nishicapiのブログ -61ページ目

nishicapiのブログ

ブログの説明を入力します。

街にはクリスマスツリーが飾られた。そんな季節がやって来た。

私はキリスト教徒ではないので興味はないのだが、イルミネーションがきれいだと思う。

 

 

遠藤周作の3部作とよばれる作品を読み終えた今年は特別なクリスマスである。

 

イエスの生涯

キリストの誕生

死海のほとり

 

なぜイエスを裏切った弟子たちはキリストを信じ強大な信仰組織を生み出したのか、まるで2千年前のパレスチナで暮らしていたようなリアルで情熱的な筆致が救済をはげしく求める魂をえぐる。

私も神秘主義に共鳴する受容体を生まれながらに持っているのかもしれない。

※文庫版の解説を読んだら、小説家はまるで2千年前のペトロになったような気持ちで心理の奥深く探求するようなことが書かれていたが、なるほど私もそう感じた。

 

映画「沈黙」からはじまった関心が私の一年を通じた遠藤熱に火をつけた。

般若心経を詠むことを習慣としているが、砂漠の写真を眺めるのも習慣になるかもしれない。

 

 

ゴディバのチョコ、おいしい。

お節を予約した。なんとシャンパン付きのフレンチ懐石だ。30日受け取りだから、たぶん年越しできないだろう。

 

おおいなる下山の旅のついでに、本物の世界の平和を願う今日この頃である。

だから来年の6月きっと知床をサイクリングしているであろう。

10月はイベントが多い。

なので、外出が多く、金かかってしかたない。

 

 

この撮影場所は都心の超一等地である元赤坂。

肉眼では東京タワーが見えていたんだけど、アングルの関係でビルに重なったみたいだね。

この日は千疋屋で高級デザートを手土産に購入。

 

昼飯はうどんで、夜食は肉とパスタだったかな。

別の日だけど、神保町の饂飩屋「まるか」のいりこ出汁は感激だった。

行列並ぶ価値あるね。

 

贅沢止められないから自業自得なんだけど、追い打ちをかけるように古いPCが一台壊れた。

しかたないのでcore i3の比較的お手頃なノートを購入した。

ネット(メールもWEBメールのみ)みてワードが使えればOKだからこれで十分なのかな。

EFI(GPT方式)起動なので、立ち上がりが速い。

SSD換装しようとしたけど裏蓋がはずせないから、やむなくHDDのままだけど、クローンだけはつくっておいたので、HDDが割れたら力技でもなんでも交換するだろう。

 

エアコンも故障して、修理か交換か、結論は交換。

工事費含めるとそれなりに高額なので、年末くるしいかも。

 

あまり多くを期待しないでことに臨むと結果はどうあれ満足感が高いことを書こうと思ったが、なんかのテレビ番組で話題になっていたので止めた。

他人に多くを期待したって、思い通りにはならないのだから、そんなものかもしれないけど、自分にだってそれほど多くは期待できない。ナサケナイ。

それでも前を向くのが気持ちいいと思うのだけど、まあ、どうでもいいか。

 

賢く縮むということについて考えてみた。

人は膨張するもの、拡大指向なものと思われるけど、無闇な泡沫はどこかで破裂する。

成長に対する期待はあまりに魅力的で、ジリ貧なのがわかりきっているのに、除去ができない。

 

AIで解決できるのかもしれない。

ドラえもんや鉄腕アトムが登場するのとは違った未来が、敵対的ネットワークによりとてつもなく強化刺されたディープラーニングによって切り開かれるのかもしれない。

多分、視覚的な識別や相当程度自動化されたパワーアシストは実現するだろう。

水素エネルギー循環によるマイクロ発電と小回りが利く(10人程度分の馬力の)AIトラクターが実用化されれば未来は明るい。

邪魔するのは新しいというそのことだけで何が何でも規制でがんじがらめにする空気だ。

妬み、僻み、嫉みから幸せは生まれない。

一銭の得にもならないどころか束縛し足を引っ張る同調圧力が強い社会は競争に負ける運命なのだと思う。

 

要はやるかやらないかの問題だ。

心理的な抵抗を乗り越えて続けることだけが大いなる成果となる。

だから配当金を、浪費せずに、再投資してみた(ちょうど先進国に投資する投資単位が非常に小口のETFが新規上場したから買ってみた)。

AI関連企業に投資するファンドもあるといいけど、ある程度まとまった金額でしか投資できないだろうから、コツコツと積み立てておかないと、乗り遅れそうだ。

もう手遅れかもしれないけど、それでもいくばくかは持っておかないとゆでガエルからの干乾びた天日干しになっちゃうかも。

 

予想外の出費に備えるためにも、積み立ては必要だ。

小銭貯金って、通帳だけ(カードはハサミいれちゃう!)で一切おろさないようにしてしまうと、びっくりするぐらい貯まる。

一方で、いつのまにか使っちゃうのが貯金箱やタンス預金。

キ〇バとかに寄り道しないのも正解かな。

 

久しぶりにブルーボトルコーヒーへ。

※交通の便が悪いけど自転車で40分程度!

