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桜の花びらはV字の切れ込みあり。

梅はまる。

桃は切れ込みなしのとんがり。

 

バラ科サクラ属の近縁種(花びら5枚でひとつの花)ですが、花びら一枚一枚にその特徴があります。

 

なお、杏子は梅とほぼ同じです。

時期が少し遅いぐらいで、香も実もよく似ていますね。

 

<3分咲きの桜とほぼ散り際の杏子の木>

 

今週末は、欲望の資本主義の行方について考えた。

(※NHKで再放送も含めて特集番組を続けて放送していた。)

行き過ぎたグローバリズムによって250年経って欲望を増大させ続けた資本主義は今、格差と低成長の深みにどっぷりはまり込んでしまったようだ。

どんなシンプルで効率的なシステムでも、なんの手入れもなく永続するはずがない。

パックスロマーナも絶頂期は200年ほどだった。

既成のやり方に異議を申し立てて、アメリカも自国ファーストになるのも当然だろうと思う。

エコノミストの多くは悲観的だけど、怪我のリスクはどう転んでも避けられない。

うまくいかなければ修正もかけるだろううし、見てるしかないよね。

日本経済にとっては逆風かもしれないけど、30年近くデフレを生きているんだから、いまさらどうなのかなって思う。

 

個人的には、それでもアメリカは投資すべきだと思う。

だから、ちょうど日本株でそこそこ利益が出たので、次の投資は少しぐらい下がってもいいから、NASDAQ100連動(為替ヘッジなし)のETFを買ってみた。

たぶん、値下がりしても無駄遣いするよりいいんだろうと思う。

 

 

さて、桜が満開となりましたが、隅田川の土手では下には菜の花が咲いていて、黄色とピンクのコントラストは鮮やかでキレイ。

桜のトンネルを自転車で走ると最高に気持ちがいい。

コンビニでビールを入手して、芝生に座って飲む一杯は至福の時だ。

 

<都心の公園の桜>

 

満開もいいけど、咲き始めと散り際が好きだな。

ビルとアスファルトの合間に可愛らしい花を眺められるのは心のオアシスだと思う。

桜の花びらを食べるのが好き。クマリンという芳香物質が独特の苦みを与えとても美味しんんだ。

 

<神社の境内の立派な桜の老木と銀杏の大木>

 

うぐいすの仲間のメジロがかわいい。

ヒヨドリもかわいい。

シジュウカラやエナガもいた。

かなりの長時間野外にいたため、花粉症が悪化した。

症状が強くでちゃうと薬もきかない。

風呂入って目と鼻を洗い流した。

くしゃみが止まらない。

 

【追跡(追記)】

4月に入ってからばらばらと満開になりました。

今年は、立地や樹によって(川沿いだと南側が先に満開)時期がずれてますね。

風も強いしにわか雨もあり、野外では落ち着いて酒飲めないけど、景色の移り変わりが楽しいですね。

(羽田空港近隣の穴場)

 

人混みが苦手なので、花見もひとりがいい、野良猫ちゃんたともたくさんいて、ここが一番落ち着く。

一方で桜祭りも嫌ではない。

 

(ブルーシートでどんちゃん騒ぎ;アルコールの匂いがかなりきつい)

福本マンガは面白い。

 

私の好みは「アカギ」のアニメ版(日テレ深夜)だね。

闇に舞い降りた天才というのがいいね、鷲巣マージャンがありえな過ぎて、すごすぎる、というか、すっげぇ笑った。

声優を務めた萩原聖人は実際にも麻雀の腕前はプロ級で、その台詞回しは絶妙に勝負の綾をくすぐる。

 

「カイジ」は藤原竜也の劇場版がよかった。

ものまね芸人がまねするから、より印象的で面白いのかな。

もちろん怪物パチンコ「沼」が好き。

 

「銀と金」は漫画では読んでいないが、TVドラマは面白かった。

特にセザンヌの絵画の真贋を見抜くゲーム、億の札束で築く架け橋という発想が新鮮だった。

最後はやっぱりマージャンで、想像なのか決意なのか、闇に飛ぶ姿が格好いい。

 

