先週、「世界猫歩き」でキプロスのキッコー修道院で暮らしているネコ18匹の映像をみて、無性に行ってみたくなりました。
10年ぐらい前にBS・TBSの特別番組「ビザンチン帝国」で中世の黄金のモザイク芸術が紹介されていたので興味あった東方正教会の修道院ですが、修道士とネコのおとぎばなしのような素敵な生活に心惹かれました。
貴重で広大な建物をねずみから守っているんだそうですが、ただただひたすらかわいがられてるように映りました。
幸せってこういうことのように思います。
見方はいろいろあるのでしょうけど、私の自由意志では、キプロスのネコに生命の輝きを感じます。
英語ではCyprus、サイプラスと発音しますけど、ヴィーナス誕生の地であり、家猫のルーツとも言われる地です。
地中海のビーチもきれいです。
ポルトガルのアゾレス諸島やスペイン領カナリア諸島も行ってみたいから、ついでにイタリア南部も含めて20泊ぐらいで計画してみます。
季節は春でしょうかね。
AI、ロボット、IoTが、いままで技術的、物理的、経済的に不可能だとあきらめていたことが、実現できるようになると思います。
住宅ローンに縛られて好きな旅行も自由にできないので、AIによる消費者余剰に大いに期待しています。
私の見解では、AIロボットをフル活用した農業でもしながら、読書しながら好きなところに移動できて、その日の気分で仕事も選べるようになるのが理想です。
バックトゥザフューチャー、ターミネーター、マトリックス、どらえもん、鉄腕アトム、キテレツ大百科みたいな世界もあながち荒唐無稽ではないのかもしれません。
ジュールベルヌの言葉のように、人が想像した未来が近づくのでしょう。
マイクロプラスチック回収ロボット、AI制御の気候安定装置が高品位の農産物も大量生産する大規模循環システム、無理のない健康長寿医療等々、AIがなければ実現できないことがもしかしたら実現できるかもしれません。
ウエアラブルスマホは試作機までできてますよね。
基本的に明るい未来だと大雑把に捉えていますが、既存の職を奪うものとして拒絶反応を感じる人も多いのかもしれません。
AIに奪われて困るような仕事って、仕事なの?作業じゃないの?強制労働ならなくなったほうがよくない?と思います。
難しい問題かもしれないけど、とっくに競争は始まっています。
好むと好まざると、豊穣を生み出すシステムの権益確保は早い者勝ちで、怪我も恐れず行動したものだけが手に入れるのでしょう。
歴史的には、格差がなくてもたくさんの人が餓死する世の中と、格差はあるけど最低限でもかなりいいレベルの生活水準の世の中、どっちかしかなかったのが現実です。
先頭を走るランナーの邪魔をしたって、貧困はなくならないのだから、成功者を妬むより、成功できるように適切な努力をすべきでしょう。
うらやましいと思うこと自体は向上心の裏返しでもあるので、否定はしません。
社会保障が機能すればだいたい解決できるけど、持続可能な財源の問題も忘れてはいけません。
AIは目を持った段階であり、まだ手を持っていません。
最先端の研究者たちが開発中ですが、もし「手」を持てば、目と手の相互作用でAIの進化は人が成し遂げた認知革命、農業革命、科学革命、産業革命、そして情報革命以上のインパクトをもたらすでしょう。
まだ生物のような有機物のほうが繊細な「手」作業は上手です。
時間の問題といわれつづけながら、なかなか特異点を超えるような進化までは起きてませんね。
金に糸目をつけなければ、マスタークラスの職人技もロボットができるようになりつつあります。
費用対効果の問題なら確実に解答がでてきますから、のんびり待てばいいのでしょう。
自宅の庭で育った桐の木から素敵な木工家具が格安なデザイン料と加工賃と輸送費で実現できるなら嬉しいです。
不可能とおもっていたことができるようになる具体例としてはちっぽけですが、ひとつの例え話です。
たぶん私の生涯では手に入れることはないとおもいますが、総桐クローゼットの部屋が欲しいです。
書類箱とベッドのすのこは桐ですけど、まあ、これぐらいで満足しとくしかないのでしょう。
有機物と無機物の関係についても少しだけ触れておきます。
無機的だから、電気信号だから間違えないとか、有機的だから個性的だとか、いいきれない現実になりつつあります。
発酵も有機化学で、多くの人の健康に役立っている。
反面、有機化学はもろ刃の剣で、ナパーム(焼夷弾の燃料)のような地獄の炎が貧者の兵器として恐ろしいことに、誰かの大切なものを燃やし続けています。
義足の進化であれば、事故などで有機体としての機能の一部を失ったとしてもそれを補完する無機補助具がクオリティオブライフを高めます。
いずれシンギュラリティの時が来るというか、特区あるいは金持ちクラブのエリアからでいいので、積極的にやり始めていくのでしょう。
持つものと持たざる者の格差は、家畜と畜産農家の間の格差程度には広がるのではないでしょうかね。
もちろんこれらは予測や予言ではなく、あくまでも可能性の一つですが、もしかしたら全くあり得ないシナリオではないのかもしれません。
ゆでがえるのまま牛豚鶏並みにならないように、AIにたいして反感持つより、利用していくしかほうが賢いのではないかと私は思います。
一方的に何一つも問題もなくバラ色の未来が待ってるとは思わないけど、AIの進化はそれほど破滅的なことではなく、諸課題を乗り越えながら、あるいは、もしかしたら、いくつも問題を抱えながら、それでも前進するのではないかと思います。
SEG投資などを通じて社会構造の変化のベクトルも、AIロボットへの投資に資金が集まることを通じて加速するものと予想されます。
私は楽観的であり、未来に期待しています。
情報格差があり、裁定が働くなら、AIによって馬券必勝法に近いものも一定期間(まるはだかになるまでの極短期間)は実現可能なのかもしれません。
かりにそうだとしても、ギャンブルは不確定な未来に賭ける行為なので、必ずもうかるなんてことには興味ありません、それが私の立場です。
リスク管理は自己責任でなければ納得がいかないのです。
資金管理はコントロール可能であり、馬券が当たるかどうかは締め切り前には絶対にわからないことなのです。
ひとりごとだけど、個人主義的で、ひとそれぞれの経験に、それぞれの価値があると確信している古いタイプの自由主義者といえます。
21世紀の中頃(わずか30年後)にはどうなっているのでしょう?
30年後のダービーは、3~5世代交代している計算ですよね、どんな強い馬が誕生するのか楽しみです。
それまで、ぼけないで元気でいられるのか、わからないけど、一期一会を大切に、明日の自分も節度をもって考慮して、あるがまま自然に生活できれば、それは決して悪くはないのかなと思います。

