霊的視野というものにおける、
神が「観える。」「聞こえる。」
といったものですが、
その殆どは、
自らの想念が
凝り固まって
生み出した
幻想であります。
(統合失調症の手前とも云える)
意識の扉が開きつつある今、
霊的視野が広がる段階で
誰にでも起こりうることですが、
同時に非常に危険な状態である
ことを知らなければなりません。
霊性の向上を望むことは、
もっともなことかと思いますが、
霊性の向上とは、
何か特別な力を得たり、
超能力が身についたり
することとは明らかに
違うということです。
想念の現象化は
想像主たる所以の
ひとつでありますが、
そういった観念の
ひとつ先の一霊四魂の
一霊=直霊まで
辿り着かなければ、
神たる我 の大自覚。
=
マコトの想像主としての
真澄日我身マスカガミには
至らないのです。
霊的能力というものが
肥大していくと、
かえって日常生活や
健康な社会生活に
支障が出てくる
ぐらいなもんで、
わざわざ重たい鎧を
身に纏い遊園地に
行くようなものです。
霊性の向上を望む人は、
ここのところを
しっかりと丹田に
命じておかねばなりません。
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(自らと、魂磨きの友へ)
神主