こんにちは。aonoです。
前回は年度末の自己評価をきっかけに
自己否定を強めていく経緯をお話しました。
そのことによって、私にある変化が
生じてきます。
「頑張っている」感覚がないから…
こういった状況が続くと
ある変化が生じてきました。
私は徐々に自分に自信が持てなく
なっていったのです。
もともと自信が強いタイプでは
ありませんでした。
しかし、これまではどの部署
にいても仕事量も多く、
大変な案件も担当していましたし
直接的にマネジメントに
関わっていました。
また、そのために勉強もしていて
いました。
そのことで自分に存在意義を感じる
ことはできていましたし、前進して
いる感覚が得られていたのです。
しかし、この頃はマネジメントは
間接的な関わりになり、案件は
それなりの量をもっていましたが
年次的にもこなせる程度のレベルと
量でした。
「頑張っている」という感覚が
なかったのです。
そんな状況が続くと、
ふと周りで頑張っている人を
見た時に、何か申し訳ないような
気になることが増えてきました。
自分も日中それなりに忙しく
働いてはいます。
しかし、限界まで頑張っている
感覚や新しいことに挑戦している感覚
が無いため、一生懸命仕事をしている人
をみると自分が「サボっている」という
感覚をもつようになったのです。
そうすると、余計に自分に対して
ダメだしをするようになります。
無意識のうちに
「自分だけサボっているんじゃないか」
という感覚を覚えることで、また
「自分はダメだ」
という暗示が入ってくるのです。
それによって、余計に自分に
自信をもつことができなくなり、
「サボっている」ので
更に自己評価も下がってくる
という悪循環です。
自分のセルフイメージが
「ダメ社員」
になっていくのを感じました。
一方で、働き方改革で新しい仕事
を担う事になった下位職達は、
毎日壁にぶつかりながら頑張っています。
そんな彼女たちを見ると輝いて見え、
その対比により自分が余計にダメに
感じられるという悪循環に陥りました。
そして、
「自分にもあんな頃があったな」
「昔は頑張っていたな」
「あの頃は良かったな…」
と昔の自分と今の自分を比べて
更に落ち込むという始末です。
この時の自分は
「評価を高めたい」「成長したい」
という思いを持ちながら、
その機会を得られない状況から
メンタルを悪化させる思考に
陥り、
更にその状況から自信を失い、
過去の自分の様に
「頑張っている」
という感覚を得ることができず、
「何もしていない」
「何もできていない」
という感覚に陥っていました。
まさに悪循環ですね…。
しかし、私はある出来事から
この状況から抜け出すきっかけを
得ることとなります。
「頑張った」という感覚はむしろ要らない
そんな中で、ある時偶然に
他の社員の自己評価を目にすることが
ありました。
彼は、それほど仕事ができるという
人でもないのですが自己評価が
「4」であったり「5」ばかり
だったのです。
私はそれをみて最初、少し焦りました。
自分だけ自己評価を下げて損をしている
様な気になったからです。
それを見て
「皆、こんなに自己評価高くしてるんだ」
「自分も高い評価をつけないと
一人だけ損するんじゃないか?」
と考えました。
しかし、高い評価をつけようにも
自分では何も思いつかないでいた私は
その彼にそのことを話してみました。
そうしたところ、彼は
「これを書いたらいいんじゃないか?」
ということをいくつか挙げてくれました。
例えば、私は大きなクライアントを
担当しているのですが、その頃大きな
トラブルがありました。
万が一契約を失えば、1億円近くの
売上を失うこととなる案件です。
トラブルの内容は理屈で考えれば
クライアントの無茶であり、
要求を断るしかない状況でした。
しかし、クライアントには
その理屈が理解できないのです。
私は粘り強く折衝するのは
苦手ではなく、クライアントとは
日頃から親密化していたので、
最終的にその案件を上手く
納めることができました。
私は年次的なものを考えると、
この程度は当然だと思い、
敢えて自己評価には
書いてはいませんでした。
しかし、この様に親密化したり
その関係性を土台に粘り強く折衝
を重ねるという事は誰にでも
できるという事ではないのです。
それ以外にも、私は輩のように延々と
罵声を浴びせてくる様なクライアント
の対応をしていました。
私が担当する前に数名が
担当したものの、
余りにも理不尽なクレームを言い
罵詈雑言を浴びせてくるような状況に
対応しきれず私に流れてきました。
私はそういったタイプが苦手では
無いため、時間がかかりましたが
うまく人間関係を作り、
通常の流れに誘導することができ、
特段の問題も無く対応していました。
これも、年次的に当然だという
感覚でいました。
しかし、これも私以外の人が
できなくて私にはできたことであり、
周りが見ればすごいことなのです。
私は少し視界が開けた気がしました。
私の感覚の中では、上司に対して
「これができています」と
言えることといえば、
「自分が何らかの施策を企画して
課全体を巻き込んで動かす」
「ミーティングで皆がハッとする
ような意見を述べて導いていく」
「これまでに無いようなやり方を
導入して生産性を高める」
といったものでした。
しかし、実際にはそういったもの
でなくても、
自分は当然にやっていることで
人から見れば「できている」ことは
あるということに気付きました。
逆に、先程私が挙げたようなものは
ある人からすれば当然にやっていること
なのかも知れません。
しかし、私の資質からすれば
なかなかできないことです。
だから、「凄いこと」だと
感じてしまうのです。
つまり、私が「凄いこと」と
感じていたものは自分の資質から
みれば難しい事であり、
言い換えれば、自分の資質には
合わないやり方なのかも知れません。
そして、その自分の資質には
合わないことができていないと
「頑張った」
という感覚を持つことができず、
「これができた」
という事ができない
と考えていたのでした。
しかし逆に、自分ができていることで
他人の資質からみれば難しいこと、
つまり他人からみれば「凄いこと」も
当然あるわけです。
だから、「頑張った」という感覚は
そもそも不要であり、むしろ頑張らずに
できるけど、周囲から見れば「凄いこと」
をやっていけばいいんだということに
気付いたのです。
このことに気付いてから、気持ちが
楽になってきました。
ただし、この周りから見て「凄いこと」
は自分ではなかなか気づくことができません。
次回はそのための方法について
ご紹介をさせていただきます。