本当にたまにしか行かないので、ついついシングルオリジンのエスプレッソを注文してしまった。

耐熱ガラスなのかな、それとも熱くないから大丈夫なのか、グラスで提供してくれた(前回はデミタスカップだった)。

チェイサーは口直しの炭酸水。

一度ぐらい通常のエスプレッソを注文してみたいなと考えている。

 

 

今回の投稿は、写真の加工をしてみた。

色調の調整とぼかしが簡単にできて面白い。

 

 

 

下は前回のブルーボトル。

 

 

2年前なんだね。

行列は相変わらずだった。

エスプレッソ注文する人はあまりいないみたい。

秋らしくなったこのごろ、バラが咲いていた、親水公園にいい匂いの薔薇が。

 

 

ピンクの薔薇をみてると、気分が華やぐ。

 

政治が面白くなってきた。

国の中央機関が極めて不効率に不公正にばらまく政治か、地方分権か、きれいごとだけ主張するグループか、を選択する選挙になりそうだ。

私は憲法を改正して地方分権(女も男も等しく自己責任、厳しい競争、弱肉強食、ネオコンに近いのかな)する道を選びたい。

 

薔薇咲く散歩道を歩いていると、ふと生きることについて考えてしまう。

NHKが人体の臓器ネットワークについて8回シリーズを放映する。

プロローグと第一回「腎臓」をみた。

腎臓がおかしくなると多臓器不全を引き起こしかねないと知って、いままで何も知らなかったなと思いながら、塩分をおさえた食事と質の良い睡眠(目覚めの太陽の光と就寝3時間以上前に食事および入浴)について意識しようと思った。

 

生き物とともに生きることについて、基本的には増えすぎた野生生物は食べるのがいいと思ってる。

外来生物だからとか、恐いとか、危険な毒を持つ生き物もいる。

※とにかく虫は苦手。イナゴは無理だけど、スズメバチなら食える。

固有種の保護や生態系のバランスを保全する努力も継続的に行う必要はあるだろう。

 

ベジタリアンについては、個人の信念で自己の活動として(せいぜい家族や親密な仲間の範囲内)やるのは勝手にしてくれという感じだけど、自意識過剰で恩着せがましいから嫌い(かくいう私も自意識過剰で自分勝手だ!)。

植物だって菌類だって生命だし、生態系の中心的な担い手だ。

もちろん、殺生は抵抗あるし躊躇する。

哺乳類は特に愛おしいと感じる。

屠殺(とさつ)はかわいそうだ。

だからといって、生きるには他の有機物=生命を食べる以外にないのは揺るがない科学的事実。

せめて、無駄にせず残さず食べるのだ、できるなら美味しく楽しくね、食卓までの多くの人の汗(調理はもとより、どんなに最低でも生産と物流ぐらいはイメージできる)と命そのものに感謝して。

個人的には、ジビエとか狩猟には性的興奮を感じざるを得ないのかもしれない!?

 

植物だけ食べて清潔なつもりになってることは、もちろん個人の勝手だけれども、その生き方を押し付けられるのには決して我慢がならない。

ベジタリアンの発想は、選別して肉を食する異集団を見下すという姿勢が透けて見えるから、人種差別と根本的に同じ思考回路だと思う。

結局のところ、限られた地球の中で、奇跡的なバランスを構成する命の循環のなかで、覚悟して肉も魚もおいしくいただくのが人として自然だと感じるのだ。

突拍子もなく論理が飛躍するが、さらにいえば、滅びるべきは人間のほうだと思ってる。

 

殺生を禁じる仏教は矛盾だらけだと思うし、親鸞が言った通り、すべての人間は殺生から決して無関係のまま逃れられない悪人だ。

※あまりにも残酷な現実に、悪人であるがゆえに悩み苦しみ、悪人こそが正機する、阿弥陀如来より賜りし信心の力で、他力にすがり願うことによってしか救われないと感じざるを得ない。

 

無関心や穢れをそのまま放置することこそが不潔だと思う。

 

地域猫の取り組みは、心の底から賛同しているわけではないが、殺処分の実施を減らすための現実的な解答のひとつ、それも非常に有効な手法である。

 

野生生物を餌付けするのは本来よくない。

でも、家猫は人と暮らしながら生きてきた動物なのだ。

人間が責任を持たなければならないのかもしれない。

 

耳をカットされた地域猫

 

 

せめてなついてるこのねこちゃん一代限りはかわいがろうということだ。

避妊または去勢して殺処分の拡大再生産を止めて、そのかわり餌あげて、アレルギーあるひともいるかもしれないけど、糞尿にいらいらするひともいるだろうけど、制限をしてぎりぎりの妥協点をみつけたものと私は受け止めている。

結局は人間の勝手な都合で厭らしいし不潔な思考パターンだと感じる。でも、それ以外に現実的な有効な手段は多くない。猫カフェも悪くないと思うけど、どこでも成立するものではない、まったく追い付いていない、殺処分対象の野良猫は4万匹以上だ。

 

なでてあげると「ごろごろ」とのどを鳴らしてかわいいんだよ。