキングの順位は以下。

 

1978年UFO(ピンクレディー)―15位―1位

1979年魅せられて(ジュディ・オング)―11位―2位

1980年雨の慕情(八代亜紀)―24位―26位

1981年ルビーの指輪(寺尾聰)―1位―1位

1982年北酒場(細川たかし)―1位-5位

1983年矢切の渡し(細川たかし)―2位-2位

1984年長良川艶歌(五木ひろし)―1位―10位

1985年ミ・アモーレ(中森明菜)―3位―2位

1986年DESIRE(中森明菜)―2位―2位

1987年愚か者(近藤真彦)―10位―35位

 

1978年~1987年までのレコード大賞受賞曲はオリコンランキングが上位の曲が

 

 

ほぼ選べれていて、そうじゃない曲は雨の慕情と愚か者くらい。

 

年間ベストテンの10位以内に入ってないのは、UFOと魅せられてと雨の慕情。

 

UFOは番組が始まる前に発売されているので、まあ仕方ないですね。代りと言ってはなんですがサウスポーは8位でした。

 

魅せられては11位でしたけど、オリコンランキングは2位なので問題なし。

 

 

レコード大賞は「対象年度に発売されたすべての邦楽シングルCDの中で

 

①「作曲、編曲、作詩を通じて芸術性、独創性、企画性が顕著な『作品』」、

②「優れた歌唱によって活かされた『作品』」、

③「大衆の強い支持を得た上、その年度を強く反映・代表したと認められた『作品』」、以上3点に該当する『1作品』に贈る。」

(①.②.③は私が入れた、それ以外はwiki

 

対象年度とは、前年11月1日から同年10月31日と以前どっかで読んだ記憶がある。

 

雨の慕情は、演歌にしてはヒットしましたし、紅白歌合戦のオオトリ、八代亜紀のサビのフリを覚えている人は今でもきっと多くいるはずです。

 

違う年だけれども、ドラマ北の国からでも、使われていましたし。

 

③は若干弱いものの、それでも基準の①②③は満たしていると言っても過言ではないでしょう。

 

一方で愚か者です。愚か者は、年間ベストテンが10位でオリコンランキングは35位。

 

近藤真彦は後年、なんでか最優秀歌唱賞を受賞しますが、デビュー当時熱狂的な近藤真彦推しだった

 

私の妹ですら、その受賞をブラックジョークとしか思えないと言っていたくらいで、

 

まあ彼の歌唱力が優れたものだと言っている人は、おそらく少数派でしょう。

 

よって②がかなり弱いです。

 

③も弱い。なにしろ1番売れたレコード(当時シングルCDはまだ未発売)の半分も売れてない。

 

そこで、(ランキング操作と1987年年間ベストテン)①で書いた、本来年間ベストテン11位だった愚か者を10位に繰り上げて

 

少しでも泊をつけさせようとしたのではないかとうがった見方をしていました。

 

1986年、1987年29%台だったレコード大賞の視聴率は翌年22%に下がり

 

1989年20%を切ってから一度も20%台を回復することなく今日を迎えています。

 

後日、坂本弁護士一家殺人事件に関連して、筑紫哲也に「TBSは今日、死んだに等しいと思う」言わしめましたが、

 

看板番組であるレコード大賞をジャニーズ事務所に忖度することで、その前から、死んでいたのかもしれません。

 

個人的には、中森明菜の難破船(年間ベストテン7位、オリコン2位)か、

五木ひろしの追憶(年間ベストテン1位、オリコン9位)、

瀬川瑛子の命くれない(年間ベストテン2位、オリコン1位)のどれかが受賞するべきだったと思っています。

 

命くれないは対象年に発売じゃないから、落ちたという人もいますが、それだったら

 

レコード大賞候補曲である、金賞にも選ばないでおくべきでしょう。