漫画もTVドラマもコンテンツが命で、競争原理が働いて優秀な制作会社により多くのオファーが流れる仕組みが重要だ。

私は広告収入型の無料視聴のシステムは永遠に続くとは思わない。

すでに綻びがでているし、TV局も新陳代謝が必ず起こると思う。

いいものくだらないもの、面白いものつまらないもの、玉石混交の大量コンテンツに時代の試行錯誤状態というのが現状なのではないかと考える。

といいながら、特に興味のない時間つぶしの娯楽として、無料放送で無責任なお笑い番組見てへらへら笑ってるのが好きだったりする。

 

大阪か長崎に本物の統合リゾート(ギャンブルなんて収入のごく一部でエンタメ含めた滞在に付随するサービス統合型というのが成長戦略の要諦)が完成すれば、また新しい連載が生々しく始まるだろう。

 

 

ギャンブルに熱中するのもいいけど、賭けに乗っかるときは甘いものでも食べて、冷静に期待値がプラスかマイナスかを判断すべきだ。

結果は収入と支出の総トータルで考えることが肝心だ。

 

写真は今一番気に入ってるレストランのデザート。

フレッシュのミントがワイルド(平たく言うとちょっと生臭い)で爽快だ。

しつこい木苺ソースと相性抜群で、さわやかな香が胃の中で数時間保たれる。

土曜深夜のテレビドラマで「真昼の悪魔」(フジテレビ)をやっている。

原作は遠藤周作だ。

サスペンス色を強調して原作の匂いは薄まっているようだが、かなり面白い。

 

 

春の息吹を感じる今日この頃、庭いじりをして毛虫に刺されて手がかぶれて痛痒く、ぶつぶつ赤く腫れあがっている。たぶん茶毒蛾だろう。

 

さて、遠藤周作の「死海のほとり」は、苦境の中で、もがき苦しみ、救済を必死で求める私自身が今読むべき作品であった。

「死海のほとり」は2つの作品が交互に展開される。

現在小説家の「私」とイスラエルで暮らす大学の同窓「戸田」の邂逅、そして戦争中の学生時代を時をまたぎ重層的に描く「巡礼」パートが7章。

イエスキリストの処刑に関係した人々の視点から真実のイエスの姿を描こうとする「群像の一人」が6章。

なお、「群像の一人」は、ひとつひとつの章がほぼ独立の小説になっている。

 

中でも「知事」はすばらしく、新潮文庫で読んでいるのだが、250ページの台詞に涙を流した。

 

全体として難解だし、かなり長いけど、じっくりと読んでみて、じわり心が燃える作品なのかなと思う。

解説はカトリック司祭が書いていて、わかりやすかった。

 

小説の記述には私も実際に訪れた場所がたくさん出てくる。

以下にゆかりの場所の写真を掲載する。

 

第5章で描かれる死海のほとり(99年10月撮影)

 

 

第9章で訪れるガリラヤの湖(ティベリア)

 

山上の垂訓の丘から見下ろすガリラヤ湖(ここは小説でも白熱した場面になっている)

感動のラストシーンでも「幸いなるかな♪」のフレーズは現れた。

【追記; 何もしなかった、何もできなかった、奇跡を起こせもしなかった、ただ愛するだけの人間を描いていて、それは素直に心にしみたのだが、同時に宗派間の解釈の違い(ただの嫉妬なのかなと一部感じたりもするけど)で殺しあっても来たわけで、人間を歴史の中で集団として眺めると、業が深い存在だとも同時に感じるし、この矛盾を解決する術を私は知らない。

問題が起こるのは一度きりではなく繰り返し繰り返しその都度姿や大きさを変えて立ちはだかるのが人生であり、そのときに寄り添う人がいると感じることで癒され救われることもあるのだろう(すくなくとも可能性は否定できないだろう)とだけは思った。】

 

思い出深い旅で、ガリラヤ地方を巡った日はナザレの教会が運営するホステルに泊まって、中庭から満月を眺めた。

今年一年は遠藤周作の作品を読みまくろうと思う。

 

経済的には何不自由はないが、もう人生の下り坂、それも急な下り坂、崖崩れ、それらの運命をそのまま受け止めるのが人生なのかな。

それでも四季は巡りまた春がやってくる。

時は今は3月、東京では杏子の花が満開。

 

今月、食べログのマイページを充実させた。

料理人でもなにのに、美食にかなりの時間と金額をかけてきたが、一向に満たされない。

好きなんだからしかたないけど、欲望は際限ないものだ。

むしろ、まずいもの食ってる時が、そう、噛みしめてる時こそが、生きてることを実感する。

とかいいながら、フランス料理レストランには定期的に通っている。