こんにちは。aonoです。

 

 

真面目に勉強して優等生

であることで承認を得てきた私は

それまでの勝ちパターンが

通用しなくなってきたことに

気付きました。

 

 

 

 

 

 

ここで私は挫折を経験します。

存在意義を失う

以前の私は職場内で、

何かしら他人よりも

頑張っていたり優れている

部分をもっていました。

 

 

例えば、担当している案件が

誰よりも多くて大変な思いを

していました。

 

 

そのことで、

「自分は誰よりも頑張っている」

「こんな大変な役を引き受ける

 のは自分しかいない」

と思えていました。

 

 

または、難しい交渉を解決に

導いたりクレーマーへの対応を

上手く行ったりといった

スキルに自信を持っていました。

 

 

そのことで、

「自分は優秀だ」

「こんな案件を解決できる

 のは自分しかいない」

と思えていました。

 

 

他にも、業務知識に精通

していることで

 

「こんなことを知っている

 のは自分しかいない」

 

と思えていたり、

 

 

部下の育成をしたり

周りから頼られることで

 

「自分は必要な存在だ」

 

と感じていました。

 

 

なにかしら、

 

「自分は優秀だ」

「自分は頑張っている」

 

と思えることがあって

自分を肯定することが

できていたのです。

 

 

自分を肯定していた、

こういった部分は

仕事が下位職へ移管される

ことで、

どんどん失われていきました。

 

 

吸収合併された側の私は

システムや業務知識も

分からない事だらけでした。

 

 

また、専門職員が多数おり、

難しい案件やクレーマーも

自分以外の人達で対応が

できてしまいます。

 

 

そして、部下の相談も

専門職員や一般職が担う

こととなり、

自分が頼られることも

少なくなりました。

 

 

そして、課全体のマネジメント

まで他の職種に移管されたのです。

 

 

もう、私には何も誇れる

部分がありませんでした。

 

 

専門職員達が高度なスキルを

必要とする案件を対応している

横で、私は簡単にできる案件

ばかり対応しています。

 

 

チームリーダー達が部下の

相談にのったり一緒に

考えたりして汗をかいてる中、

私は一人黙々と仕事を

こなしています。

 

 

 

あとは雑用の様な仕事を

細々とこなしながら、

 

「自分は、ここにいて何か

 意味があるんだろうか」

 

「総合職でなくても

 誰でも自分の代わりは

 できるんじゃないか」

 

と考えるようになりました。

 

 

そう考えると、

寂しさや悲しい気持ちが

湧き上がってきました。

 

 

会社からも周りからも

何も求められていない

気持ちになってきます。

 

 

人事評価の時期に自己評価を

つける際、そういった状況を

思い出し何とも言えない気持ち

になります。

 

 

そんな時、頭の中では

評価面接で課長と話を

している場面を思い浮かべます。

 

 

 

 

そこでは、

 

「私は何もできていません」

「何の役にも立っていません」

「もう何もできる気がしません」

 

と自分の駄目さ加減を説明

している姿を思い浮かべて、

余計に悲しい気分になります。

 

 

イメージの中で自分で自分に

「ダメだ」

と言っているのですから

精神的に苦しくなってきます。

 

 

胸の辺りがキューッと

締め付けられて、目に少し

涙が溜まってくるような

感じになります。

 

 

そして、そんな気分に浸ると

ますます自分から前向きに

仕事に取り組む意欲を失い、

 

気分が沈んでいくという

悪循環にはまってしまいました。

 

 

ある日は、

「いっそ自分をマネジメントから

 外して一担当者にしてください」

と課長に申し出ている状況を

夢の中で体験しました。

 

 

そういった状態が続くと

「もうどうにもしてくれ」

と、勝手に自暴自棄な気分

になってしまい更に辛い気分

になります。

 

 

「特別な存在」

という自分のセルフイメージが

「無能な人」

「何もできない人」

へ変わっていくのを感じ、

 

それに伴い本当に何も

出来なくなる様な気がしました。

 

 

仕事で何か考える場面でも

頭が働かなくなり、

 

緻密に仕事をしようとする

気も起らなくなり、

 

雑なやっつけ仕事ばかり

繰り返すようになります。

 

 

周りに対する態度も卑屈

でした。

 

 

皆が飲みに行くという場面も

行くことを拒否しました。

 

 

今思えば、被害者意識になり

誰かに現状を気付いて欲しい

というアピールが入っていた

のかも知れません。